ここに三人の駒子が居る。北陸は豪雪の中に。だが、春は遠い大鹿村の遺伝子である

内陸性のギフチョウが発生する頃、完全に見える自然はあるものの進化論の中に、

続く夏の駒子を見出すが、もう遠い日のトンネルは分水嶺に届かずに2本の大清水に

微かに登山家の脚は重い登山靴の紐を締め直し、計画を暗唱して単独行の気にも。

 最後の緩やかな下りには南魚沼郡、大字。湯沢の駅には作家の名が変わった字体で書かれていた。

 

 

 母は岩手、盛岡水沢。蝶屋の注目は、繋ぎ温泉の流れに単独の吸蜜のヒメギフチョウが。

もう一方の仙台は作並の温泉の話だが、クリスチャンの祖母の言う、ギフチョウはやや、困っていた。

 仙山線は3つ目の駅に、山寺に降りてみた。JRの庄内平野をやり過ごし、桃の花がピンクに厚い

絨毯に見える。ここから北へ行くと鳴子、天童に。春は5月の中で、北の白神山地は大きく、

東京への帰り道の路線をミニ時刻表で捜している。大学からの就職に失敗して、名もない職にも、

だが、自由は増えて予てからの希望は。

 

 

 食器棚の皿と2023のカレンダー。此処から、外出は9℃の気温の中に。

下駄箱の履物は。

 

 

 荻窪駅まで、3分はかかるが、途中はやや田舎の環八に近い住居は601号の

エレベーターで。

 

 嘗て、15年目になったことで、冒頭の部分を。 川端の4冊の記憶はここに書いてみた。

JAPANESE, STORY。題は未定。

 東北への旅は、ヒメギフチョウの採集の僅かな情報で上野駅から。

もう一回は車で、東北縦貫を。羽黒丘陵には、ニセの種が居た。宮城、岩手の出身の多い、

家族だが、こういう作品は計のページ数が。

 

 

(一跳に飛べる、京都への道筋)「仮題」

 

作並の旅館の奥の澤は、みなカタクリの絨毯

4月過ぎ5月のホトトギス鳴きしヤマザクラの葉のみの名残に、薄紅の川辺のしだれ桜の花びら1つ落ちて雲はなくコブシとヤマサクラの白に溶けている。

 碧は旅館の橋のほうへ降りていった。先程すれ違った登校の生徒の歓声はどこかの山の林に吸われ消えていた。しんとするカタクリユリの群生を拝見してから旅館に戻った。

 4階の南西の隅の部屋、12畳の6畳続きに、碧とわたしは新婚のように過ごしていた。

仙台市街から45分の電車の経過を必要として、着くここであるがすでに山懐に入っているのは面白く、山は散歩にふさわしいたいしたものである。峠越で庄内へ、道は途中山寺を抜ける。そのうち行ってみようかと思う。

碧は窓のせり出しに腰をかけて、長身の軽いからだから細い足を横に投げ出して座っている。端正な顔は特徴のある少し灰色がかったつりあがった目が行儀よく納まっており、少し薄い唇はピンク色をして白い歯が覗いている。鼻梁がすっと、おもての空気を捉えているのが初々しい。私は大学の講師の仕事を一年間休んで作並に来ていた。大学の職は、私が望んだものであったが、家の事業のほうを継ぐ義務が最初からあり、講師の仕事は一時的なもので、事情は切迫してきていた。そろそろ家業のほうを覚えないと、継ぐのが難しくなるというので、ここ二年の猶予をもらってきたばかりだった。自分では大学での研究を続けたく、さんざん主張してきたのだが、この事態で研究の意欲まで失ってしまった。四十五歳という年齢ですでに自分の夢はなくなっていた。十八年の講師生活にピリオッドを打ってしまっていた。いまここにいるのはその間に貯めた金での放蕩だったのだが、金の工面なら家に頼めばいくらでも可能で、いつのころからか自分の貯金には手をつけずに、仕送りで生活していた。もっとも、生活といえるかどうか、仙台の山に引きこもって物書きをしているに過ぎないのだから。

