今日は勉強会がありました。
学んだことをメモ![スマホ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/329.png)
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どうしても、
「あの人、こうしたら良いのに。
教えてあげたい!」
という気持ちが抑えられず、言ってしまうことがあります。
それは、自分が正しいと思ってるからです。
「私はこういう選択をした。
私は正しい。」
と自分の選択の間違いなさを、言いたい時もあります。
「自分は良いことをしている」
「正しいことしている」
と思う心が欲。
自分は正しい、間違いないと思った瞬間に、
それ以上のもの、新しいことが入ってこなくなります。
そこで成長が止まるということを意味します。
自分の判断が間違っているかどうかは、終わってみるまで分からないのに、私の選択は間違ってないと言うのは、
自分が人より優れていると示したい心だったり、
自分が正しいから、他人を導けると思う心だったりします。
「絶対」というのはないし、
常に自分自身の生き方を振り返ってみること。
どれが正しくて間違っているかなんて、私には分かりません。
仏さまに聞きましょうってお話しでした。
仏さまに聞くって、仏像に聞いて、仏像が答えてくれるということじゃないんですよ![ニコニコ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/002.png)
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よく、仏さまに話をしても、答えてくれるわけじゃないのに、って思ってる人がいます。
物理的に話しかけるのではなくて、仏さまの教えを手掛かりに、答えを探しましょうっていうことです。
教えは、お経に書かれている内容のことです。
自分の悩みの解決のために、仏さまの教えをヒントにしましょうって言った方が分かりやすいかもです。
お若い方や、お寺にあまり来られたことがない方は、
「仏さまが、苦しみや悲しみを受け止めて下さいます」
というような仏教のお話を聞くと、仏さまって、仏像のことかと思ってしまう方がいらっしゃるようです。
仏像は、動いたり喋ったりしません。
ただの木の塊か、紙です。
仏像が苦しみを受け止めてくれるわけもないです。
仏教の教えをヒントに自分自身を見つめ、生き方を考えましょう、という翻訳が適当ですかね。
仏教に親しみがない方には、仏さまって仏像のことだったりするので、オカルト的な表現に聞こえてしまう人がいるので、誤解のないような表現をしないといけませんね。
気を付けます![!](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/092.png)
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貸し切りカフェもあった方が良いね👍
グループでのお茶会に参加された方が、実は、あの時話せなかったけどって、お話しして下さることがあります。