12月22日 水曜日
本日は長文になります。
ゴルフのことですが、先輩からいただいたメールの内容を転載いたします。
ご興味あればお読みください。
なかなか深い、いい話だと思いますが。。。
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昨日、スピードブランディングの鳥居祐一さん主催の、
プロゴルファー片山晋呉さんの講演会に行ってきました。
もう、感動と興奮と涙の90分!!
最前列中央で聞いたのですが、何度もプロと目があって、超最高でした。
でとりわけ興味深かったのが、彼の「変身」についての話。
プロ入りして2年、全く勝てないどころか予選落ちの日々。
ところが1998年に初優勝すると、あれよあれよという間に25勝。その間に
プロでは3人しかいない3年連続賞金王を手中にした。
(2004、2005、2006)
なぜ突然強くなったのか、という質問に対し。。
彼はいきなり病院の風景を語り始める。。。
総合病院で廊下が寂しい感じで、そこで父があと余命少ないことを
先生から告げられたんです。
それを一緒に聞いていた母と妹が突然泣き出したんですね。
その2人が泣いているのを見たとき、突然、稲妻みたいなものが僕の身体を
貫いたんです。
父の死というよりも、この2人の涙をみて、僕が守ってやらなくてはいけないな、
予選落ちの日々でダラダラ過ごしていてはダメなんだ、と強く思ったのです。
片山プロの話し方はとてもゆっくりです。ひとつひとつ言葉を慎重に選び、
その言語のむこうに広がる風景を思い返しながら、ときにはその風景を
味わいながら語ります。
だから聞いている僕らは、なにか映画をみているような錯覚に陥ります。
■2000年にマスターズに初参戦したときのエピソード
通常、マスターズの招待状はクリスマスカードと一緒に届くのです。
でも僕は来なかったので諦めて、日本の試合のプロアマ戦に出てたときです。
自宅のFAXになにか英語の文字で書かれた文章が届いた、と母からの電話。
なんとそれがマスターズからの招待状だったんです。
その後、公式に招待状をもらいましたが。それがマスターズの2週間前。
まったく準備をせずにアメリカへ飛んだ。
セントオーガスタはとんでもない田舎でアトランタ空港から車で何時間も
かかります。日本でいえば東京と仙台くらいの距離があるんじゃないか。
小さな国道沿いの田舎町に入ります。周りは畑ばかりでなにもありません。
そこにmembers only とかかれたプレートがあるのです。そこを右折すると、
オーガスタの門があります。
200メートルくらい続く直線は樹々に囲まれています。
その向こう側に、白いクラブハウスが見えるんです。
マスターズはゴルファーなら誰もが絶対に参加したい特別なもの。
その白いクラブハウスを樹々の向こうに見たとき、ものすごい感動に襲われて
涙が止まらなかった。
今でもその風景を思い出すと涙が出てきます。
僕はここまで来たんだと。。
(実際、話す片山プロの目にうっすらと光るものが見えたような気が
しました)
そんなものだから、初日の1番ホールのティーグランドではものごく緊張して、
指が震える。なんと、ティーアップしようとしてもボールが落ちてしまうのです。
2回失敗して、3回目にようやくボールが乗りました。
とにかくチョロでもいいから前に飛んでほしいと思って振ったショット。
ボールは180ヤードくらいしか飛びませんでした(笑)
記念すべきマスターズの1番はトリプルボギーでした(笑)
同伴競技者が誰かわからないほど緊張していました。
■2005年マスターズ、ニクラウスとまわった思い出
2005年のマスターズでは予選2日をニクラウスとまわりました。
それがなんと彼が最後のマスターズ参加を表明したあとだったので、
18ホールどこを歩いてもスタンディングオベーションです。
だから彼の前を歩くわけにはいかず、といっても彼は高齢なので
足が遅く、最初からリズムが狂いました。
誰もがニクラウスとまわりたくない、と思っていたことでしょう。
予選組み合わせを告げられたときは、正直
「え?俺???なんで俺なの?」と思いましたよ(笑)
でも、彼が出場するマスターズの最後の試合を、一緒にまわれるというのは
これはとんでもないことなんだと後で気づきました。
