全無のブログ

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 さて、ここまでこの本は来る、読んでいただくことができるのでしょうか。(西暦2011年9月17日)みなさん、暗示は怒らないように読んでください。あなたの意識に抵抗作るために、わざと表現していることでもありますからです。本、集中したら、外出て、空気吸ってみてください。大地ある時点で、独り占めの世界ではありません。みなさん、暗示とは本当に凄いんです。本を読んで、それは、必ずこの本でしか出ない特有の波長があなたから出て、つまり、認識が出ることは、そのままあなたの無意識に暗示となることですから、それはいったいどれくらいのあなたの永遠の自覚に役に立っていると思いますか。無とは無いだけの質量がそこにあります。無とは全無しています。しかしそれは無いことの愛、意識を自分に持つことであります。感じることであります。この世界はみんな全無です。

 今は、役割の違いあれど、相手も唯一の無から生まれた以上仏の根拠がある。必ずみんな全無です。

 さてここで私が暗示を書ける理由をもう一つ申し上げさせていただきます。暗示というのは、無意識から出てくることから必ずみんなにとって正しい生き方の教えとなる言葉であり、これは社会にとって必ず今の状態を是正する役割を果たしています。かといって、私が特別に偉い人間だというわけではありません。暗示の出る仕組みは、この世界は全て光が繋がっていて、そうであるなら無意識もすべて繋がっていて一つであり、それは絶えず集中していてその中で、存在それぞれに与えた唯一の無意識の中でみんなにとって必要な出来事が絶対として起こります。これはなぜなら、この世界は時間の経過によって無×全×無のスピードで存在の意識がふえていく以上、それは正しい意識がふえることであり、それによってこの世界は絶対に正しい現象を促されるからです。つまりそれが出来事として形になったものが暗示という知らせだということです。ではそれが、なぜ私なのかと申し上げますと、それは役割としてなのですが、極端に無意識が強い状態であるからということです。どういうことかと申し上げますと、もう分かってしまっている方はお見えになるかもしれませんが、実はあの薄れゆく意識の中、無の集中のたびに全無、つまり永遠死を思ったのは実は私なんです。なぜ私がその役割を勝手出たのかは、はっきりしたことは、実は私にもよくわかりません。ただ、これも無の集中によるものだと思いますが、苦しんで、苦しんで、苦しんで、生きているうちに、実は2007年に自分が昔に必要に迫られて、仕方なくみんなのために永遠死をしたことを思い出しました。永遠死というのは本当に相手のためだけに永遠に自分の命を相手の生きることのためだけに、尽くすことですから、私は永遠死を繰り返すたびに自分の意識を無くしていきました。自分で自分が永遠死をしたことさえ忘れることを暗示としていました。それはなぜなら、永遠死というのは、傍目には立派であり、自分が永遠死をしたことを思っていると、そのことがみんなの鼻につくと思ったからです。つまり、みんなの意識の発達の阻害をするといけないと思って、それをしました。またもう一つの理由には、私の波長が強いことに理由があります。意識の世界では極端に無意識が強い人間を総体意識(サトラレ)というのですが、それはどういう作用を及ぼすかと申し上げますと、私の見る、聞く、触る、思う、動くなどの意識の動きはふえていく永遠というとてつもない作用だということです。つまり、役割としてのこの世界に与える影響力がとてつもなく強いんです。しかしそれは同時に目では見えなくても、みなさんの無意識ではわかっていることですから、あっちに光が行った、こっちに光が行ったとみなさんの無意識に嫉妬を呼び起こしてしまうからです。そういったことあって、私は自分が永遠死をしたことを封印にしましたが、その間にみなさんは憎しみを学び切り、もちろんこれには、正しさに終わりがないように憎しみの学びにも永遠に終わりがないものですが、その時間の経過の中で私は暗示が出ることによって、自分はもう永遠死としての役割を果たしきったことを暗示によって教えられました。