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全曜日の考察魔~引越し版

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2001年6月27日、遺族は当該事件を被疑者不詳のまま殺人として徳島地検に告訴した。

地検への告訴と、その結果報告

2001年3月6日、遺族に対して、徳島県警刑事部捜査一課による再捜査の結果報告が行われた。(これが「⑦」まで)

2001年3月18日、テレビ朝日の番組『スクープ21』で、この事件の特集が放送された。

(先述した、スタントマンによる飛び降り実験などをした番組。局は遺族との約束で、徳島県警による再捜査が終わるまで放送を控えていたのだった。)

この番組の制作過程で、取材を受けた徳島県警は、Mさんの車の運転席側屋根にあったいくつかの打痕について、「車を放置現場から阿南署までレッカー移動する際に付いたものである」と回答していた。

これはつまり、遺族が福井派出所の要請で車両放置現場(新逆瀬橋の南側のたもと)に駆け付けた時に既に存在していた運転席側屋根の打痕について、「もともとそんな傷はなかった(阿南署にレッカー移動する際に付いたものだ)」として、遺族の証言を否定した形だったが、

3月6日に行われた遺族への結果報告の中では、県警は当該打痕について「なぜこの傷が付いていたのか、原因はわからない」と説明していたのだった。

(遺族への説明と、局の取材への説明が異なっている形。

この番組(スクープ21)には、

「事件当日の夜、白い車が2人乗りのバイクに追われ、後ろに乗った男が白い車の運転席の屋根に棒のようなものを振り下ろしたのを見た」

「現場の橋(新逆瀬橋)で、左前輪が大破した白い車、その他2台の車と、3人の男を見た」

等の目撃証言も寄せられた。

ちなみに、この番組で行われた検証かは不明ながら、

「運転席側屋根に付いていた打痕の成分を分析したところ、車体に含まれていない錫<すず>が検出され、傷の形状から「錫を含有した棒状の金属による打痕である、との結果が出た」

とのネット情報があった。)

 

遺族は阿南署の初動捜査に手落ちがなかったか、政治の力により監査に持ち込めないかと考え、徳島県議会総務委員会の委員全員や、地元選出の県議会議員に、この事件に関する報道のビデオをダビングしたものに手紙を添え、配達証明で送るなどして掛け合ってみたが、議員らの反応は薄かった。

唯一、共産党の女性県議がこの件について前向きな姿勢を見せ、2001年6月20日と、2001年7月3日に、県議会総務委員会において、県警本部長や刑事部長、交通部長に対して、捜査の手落ちを突きながら阿南署の初動に対する監査を迫るなどしたが、事態を動かすまでには至らなかった。

(しかし、県議会総務委員会での県議と県警刑事部長とのやり取りの中に、気になる部分があった。刑事部長は、「エアバッグで(胸部大動脈損傷という)致命傷が起きたとは信じがたいのですが」という県議の質問に対して、

「エアバッグが一番可能性が強いという結論に至っています。それは、エアバッグに付いておったいろいろの痕跡からも、死者の着衣の検認など、あるいは血液型はBでありますけれども、唾液の付着などの状態があった結果、エアバッグというように考えました」(議事録ママ)

と答えている。

「B型の唾液がエアバッグに付いていた。だからMさん本人が運転していて事故を起こし、開いたエアバッグで胸の大動脈を切ったのだ」

という刑事部長の話だったが、Mさんの血液型はA型なのだった。)

 

ちなみにこの時期、事件発生時の阿南署長その人が「徳島県警首席監察官」に就任していた。

監査を要求されている捜査の責任者だった人物が、今度は県警の監査責任者に収まっている形だった。

この人事については、Mさんの遺体が発見された1999年12月27日の時点ですでに内示が出ていたという。

 

上の県議会での活動とほぼ同時進行で、遺族は弁護士と相談の上、徳島地検に対し、この事件を被疑者不詳のまま殺人として告訴に踏み切った。

 

(以下、妹の手記からそのくだりを抜粋。会話部分、「弁」=弁護士の略)

2001年6月27日、梅雨の中休み。

私たちは徳島地方検察庁に対し、「被疑者不詳のまま殺人」として告訴しました。

兄の死から1年半が経っていました。

殺人は親告罪ではないことから、遺族が直接検察庁に告訴するというのは異例なことなのだそうです。

(中略)

告訴状を受け取ってくれたのは、S検事(仮名)です。

S「この事件を担当させていただきますSです。地検に報告が上がっていなかったので、事件のことは、先日の県議会の報道を見て初めて知りました。そこで、これはお願いになるのですが、告訴状の表書きを再捜査願いに書き換えてもらえないでしょうか?」

弁「それはできないですよ。すでに県警によって再捜査はおこなわれてます。遺族が異例である告訴にまで踏み切った経緯をお考えください」

(中略)