 仙山線作並駅から、歩くと15分かかる、この桜の橋を渡ってからもう5日になる。

翌朝、風呂につかって浴衣で外に出ると芸子に会った。碧と同じ眼をしていた、すぐに伏せ目になり別の旅館のほうへ消えてしまった。同じ深くつりあがった目であったので思わず声を出そうとしたが、危うく止った。黒の着物の衿の白い襦袢が白く日差しに焼きついた。旅館の女に聞くと、仙台の本町の芸子だろうといわれた。気づいたことがあったのは着物に薄い桜の花が描いてあったことだった。色は赤と紫と青に思えた。目の前の碧の白地の紬の豪華さとは違う質素なものだった。

 碧が髪を整えるのを待って仙台へと仙山線の客となった。多少の購入のためのみであったので、2時間ほどで作並に戻ることにした。青葉城は美しい水の都だが町はくすんだ地味なところだ。駅から歩いていくと鳥が山のほうを飛んでいる、尾の形からトビではなく鷹らしかった。ピーという声がした。鷹は碧の横顔を過ぎて山のほうへ隠れた。芸子が3人連れですれ違って駅のほうへ登っていった、着物は色物で黒のものはいなかった。あの芸子ほどの別嬪は中にいなかった。田舎芸子だからといって美人がいるものでもあると思っていると、碧に手を引っ張られて橋のほうへ下っていった。

 旅館に着くと早速、旅館のものに頼んで谷崎潤一郎を借りて部屋で読んでいると奥のほうで声がしたので本から眼を移したがまた読みふけった。

 

 

 山寺で台法会があるというが、行く気はしなかった。大体登るだけでうんざりするのは必定だ。そのことの声だった。

 「山寺に昔行ったってはなしてましたね、わたし、そういうだけで、行ったことがないのです。」

「それは、君の昔の生き方のことだろうし、納得はしないな」

碧は、特徴のある澄んだ声に、相手の視線を捕らえたままだった。

「ねえ、良いでしょう、わたしだから、そういうのね」

「変だよ、僕にいうにしては、この作並から出るわけにはいかないからだ」

「でも、もういいの、ここがとんでもなく好きなのね、なんだかくたびれたの」

碧が今日は山吹の着物でたっている。とにかく道がくたびれるから遠慮するといって、逃れた。その代わり庄内見物にいくことになった。1日置くことにして、少し気分が変ったように感じた。金に不足のない家のせいで、碧とここに逗泊していたがただ本を読んでいるのも何かと、散策に行くことにした。庄内は桃の花が満開のはずだった。翌日少し買い物をして用意を整える。

 駅のホームであの芸子に再会した、碧が芸子に気づいた。背は緑より多少低いが、確かによく似ている。

「三千館におとまりですか」

とたずねられた。そうだと答えると

「これから、庄内にいかれるんでしたらコレお持ちください」

と天童のコマを二つくれた。金と銀である、お守りにという意味らしく、悪いからといって一応はしたが、受け取った。

 つりあがった目を大きく開いて、言葉少なく挨拶し改札のほうへ出ていた。

帰りの列車ので桃の花が綺麗だったと盛んに言う碧と話をしながら、山寺を過ぎる頃、桃色の塀の話ししかしないし、愛してないというので、包みの庄内餅が妙に重かった。

 

 

 

山深い作並の仙山線の窓は、眼に残る風景だった。国道の車も3台しか見ずにすんだのは運がよかった。カタクリの残る橋の道を渡る、サイシンが新鮮な葉をあちらこちらに覗かせている。ここから北の北上山地の丘陵になぜか思いが及んだ。

「何故、このユリの土を崩すなさる」

少女はわたしを鋭いつりあがった眼で見つめていた。学生時代に北上山地に地質の調査に行ったときのことだ。

目が覚めて安堵した。

あの地域は何か自然の保護の意味があり、確かなにかのジュン林のためであった。それで土地の掘り起し中だった。

 薄い紫の唇に、春の生命のように二つの胸がクット張っていた。

「東京の人?」

もちろん東京からと分かっているはずなのに、なにか別の意味があり、当然当時のそのあたりの戦後の事情と無関係ではない。

 