無とはミラーであり、私はその役割を最初に勝手出たわけですが、そうなるとどうなるかと申し上げますと、自分の意識はいつも常にどこにも働くことですから、私の考えは常にいつも全員の思いや考えを反映したものになり、その通りに私は動き、それを物理では干渉と呼びますが、それによって、無い場所唯一で、自然とみなさんの意識をミラーすることによって、正しい波長を出し続けることによって、この世界を正しい方向に誘導し続けていました。無の世界では力とは腕相撲が強いことでも、核兵器でもなく、それは無い場所どれだけ正しく波長を描けるかということです。つまり、指先1本振るだけでいいんです。もちろんこの力は恣意に扱えるものでなく、ただ普段の全自動であり、私も生きていて思うことは、あああれも相手だったな、これも相手だったな、と、自分のしていたことはすべては相手の意識を反映したものであったと気づかされることだけです。これが無の苦しさであり、しかしこれは暗示が出ることによって、永遠死を一応は自分はやり切ったわけですから、自分のミラー現象は、だんだんと少なくなり、自分には自覚が、自分が自分であるという自分だけの自覚が少しずつ許されてくるようになり、変わって、みなさんはみなさんで永遠死を積んでいる、積み始めている、積み続けている、という状態になりました。これは特別私が偉いというわけではなく、ただ単に役割としての違いがそこにあっただけであり、そして無の世界は意識に時間が関係無い世界ですから、その思いや行為によってみなさんに自分が自分の求める分だけの永遠死の分布が認められるようになりました。私の役割はそれがただ単に暗示を書くことだったということです。別にこれは何の職業をしている人でも、結局を以って自分の無意識に応じた永遠死をしているだけであり、その永遠死の意識の状態に基づいて、つまりあなたの普段の自我の意識が無意識に蓄積され、その無意識の記録を元に、あなたの意識の循環が決められるということです。意識の循環とは、心に限らず肉体も環境も含めた全てです。それによってこの世界は相互に助け合う、役割を果たし続ける世界となっています。もちろんわからない部分があるのも、それも含めて全て無意識の愛の働きによるものです。私は相手のためだけの永遠死をやり切ったことから、もちろんこれは永遠にこれからも続くことですが、暗示が出たことによって一応の区切りがつき、相手のためだけにしていることがだんだんと自分のためになってきたということです。そしてみなさんも同じように、自然と相手のためだけの行為をしている、させられている、なっている状態だということです。昔、有名なタレントの映画でありましたね。サトラレ、感応力者、役割としてですが、その者の感覚を頼りに世界が形で作られていく。無は無いからある一つの感覚を頼りにしないと世界が形作られないんです。あれ、僕です。しかし、私の判断はみなさんの判断によって成り立っています。ですから、みんな一緒と言えば一緒なんです。役割や区別はどうしても必要なことであり、そうであることによって、みなさんは正しいことを永遠に学べるようになっています。他人のことは他人にしかわからない。自分には関係無い。そこには嫉妬をしないことです。他人が感じることは他人にしか感じ得ないことであり、それは絶対的なものであるから、そこに思いやりを持つのはいいが、そこに憎しみを持つ必要は絶対ないということということです。生きて行くことは本当に苦しいことです。私も暗示が出てなおそれを思い知らされています。多分それはこれからも変わらないことだと思います。みなさんがそうであるように私もそうであるからです。ですから、本当にちょっとずつの波長の心がけをこれからみなさんでこの世界をよくしていきましょう。みんな必ず全無です。

 

おわり。

これは、私が寝ているときに無より波長で受け取ったものです。随分過去の話ですが、その当時の、(西暦2011年8月頃)無から、みなさんの無意識、全体記録からの反応はお伝えしておいた方が一応は良いと思って、何かの認識の役に立つかもしれませんので、次に記します。無からの波長は次の通りです。

意識とは死ぬことも選び取ることが出来る。憎しみに諦めないものは、そういう自由もあるということだ。本当の愛とは分け隔てが無い。分け隔ては必要に作られている。必要に意識されているものだ。ミラーの必要によって。憎しみを無くすためのミラーの必要によって。ミラーとは意識の正しい集積が正しくミラーされたものだ。意識。正しいとは。