S「お気持ちは分かります。ただ申し訳ないんですが、これは警察と検察の兼ね合いの問題でして。先生も分かるでしょ。検察が告訴を受理したとなれば、警察はヘソを曲げて動きません。検察が告訴を受けたんやから、そっちで調べろってことになるんです。この事件は捜査一課事案でありますから、当然、検問や聞き込み、鑑識作業などが必要になってきます。検察にはそのための捜査員も技術もないんです。ご遺族の一番の希望は犯人検挙だと思います。そのためにも警察の協力は不可欠なんです。そのかわり、きちんと文書で回答をして、ご遺族が納得いくようなご説明もいたしますので。表書きを書き替えてもらえますか?」

(中略)(これまでの経緯もあり、遺族はS検事の要請を拒否した)

S「では、訴状は受け取りますので」

そう言うと検事は、私たちから告訴状と資料を受け取り、席を立ちました。

(中略)

告訴状を提出し、あとは徳島地検の結果を待つばかりだった私に、弁護士の先生から電話が入りました。

「あれからまたS検事に呼び出されてな。どうしても遺族を説得してくれってことなんじゃ。ここは地検の言うように表書きだけ書き替えよう。取り扱いは告訴と一緒にしてくれるから」

一抹の不安がありました。また嘘をつかれるかもしれない。

徳島県警も再捜査に入る時には、文書で回答すると言っていました。だけど約束は守られませんでした。

徳島地検にも、同じように裏切られるのではないのか。

しかし捜査してもらうためには、そうするしかないのかもしれません。

私たちは検事の正義感にかけるしかありませんでした。

(中略)(遺族は検事からの要請通り、告訴状の表書きを「再捜査願い」に書き替えた。したがって実質的な扱いがどうだったかは別として、形式的にはこれは「告訴」ではなく「徳島地検への再捜査願い」に切り替わった)

徳島地検に捜査が移ってからは、彼らの行動は全くと言っていいほど、掴むことはできませんでした。

唯一分かったのは、2回目の同時刻検問(事件発生と同日、同時刻に行う検問)と、目撃者捜しのビラ撒きぐらいだったでしょうか。

捜査しているのか、いないのかも分からないまま、私たちは結果を待つことしかできません。

(中略)

 

2002年3月29日、年度終わりの日に、それは突然やってきました。

S検事が徳島地検から大阪地検特捜部に栄転。

それで、兄の事件の捜査説明をしたいというのです。

もしこの説明で疑問が出たとしても、それを質問する時間はありません。

(中略)(以下、場所は地検の会議室。遺族3人とその弁護士が同席していた)

私はまたいつものようにカバンにカセットテープを忍ばせ、検事の一言一言をメモしていきます。

 

S「まず結論から申し上げますけども、本事件における捜査の結果、並びに県警と証拠関係を照合した場合、本件については第三者の介在があるというには難しいのではないか、というのが現時点での判断であります。

個別的な捜査手法、並びに証拠の詳細な説明は、十分説明しきれないところはあるんですけども、結論はそういうことであります。これは徳島地検の一つの回答として聞いていただいて結構です」

徳島地検の会議室で、S検事は淡々としゃべり始めました。

(それによると)兄はシートベルトを着用せずに運転し、エアバッグによって致命傷を負った。その時点では本人が運転していたが、どうして橋のところまで怪我を負いながら運転したかは分からない。落下した地点も本人が飛べるかどうかも分からない、という結論でした。

物理的、法的にできる限りの捜査はしたが、できないこともある。警察にはビラ配りなども要請をしたが、今の時点では自らの事故なのか、なんらかの事件なのかも解明できない、というのです。

(中略)(以下、弁=遺族側の弁護士)

 

弁「結局、それしか言えないんですね。警察とほとんど変わらんのかな」

S「橋から転落して大動脈が損傷したということはあり得ないと、解剖医の先生も認めています。ですから、大動脈損傷というのは、転落する以前に前からの衝撃によって受傷しているわけです。転落も不思議なんです。それは私も一番の疑問だったのですが、ご本人も亡くなられ、情報もなくて・・・」

何も分からないのに、第三者の関与がないことは分かる。

なんともおかしな回答に、K先生(遺族側弁護士)の質問の語尾はどんどん厳しくなっていきます。

(中略)

弁「あのね、高速道路なんかにもある車両監視システムが、犯罪捜査にはよく使われているでしょ? それで本人が走行途中にどういう状況であったか分かると思うんですけど」

S「車両監視システムは捜査に使われているんですが、それは県警の問題でして・・・。県警が協力しないんですわ。私も何度か要請はしてみたんですけども・・・」

弁「結論から言うたら、警察が見せたくないものが写ってたっていうこと違うん?」

S「いや、それはK先生の勘ぐり過ぎじゃわ」

弁「当然、初動では(車両監視システムを)見てますよね?」

S「いや・・・」

(中略)

妹「検事は、夜、現場に行かれましたか?」

S「昼行きました」

妹「(現場は)夜行くと何も見えないんです。欄干の外側に足が置ける場所は数cmしかないんですよね。警察が言うとおりであれば、怪我を負いながら高い欄干を乗り越えて外側に立つ、という行動に奇異性を感じませんか?」

S「あのね、この件は皆さんが不審がられるというか、事件性があるのではないか、と思われるのは分かるんです。疑問だらけだということも分かるんですけれども、現段階では解明できないんです」