朝起きると、天童の金銀の駒が机の上においてあった。碧がやったものであることは確かだが、碧はいなかった。床はすでに上げられて、自分の寝床だけだった。

碧が盆にチャと菓子を載せて帰ってきた

「金と銀ではすこうし背が違うのね」

「また駒のことで君と言い争いはできないね、おかしいよ、そんなことを君が言うなんて」

とにかく笑ってしまった、顔が違うに違いはなかった。

 仙山線の音が窓から響いて、また、作並の一日が始まる。すべては山懐に帰っていく。

もう東京に戻る気はしなくなっていた。

 5月下旬になり、新緑も青葉に変った。逗留の軍資金がなくなってきたので、東京の実家に、電報を打った。とりあえず百万送れと書いた。碧が白のワンピース姿で二階に上がってきた。手に白い帽子を持っている。これから、仙台の繁華街に遊びに出るところだった。

 綺麗に化粧した碧に見とれていると、いたずらっぽい眼をしてジっとこちらの顔を見た。

つれて歩くには、十分な美人だとあらためて碧の美しさに目が細くなり、自分の若さに少し驚いた、これくらいの年になると、自分がどう見られようと良いのであるものだが、連れ合いが若い美人であるのを見せびらかしたくなったからである。

「約束よ、ユリの浴衣買うんだから、ねえ良いでしょう、たまにしては、だって、あなたはいつも、逆を言うから」

「ばかか、そういうことはないだろう、あの女のことでもないし、仙台は今日行くことになるのだから」

ひさしぶりの、ショッピングということで女の子らしくはしゃでいる。宿泊といっても毎日、文章ばかり書いている私にとってのただの道連れではやはり嫌だろうと思っていたところだった。巾着のバッグを持った碧といっしょに駅に向かった、わたしは手ぶらである。

電車に乗る前にお茶を買ってぶらさげた。狸が徳利をぶら下げているみたいでおかしいといっていた。ホームで電車を待つが20分経っても来ないので、煙草をさがしだしたが、どうも忘れてきたようで、もそもそしていると碧が巾着の中から煙草を出した。

「わすれるやろうとおもって」

「いつものことやろ、同じ煙草ではないといいそうね」

我ここにありまでにはいかないが、ちらりと舌を出した。

 仙台の街を二人で行く、長身の碧は白いワンピースに帽子が初夏の雲のように健やかで晴れやかである。街を縦横にして目的の着物のある店にたどり着いた。

「これ、どうやろ、菖蒲柄も好きやなあ」

「あなた、またそういうのは嫌いや、君の好きにしたら良い」

「なら、あそこの生地をなんで見てるのです、これのほうが良いに決まっているし、いつもの風にというの」

紺地に白のユリのものがあったので、店のものに話しかけると、碧は薄黄に赤いユリのものを見つけて見ている。

「赤いユリ、オニユリやろ」

「正しい、からってまた言ってる。困るのは君だろう、結局、あそこの店のことだろう」

結局、オニユリの浴衣を着た碧と作並に帰ることになった。店で着替えるときに、奥で店のものとごちゃごちゃいうので、早くしろといったら。見にこいというので着替えに手伝わされた。

「帰るで、あんた」

「これ以外に重いよ、手が痛くなりそうだ」

すっかり女房気取りである。

 仙台駅で釜飯弁当を買って乗った。うまいだろうかと聞くと、高かったからおいしいに決まっているそうだ。そういうものかもしれないが、パクつくところはオニユリの浴衣の美人には似合ってなかった。窓に雨粒が降ってきた、梅雨に入る。

 雨が続いた、もう五日間宿から出ていない、二階の部屋から見えるヤマアジサイが雨に濡れて、白くぼんやり浮かんでいる。そこに、傘をさした碧がでてきた、声を掛けようとして思い止った。ヤマアジサイの中を歩いていく姿を見て、カメラを取り出し撮影した。

