徳川慶喜は家康以来の器量といわれるが、なぜか。
それは新しい時代のために「日本中の何百万人の武士から仕事を奪う」という途方もない大英断をしたからだ。
大政奉還をすれば日本がよりよい国になるという保障はどこにもなかったのにも関わらずだ。
武士たちは怒り狂ったろう。「オマエなに勝手に人の仕事奪ってんねん!!」と。
今、地球温暖化対策で日本が遅れていると世界から避難されている。
「いや、当時とは状況が違う」という言い逃れはできないはずだ。
憲法十三条で、「人類の幸福のためには場合によっては国民が多少窮屈な思いをする法律を作ってもいい」とちゃんと書いてある。
(無論その場合、基本的人権と、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という生存権を侵すものであってはならないが)
環境大臣に権限がないから対策が遅れているというのなら、法律を変えて環境大臣の権限を強くすればいいのだ。
そのたにめに国会があるのだ。
また憲法十二条には、「自分が楽しけれそれでいいというのはダメよ。人類の幸せを考える責任が国民にはあるのよ」とちゃんと書いてある。
ひとりひとりが当事者意識を持たなアカンのやね。