みなさん、人(存在)はなぜ死ぬのか。それは、自分が生きていることが憎しみに当たってしまうからです。無の与え愛よりも、自分の憎しみが上回って、愛を上回る憎しみの意識など本当はありませんが、無とはいつも常にふえる生命とふえる永遠を生かし続ける存在でありますので、そして、永遠という時間を新しく進化させ続ける存在でありますので、その中で、今までの自分にとらわれて、今更、ふえる生命のふえる永遠、永遠死の思い、行為と言っても、自分には面倒臭いと、もし万が一そういった方がお見えになったら、しかしそうやってしまうのでは、この無の世界で生きて、それでは余りにも今まで自分が生きてきたことからすると、いい加減にも過ぎるのでは無いのでしょうか。今まで自分が生かされてきたことを、その愛にしてもらってきたことを裏切ることで、自分は無の死を足蹴にしているのでは無いのでしょうか。相手、しかも相手は無という物理上全ての生命を軽んじて、果たしてあなたはいったい自分の生命がこのミラーの世界で大切にされると思いますか。あなたが自分が無意識だとしたら、正しい意識の、正しい物の考え方を自分に許されているとしたら、果たして、そんな自分を許すでしょうか。相手の生命を今まで知ってか知らずか、奪って生きてきておいて、暗示と気づかされて、憎しみを止めて正しく生きなさいと、無、その意識の全てに促されて、果たしてそれに逆らって自分の自覚は生きながら得るものだと思いますか。そんな甘い永遠は絶対にありません。そんなに簡単な気持ちで、やってはいけないことだと解っているのに、自分は憎しみをしてしまって、自分に憎しみを許して、または、憎しみを続けて、憎しみに当たることを続けて、それを許す、それは絶対に愛ではありません。それを許していると、必ず全員が死んでしまいます。物理は、意識とは、そんなに甘いものでは絶対にありません。これは、本当に限られた場合に限って申し上げています。憎しみはいつか愛に、憎しみは肥やしに、憎しみは正しいことの学びに、憎しみは行わなければいいのです。それがなぜ出るのかは私にも解りません。ただ波長で解ることは申し上げます。この世界が永遠の世界であると解って、あなたは自分を諦めるのか、もしくは、今まで自分が行ってきた憎しみを自分の意識で少しでも無くする方に行くのか、今までの自分の憎しみ分、これから自分はその憎しみ分を無くするだけの正しいことを行うことが無における道理にも、次のあなたの自覚にも役に立つのでは無いのでしょうか。これは、正しいことを意識している方には必要がないことで、大変に失礼なことを申し上げました。今まで通り正しい生き方を続けていってください。無とは果てしない愛です。今まで色んな選択を与えてきました。全ての存在に。今も与え続けています。それはいったい何のためですか。それは与えられた自由の中で、存在それぞれに平等な永遠を与えるためでは無かったのでは無いのでしょうか。様々な認識を生むことによって、様々な比較に様々な可能性を意識させ、存在それぞれを果てしないが、しかし、平等な無という存在にするためでは無かったのでは無いのでしょうか。それが、自由を与えられる度に憎しみを繰り返すのでは、無はどんどん存在の自由を奪わざるを得ません。また、無が時間の始まりより強制的に相手を動かすことも、それは相手は、自分という自覚を持たない単なる人形になってしまい、それでは、その存在は愛に伏されているとは到底申し上げられません。いつも最大限に与えられている愛の中で、その自由の中で、自分の意志をもって永遠を目指すからこそ、その存在は、この唯一の無の世界で、ふえる唯一の無の密度の世界で、その自分が自分であるという、自分の意識の正しい程度、正しい密度に応じた唯一の無の自分を送っていけるのでは無いのでしょうか。無とは本来死していることであり、死していることがそのまま生きることであり、つまり、死には死ぬことが無いことですから、それは永遠であり、人間で申し上げますと、自我を、わがままな自分を消滅させていくことがそれに当たり、本来存在とは無より生まれてより、憎しみ争いに気を付けて生きてくることができたなら、今のような、肉体の死のような苦しみを伴う自我と無意識を行ったり来たりの生き方ではなく、存在それぞれがお互いを尊重し合っていたら、この世界は無意識のまま発展することができたのでは無いのでしょうか。