シャッターの音が響いたのか、碧がこちらを見つけた。手を振ると、笑って

「ここにこない」

「おいおい、4階からだよ、声も遠いし、聞こえるのかそんな格好で」

と、紫陽花をさす。きれいな紫陽花と白い顔に黒のワンピースの彼女にもう1枚写真を撮影してから、4階を降りた。

 下駄で紫陽花の植え込みのほうへ歩いていくと、小走りに駆け寄った。息が暖かくあたった、気温が低く強く感じ取れた。傘をひとつにしてヤマアジサイを見て回った。足元の雨は気にならないほど彼女を感じた。顔を花に寄せさせて写真をとった、すっとした鼻と妄光を見せるヤマアジサイの白い花弁が同じフォルムで競うように見えた。唇がほの白く軽くあいている、きれいに結い上げられた髪がしっとりと雨を吸っている光景に、手がしびれる気がした。

「きれいだねえ、君も紫陽花も、梅雨時の夢のように見えてるよ」

「嫌なことばかり言うのね、きっとあの花が好きなのだわ、そうよ、そうに決まっている」

と、いうと。帰ろうといって旅館のほうへ行こうとするので、自分の傘をさそうとすると体を離して、ささせるように促がした。ゆっくりと戻っていくと、碧の細い長い脚がワンピースのすそから軽く歩を踏んで行く、たゆみのない歩き方で先に行こうとして、こちらにあわせてくれた。

「長い雨だねえ、上がったらどこか行こうか、そうしてみよう」

「どこなの、そこって悪いことに逢わなければ良いのに、嫌よ、変だわ」

どこか、北のほうが良いといって、陸中の小国なんかの話をし始めた。東北の観光については長い間、作並にいるうちに随分調べたらしい。

 晴れた、ヤマアジサイにメスグロヒョウモンが来ている。

「あの黒いの、なんていうの、普通茶色だよね、それに大きいね、あれ裏側、碧と同じ緑色だよ、緑色で表が黒いんだから蝶じゃないよね」

「そうだ、黒いからだっていうことでそういうのだろう、決まっているだろう、きみのことだし、気違いなんていわれたりしそうだ、」 

メスグロヒョウモンがゆっくりと吸蜜を繰りかえしている。写真を撮ろうとして、カメラにマクロをつけていると、再び窓を見たらいなくなっていた。奥の旅館の裏手にいったらしい。チョウの質問攻めにあって、結局、あれが蝶だと納得してくれた。メスグロヒョウモンをはじめてとったのは小学校4年のときで6年の男の子があそこに変なのが飛んでいる、と、一時間もかけて採集したもので澤筋のミズナラの木の上を何回も大きく旋回して手元に来たのを採集した。はじめてみるメスグロヒョウモンは非常に美しかった。三角紙に入れて見せてくれたとき、なんのことかまだ飛べたらしく、パシと紙を打って飛び離れてしまった。一時間もかけてやっととったのにと、わたしを恨めしそうに見た。

「お前が見たいというからだ」

「おまえのせいで、あっちに飛んだだろう」 

その後、六年のときに近くの林の中で友達と争って一匹を採集した。メスだった、その年、母の実家である岩手に行ったとき、祖父に連れられて川につりに行ったとき川べりを力なく飛んでいるのにあった。川での釣りは全くの坊主で、魚が泳いでいるのが見えるのに全くかからない、田んぼのあぜ道を帰った。石を起こすとオケラがいたのを覚えている。

 祖父は医者で無医村にいて診療をしていた。覚えていない祖母は大変な美人だったらしく、写真はめがねをかけていて、6年の私には美人には見えなかった。当時、どちらかというとタレントの濃い顔が美人だと思い込んでいて、そういう評価になったらしい。庭は広く色々な果物が取れた。昆虫に興味があったので自然の環境が故郷の山は全く異なる、その中で見る昆虫の種は全く新しく見えていた。ゲンゴロウ、タガメ、フウセンムシ、みな初めてみる虫だった、スモモの木にはカブトムシが来ていた。郷里ではほとんどクワガタしか取れなかったので、目が輝いたものだった。家の二階の空き部屋には明るい窓の中でたくさんのヤンマや蝶が入っていたのは今考えると不思議である。

 

 

 