弁「遺族が独自調査を行った結果、初動捜査段階で、警察は聞き込み及び緊急配備を一切行っていないことが分かりました。第一発見者からも調書を取っていないんです。司法解剖した医師が警察に『橋から落ちる以前に致命傷を負っている』と伝えたにもかかわらず、阿南署の説明は、『橋から落ちた時に背中からの衝撃で致命傷を負った』というものでした。最初の捜査が適切に行われ、それが事件性を踏まえたものだったかどうかで結果は変わってきたと思うんです。もしあのとき初動捜査をきちんと行っていれば、証言や証拠があった可能性は大なんですよ。それが失われたとは思いませんか?」

事件が迷宮入りするか早期解決するかは、初動捜査で左右されるといわれています。

弁「遺族はどうすればいいんですか? 最初から(自殺であり第三者の関与はないという)結論ありきの見込み捜査で、検挙できたかもしれない犯人を見過ごしているということですよね」

(中略)

警察が最初にきちんと捜査していれば何か出てきたかもしれない。

せめて解剖結果が出た時点で捜査の方針を変えていれば。

「はい、そうですね、本当に・・・」

検事は顔を上げることなく俯いたまま頷いていました。

(中略)

弁「今日は口頭説明ということでしたが、遺族は、検事が文書回答をするという約束をしたと言っております。今日の説明にあたって質問書を作成してきたのですが」

S「そういう(文書で回答するという)お話はなかったかと・・・」

(中略)

妹「文書にて回答するから、(告訴状の表書きを)再捜査願いに書き換えてくれと、S検事がおっしゃいましたよね。遺族はみんな聞いてます。検事の言葉だから信用できたんですよ」

S「あ、はい、約束したかと・・・」

妹「検事の資料にも『自衛官変死事件』て書いてありますよね。おかしな死に方して、2年たってから物証や証言を集めるのは無理だと、私も分かっています。だから、警察が捜査しないと」

弁「初動捜査が不十分であったというのは、間違いないことやと思うんよ」

K弁護士の呆れたような言葉に、検事は「そうですね」と頷くだけ。誰もが虚脱感の中にいました。

(中略)

検事を責められないことは分かっています。でも最初に警察が動かなかったことについては、きちんと調べなおしてくれると思っていました。

すすり泣く母の声がだんだんと大きくなり、感情が一気に吹き出します。

母「私たちが阿南署を出たのが午前8時30分、そしてY子さん(クリスマスの日のデートの相手)は午前9時に(阿南署でMさんの死因は)自殺と聞いてるんです。なんで阿南署長はたった30分で(自殺という)結論を出したんですか。なんで人一人が亡くなっているのに、そんなことができるんですか。それを検事さんは、なぜ調べてくれなかったんですか!」

父「そして自殺としたにもかかわらず、どうして司法解剖をしたかということなんですよね。切り刻んで・・・本当に、時間をかけて調べてください」

それまで黙って説明を聞いていた父も、声を詰まらせながら喋りだしました。

これで終わってしまう。

いままで2年かけて出てきた疑問は何も解決されていないのに、こんな説明で終わってしまうの?

弁護士も検事も席を立ち、出口へと向かいます。

「先生、一つだけ言わせてください」

椅子から立ち上がった私の声に、検事も弁護士も足を止めました。

妹「S検事、私たちは(福井派出所の警官に)『助けて下さい。探して下さい。拉致されているかもしれない』と訴えていたんです。(その警官に)『女とホテルにしけこんどんやろ。親が知らん女もおるやろ』と言われて、ラブホテルにまで聞き込みに行きました。

その気持ちが分かりますか。助けてくれるはずの警察が動かないことが、一般市民にとってどれだけ苦しいものなのか、検事はわかってくれますか?」

涙を止めることができませんでした。

いままで捜査関係者の前では、絶対に泣くまいと決めていました。涙では何も解決しないと思っていました。

だけど足がガクガクと震え、涙がどんどん、どんどん溢れてくるのです。

妹「一体、何人犠牲者を出せばきちんと動くんですか」

苦しげな表情の検事は、私の顔を見ようとしません。目をつむり、俯いたままでした。

母「寝ずにこの子は調査してたんですよ。東京や広島に行ったって、夜運転するんですよ。昼間は調べるんです。時間が勿体ない、証拠がなくなるからって。

それなのに、警察は何もせずに(自殺だと決めつけるのに)30分ですよ。だったら、なんで解剖せなあかんかったんですか? こんなウソが通る世の中、ほんまに情けないですよ。この子はS検事を信じてたんです。S検事は立派な人やって・・・検事!!」

弁「あかん、検事に触ったらあかん」

号泣する母が検事にしがみつこうとするのを、弁護士が止めました。

父が倒れそうになる母を抱きとめます。

その間に検事は会議室を出て、検事正の部屋へと入っていきました。

(引用終わり)

 

(※ 検事とのやり取りのくだりについて、未解決事件本『真犯人に告ぐ』によると、

妹「検事さんは話すのが苦しそうでしたよ。『料理しようにも材料がないんです』って言ってました。初動捜査をまったくしてないから、現場の保存も何もなかった、って」原文ママ)