ニクラウスといえば、地球上でもっともすごい人なんです。
2日目の最終ホールのグリーンでは、ニクラウスがパットをするときに
同伴競技者の僕は立ってみているわけですけど、パトロンたちが、
お前、ちょっと邪魔だよ、ニクラウスが見えないよ、と言われて
なぜか僕がグリーン上でしゃがまなくてはなりませんでした(笑)
そして、
■2009年のマスターズ、単独4位。
この4日間というのは、すべてがかみあってました。ショット、アプローチ、
パット。どれをとっても文句のないプレーができました。
それでもトップ(3人、つまり、カブレラ、ケニーペリー、チャドキャンベル)
には2打及びませんでした。
最大限の自分の力を出し切っても世界のトップには2打及ばないのだ、と
いうことを知りました。
また同時にもし自分がプレーオフに残れれば必ず勝てる確信がありました。
というのは勝っている回数がトップ3人よりも僕のほうがあるからです。
プレーオフの経験も僕のほうが多い。
しかし2打足りなかった。
ただここで言えるのは仮にプレーオフを僕が制し、勝っていたら、
自分の夢が実現されたことになるから、
その瞬間すべてのスイッチ、10年間一度も切らなかったスイッチが
すべてオフになったことでしょう。
と他にも全米プロ単独4位の裏話、全英オープンには全く思い入れがないし、
勝ちたいという気持ちもなかったことなど、驚くような話のオンパレード。
質疑応答コーナーでは僕も質問しました。
アニカ・ソレンスタムは優勝がかかった最終日の前夜、眠れなくなって
できることならどこかへ逃げ出したいと思ったことがあるという、
宮本プロは小説を読むというし、石川遼はたっぷり寝ます。
片山プロは優勝がかかった最終日の前夜、ホテルで一人でいるときに
なにか自分の心落ち着けたり、マインドをコントロールするようなことを
やってるのですか?
と。
僕以外にも5、6人質問したのですが、一人一人の質問にめちゃくちゃ、
えらく丁寧に答えてくれました!!
で、片山プロの回答ですが、
トーナメントプロは1年間ずっと試合をし続けなくてはなりません。
毎週毎週繰り返されます。
だからいちいち緊張していたら身体が持ちません。
飲みに行くやつもいるし、麻雀をしているやつらもいる。
普段みなさんがやっていることと変わらない生活をおくっているものです。
最終日といえど、前夜深酒してものすごく酒臭い人いますよ。
でもゴルフが不思議なのはそういう人が勝っちゃうことがある、ってことです。
何をすればよい、何をすればダメというのはないのです。
ほかに印象的な話としては、
アマチュアがうまくなりたかったら、客観的に自分のスイングを見れる人から
習ったほうがいいです。そのとき重要なのは指導するのに100円でもお金を
とる人から習いなさい。(つまりレッスンプロから習えということ)
お金をとる人から習わないとダメです。
現在、まだ次の目標が見えないのです。2009年のマスターズでは僕の夢が
ある意味達成されたと言って良い。そういう意味ではすごく不安な毎日を過ごして
います。
各地を転戦するゴルファーは、仲間同士で群れています。一緒に飲みにいったり。
でも僕はそういうことしません。一人でなくてはダメなんです。
日本以外、世界のどこへ行っても、プロたちは一人で過ごしています。
レストランでも一人で食事をしています。以前、コーチから、一人で転戦できなくては
勝てないと言われましたが、この意味が最初は分かりませんでしたが、
世界へ出てみて、一人で食事をするプロたちをみて、初めてこの意味が分かりました。
僕は10年間は日々努力の連続でした。缶ジュースを自分で開けることもしません。
はたから見れば横暴な感じですが、もしかして指を切るかもしれないから僕は
人に開けさせていたのです。そのくらい生活の細部にも緊張を強いられるのです。
彼の話を聞いて、2001年に全英オープンを制したデビッドデュパルがその後
全く勝てなくなったのを思い出した。
片山プロの言葉に会ったとおり、文字通り、全身のスイッチがオフになったのでは
ないか、と。。
本当にすごく濃密な90分でした。片山プロの魔法にかけられたようでした。
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