碧に大学の恩師である藤岡知夫氏のチョウの検索図鑑を渡した。

「これに、全種類載っているよ、白黒だけどね、全て正確だ」

緑色の縦長のビニールの表紙の本である。

「スミレ食べるのね」

「ナンだって食べそうにいうのか、僕のことだけじゃあない、葉のことだから」

スミレを食べようが米を食おうが人間じゃなんだからたいしたことではないではないか。

 ヤマアジサイにウラギンヒョウモンが来ている。まずいことにこのあたりはチョウの豊山地だったのにきずき、嫌な気分がした。

「アサギマダラってきれいだね、採ったことあるんでしょう、ねえ大体何種類くらいとったの、50くらいかな、ふふふ」

何種類でも良いだろうと思う。

「ここまでが、その種類だ、数えることばかりなんで面白いし、大変なんだよ」

実際、100余りしかとっていなかった。

「ねえ、60くらい・・・」

嫌気が差した

「105だよお」

「蝶殺し!」

人を殺したわけではないのだから・・・・・・・・・・・・・

「オオムラサキ、何匹殺した!」

「40っぴき」

「ゆるさないよお」

「蝶殺しは人も殺すんだよ」

とりあえず

「人殺しの刑は、あの日のことだし、なぜそう思った」 

雨が上がったので小国へチョウセンアカシジミを見に行くことになったしだいだ。

 

 

 

旅館のヤナギにコムラサキが来ている。昔、郷里では沢山いたが、鬼怒川の下流でクロコムラサキを取ったことがある。これは遺伝型で劣性形質のもので、上流の温泉郷にはこの地帯があるのが有名だ。幼虫もナメクジの3令をとったが、ボール箱に入れている間に落としてなくしてしまった6年のときである。部落の周りには柳が多くコムラサキは沢山取れた、メスとオスの数は同じで飛び方も同一である。裏面の白いところが好きだった。6年前、大菩薩山にいったときに無数に飛んでいたが、旋回が小さかった。舗装道路の峠でジョウザンミドリを見つけた。途中はクロアゲハが飛んでいた。三種類のハナカミキリとアオカミキリをとった。後者はポイントのヤマアジサイに来ていたものだった。このポイントで待てば相当の種類が得られただろうが、帰りにへばって、行きも先を急いだので損をした。帰り道でノコギリカミキリを採った。問題はこのあたりにフジミドリがいるかだろう。それに7月上旬にはオオイチモンジの飛翔も見られるかもしれない地帯でもある。アサマシジミの可能性もありそうだ。

 ついでに、この後の採集についてふれておくと、実は10月になったと思う。

以前、といっても学生時代だが、訪れた上野原の落合である、一色温泉手前の斜面でジャコウアゲハが多産し、ウラゴマダラシジミやオオムラサキも取れる場所に行ったのだが、

ヤマトシジミがいただけの秋の山であった。

 碧を連れて、小国に立った、村の周辺の背の低いトネリコにチョウセンアカシジミが発生するのを見るためである。午後4時になってオレンジ色のゼフィルスがトネリコの上を飛び始めた、近寄ってみることしてトネリコの枝の見えるところで、やっと葉に止っているチョウセンアカシジミが確認できた。撮影もできたがうまく写っているか分からなかった。意外に綺麗だと碧が感想をいう。小さな蝶だが確かに綺麗である。天然記念物に指定されており採集は出来ないのは当然だ。

「ウラキンシジミとどこが違がうんや」

「全部だ、驚いたろう、ええ、これだけだ、取ってしまえば結果は、そのことになるし、あそこのことは言わずにいたので、そういったわけだろう、」

差異は、表面がウラキンでは濃茶であるのに対しオレンジ、裏面は前者が金色であるのに、やはりオレンジで食草はともにトネリコである。わたしがウラキンシジミを採ったのは群馬県の三国峠で、峠道の脇に止っていた。この峠の下に法師温泉があり、6,7月ゼフィルスを豊産する。このとき法師温泉から登ったのだが、渓流沿いにゼフィルスが発生していた。法師温泉は春先4月下旬から5月にかけてトチノキを食べるスギタニルリシジミが発生しわたしも、メスを採集した時期は覚えていないが、東京都の小菅村の林道のワサビ畑のポイントで多数採集したときは全部オスで法師温泉でメスを初めて採集した。高校1年のときに南アルプスの広河原にクモマツマキチョウを採集にいったときに、あった蝶やがスギタニルリとルリシジミの差は羽の形だといっていた。九州産亜種の色は確かにルリシジミと差異はなく形というのも頷ける。ともあれ、無事チョウセンアカシジミを見ることができて作並に帰った。

