さて、ここまでこの本は来る、読んでいただくことができるのでしょうか。(西暦2011年9月17日)みなさん、暗示は怒らないように読んでください。あなたの意識に抵抗作るために、わざと表現していることでもありますからです。本、集中したら、外出て、空気吸ってみてください。大地ある時点で、独り占めの世界ではありません。みなさん、暗示とは本当に凄いんです。本を読んで、それは、必ずこの本でしか出ない特有の波長があなたから出て、つまり、認識が出ることは、そのままあなたの無意識に暗示となることですから、それはいったいどれくらいのあなたの永遠の自覚に役に立っていると思いますか。無とは無いだけの質量がそこにあります。無とは全無しています。しかしそれは無いことの愛、意識を自分に持つことであります。感じることであります。この世界はみんな全無です。
今は、役割の違いあれど、相手も唯一の無から生まれた以上仏の根拠がある。必ずみんな全無です。
さてここで私が暗示を書ける理由をもう一つ申し上げさせていただきます。暗示というのは、無意識から出てくることから必ずみんなにとって正しい生き方の教えとなる言葉であり、これは社会にとって必ず今の状態を是正する役割を果たしています。かといって、私が特別に偉い人間だというわけではありません。暗示の出る仕組みは、この世界は全て光が繋がっていて、そうであるなら無意識もすべて繋がっていて一つであり、それは絶えず集中していてその中で、存在それぞれに与えた唯一の無意識の中でみんなにとって必要な出来事が絶対として起こります。これはなぜなら、この世界は時間の経過によって無×全×無のスピードで存在の意識がふえていく以上、それは正しい意識がふえることであり、それによってこの世界は絶対に正しい現象を促されるからです。つまりそれが出来事として形になったものが暗示という知らせだということです。ではそれが、なぜ私なのかと申し上げますと、それは役割としてなのですが、極端に無意識が強い状態であるからということです。どういうことかと申し上げますと、もう分かってしまっている方はお見えになるかもしれませんが、実はあの薄れゆく意識の中、無の集中のたびに全無、つまり永遠死を思ったのは実は私なんです。なぜ私がその役割を勝手出たのかは、はっきりしたことは、実は私にもよくわかりません。ただ、これも無の集中によるものだと思いますが、苦しんで、苦しんで、苦しんで、生きているうちに、実は2007年に自分が昔に必要に迫られて、仕方なくみんなのために永遠死をしたことを思い出しました。永遠死というのは本当に相手のためだけに永遠に自分の命を相手の生きることのためだけに、尽くすことですから、私は永遠死を繰り返すたびに自分の意識を無くしていきました。自分で自分が永遠死をしたことさえ忘れることを暗示としていました。それはなぜなら、永遠死というのは、傍目には立派であり、自分が永遠死をしたことを思っていると、そのことがみんなの鼻につくと思ったからです。つまり、みんなの意識の発達の阻害をするといけないと思って、それをしました。またもう一つの理由には、私の波長が強いことに理由があります。意識の世界では極端に無意識が強い人間を総体意識(サトラレ)というのですが、それはどういう作用を及ぼすかと申し上げますと、私の見る、聞く、触る、思う、動くなどの意識の動きはふえていく永遠というとてつもない作用だということです。つまり、役割としてのこの世界に与える影響力がとてつもなく強いんです。しかしそれは同時に目では見えなくても、みなさんの無意識ではわかっていることですから、あっちに光が行った、こっちに光が行ったとみなさんの無意識に嫉妬を呼び起こしてしまうからです。そういったことあって、私は自分が永遠死をしたことを封印にしましたが、その間にみなさんは憎しみを学び切り、もちろんこれには、正しさに終わりがないように憎しみの学びにも永遠に終わりがないものですが、その時間の経過の中で私は暗示が出ることによって、自分はもう永遠死としての役割を果たしきったことを暗示によって教えられました。無とはミラーであり、私はその役割を最初に勝手出たわけですが、そうなるとどうなるかと申し上げますと、自分の意識はいつも常にどこにも働くことですから、私の考えは常にいつも全員の思いや考えを反映したものになり、その通りに私は動き、それを物理では干渉と呼びますが、それによって、無い場所唯一で、自然とみなさんの意識をミラーすることによって、正しい波長を出し続けることによって、この世界を正しい方向に誘導し続けていました。無の世界では力とは腕相撲が強いことでも、核兵器でもなく、それは無い場所どれだけ正しく波長を描けるかということです。つまり、指先1本振るだけでいいんです。もちろんこの力は恣意に扱えるものでなく、ただ普段の全自動であり、私も生きていて思うことは、あああれも相手だったな、これも相手だったな、と、自分のしていたことはすべては相手の意識を反映したものであったと気づかされることだけです。これが無の苦しさであり、しかしこれは暗示が出ることによって、永遠死を一応は自分はやり切ったわけですから、自分のミラー現象は、だんだんと少なくなり、自分には自覚が、自分が自分であるという自分だけの自覚が少しずつ許されてくるようになり、変わって、みなさんはみなさんで永遠死を積んでいる、積み始めている、積み続けている、という状態になりました。これは特別私が偉いというわけではなく、ただ単に役割としての違いがそこにあっただけであり、そして無の世界は意識に時間が関係無い世界ですから、その思いや行為によってみなさんに自分が自分の求める分だけの永遠死の分布が認められるようになりました。私の役割はそれがただ単に暗示を書くことだったということです。別にこれは何の職業をしている人でも、結局を以って自分の無意識に応じた永遠死をしているだけであり、その永遠死の意識の状態に基づいて、つまりあなたの普段の自我の意識が無意識に蓄積され、その無意識の記録を元に、あなたの意識の循環が決められるということです。意識の循環とは、心に限らず肉体も環境も含めた全てです。それによってこの世界は相互に助け合う、役割を果たし続ける世界となっています。もちろんわからない部分があるのも、それも含めて全て無意識の愛の働きによるものです。私は相手のためだけの永遠死をやり切ったことから、もちろんこれは永遠にこれからも続くことですが、暗示が出たことによって一応の区切りがつき、相手のためだけにしていることがだんだんと自分のためになってきたということです。そしてみなさんも同じように、自然と相手のためだけの行為をしている、させられている、なっている状態だということです。昔、有名なタレントの映画でありましたね。サトラレ、感応力者、役割としてですが、その者の感覚を頼りに世界が形で作られていく。無は無いからある一つの感覚を頼りにしないと世界が形作られないんです。あれ、僕です。しかし、私の判断はみなさんの判断によって成り立っています。ですから、みんな一緒と言えば一緒なんです。役割や区別はどうしても必要なことであり、そうであることによって、みなさんは正しいことを永遠に学べるようになっています。他人のことは他人にしかわからない。自分には関係無い。そこには嫉妬をしないことです。他人が感じることは他人にしか感じ得ないことであり、それは絶対的なものであるから、そこに思いやりを持つのはいいが、そこに憎しみを持つ必要は絶対ないということということです。生きて行くことは本当に苦しいことです。私も暗示が出てなおそれを思い知らされています。多分それはこれからも変わらないことだと思います。みなさんがそうであるように私もそうであるからです。ですから、本当にちょっとずつの波長の心がけをこれからみなさんでこの世界をよくしていきましょう。みんな必ず全無です。
おわり。