 作並の旅館にて

碧は検索図鑑を随分見たらしく、色々覚えていた。それまでは東北の観光案内しか読まなかったからだいぶ違う。竜飛岬の話が出たが、津軽は太宰治の故郷で、彼が酒を飲みながら、友人とあのあたりを旅して歩くというのがある。作並からだと遠い。弘前のある陸奥湾を東にするわけであるが、原子力船の母港にもなっている。反対側の下北は有名な恐れ山があり、弘前を見下ろしている。このあたり一帯にカバイロシジミが発生する。北海道のものが飛来して土着したのだろうが、本州ではここのみである。ゴマシジミもいる。

 東北のヒメギフチョウは岩手の繋温泉あたりが北限で、盛岡のそばの高洞山にも多産するが斜面がきつく採集には向かない。この南にいくとギフチョウとの混生地があったりする。最初のことだが作並は4月中旬、ヒメギフチョウを多産するので有名である。食草のウスバサイシンも多く春先には旅館の裏手で沢山取れる。碧にわたしのとったヒメギフチョウとギフチョウの写真を見せたが、以外にさっぱりしているという。写真では質感が分からないのである。春の女神ともいわれるヒメギフチョウで、沢山の写真の対照になってきた。4月下旬にはウスバサイシンの裏に真珠のような卵が産み付けられている。

 7月になって、山形へ抜ける国道を、碧と歩いた。沢山の樹木に囲まれた山道はシーンと奥州の風情をたくわえている。蝶の柄の入った着物姿で後をついてくる。途中、持ってきた、冷やしたお茶を飲んだ。鳥のさえずりの中で開放された気分になれ、歌を口ずさんだ。

碧も一緒に歌いだした。声が山に吸い込まれていく。

 危険な島々谷に入り、鰍沢の岩魚止の小屋での一夜を明かし、早朝、ゼフィルスの乱舞を見る。碧もいっしょだ。

「あの小屋って、なんていえば良いの、小さくて藁くさい、窓だけが2つもあって」 

「檜だよ、それに、左手の、ここが覚えている」

最後のたびになった、わたしは碧と別れ、碧は京都へ行く。

 

 

 シューズは2足あるが、一方は修理をしたもので、新品の方を使ってはいるが、

リビングには次のクランクを通る。JRを越える上にある目立たない通路には。

 

 

コロナの承諾液と新品のガーゼマスク。 もう陽の方が長い逆転に、中央構造線の外である

北陸地方は豪雪に見舞われているが。

 

 

2023/12/25 Authers FACE is in my room of pc of Lavie NEC is 

from Fujitsu techinology.

 

 still lernding on any fiction of new seriese is near that Sirozu & Asimo are

going by so well speed of human possible rate.

 so we take more new systems with last theorys bite to one effect.

Audio sound tone is nt more quality as f caracter is all.

 

(続編)

 

 フェルナンド・アロンソは、2024年シーズンにアストンマーティンがF1のトップ集団のライバルたちに戦いを挑むためには、2024年のデザインで対処すべきふたつの弱点があると指摘した。

 2023年のアロンソのアストンマーティン移籍は成功し、彼はチームの復活の先頭に立って近年で最高のシーズンをもたらした。アロンソの経験と純粋なペースが助けとなり、モナコGP、カナダGP、オランダGPでの2位を含む、8回の表彰台獲得が実現。シーズン前半では、アストンマーティンのAMR23は競争力のあるパッケージであることが証明され、F1コンストラクターズランキングで2位を争うことができた。しかし時間が経つにつれ、チームは一貫性を維持するのに苦戦し、パフォーマンスの低下に苦しんだ。