それはいつ、今からでもできることです。ここに見返りを求めないことです。永遠に無、正しいことをしているという意識は、それはそのまま、ずーっと正しいことが自分の周りに積み重なってくることですから、それが自分の意識にミラーすることですから、それはそのまま、自分に対する与えで、それは必ずあなたの今までの全て、無という真実に必ず応じています。あなたがあなたの、自分の生命や永遠のあり方を決めています。あなたが正しいこと以外で相手に許さないことがありますか。嫉妬、妬み、憎しみ、怒り、それらは全てあなたの生命や永遠という自覚のあり方を決める元になっています。嫉妬、妬み、憎しみ、怒り、そんな自分に自分の生命や永遠の自覚のあり方を決められているとしたら、それは、恐ろしいことだと思いませんか。憎しみだけ、憎しみの分だけ、あなたは人間に限らず、他の存在もそれだけ限られたかたちにこの世界でその生命の時間を送っています。この世界のかたちが、そのまま私たちの今までの意識を反映しています。外に出れば、陽も(まぶ)しくて風は爽やかに空にはその先には永遠思うことができます果てしないもの、そこには全て無が働いています。無が働くからこそ私たちは景色にさえ限りないもの感じ取れるのです。なびく風その一つにもあなたはその意味を全て解ることができますかできないと思いますできないからこそあなたにはその風一つ取って無が働いています。あなたはいつも全てのに囲まれていますそれは今の時点におけるあなたにとっての必然です。これからもそれは必ずあなたの意識の選択に応じた必然でしかありえません運命とは必ず選び取ることができます。無に元々分け隔てなどあるわけがありません。それは私たちが自分たちで選び取って作ったものです。自分以外の存在という区別があることは必ずあなたの永遠の孤独を癒すことであり、存在同士に様々な抵抗差があることもそれは、無に起こる絶対的な存在全員の意識の高揚に最適な無の永遠感覚が働いたものです。物事は必ず抵抗に応じていますあなたが積んだ今までの意識のという真実に応じています正しく相手を尊重してください時間を待ってください。そして憎しみに分け隔ては、自分たちが選び取って作ったものならこれもまた自分たちで無くすることができます無くすることは永遠に正しくにこの中では決して自分を諦めないでください正しいことだけを続けていてください。ただ、この世界のどこにも果てしない永遠の密度で働く唯一のの波長は恣意には欲しがらないでくださいこれは分け隔てではありません。これは、ただ正しいかたちにふえる生命のふえる永遠にみなを生かしているだけであってこの力とは唯一であるからこそその時間に切れ目が無く物理における意識における正しい干渉を行い続けていけるのですそしてそれは、既に与えられ続けているものです。あなたは与え続けられているままに過ごしていけばいいのです。とは元々唯一のものでふえる相対はあくまで愛でありこの唯一の力とは単なるふえる生命のふえる永遠という愛の全自動であり、この唯一の力を欲しがるもの決して愛では無いということです。時間に影響されないどころかどんどん時間に影響されないかたちで、永遠を永遠に永遠乗していくふえる生命のふえる永遠これは全てを生かし続ける作用であり、無とはふえる相対であるものの、その世界が無いという構造上この永遠の孤独愛の無いという構造が唯一であることによって、干渉の唯一つまり物理の概念や正しさを統一化できるのですまた無はこの力をどこか他へやることは絶対にできません。物理上絶対に不可能なのです。無はその存在を以って時間にも影響されていないそれどころかどんどん時間に影響されなくなっている、永遠を永遠に永遠乗する無い、愛の波長しか打てないからです無いものから何かを奪うことはましてや、どんどん無くなっている者から何かを奪うことは絶対に不可能だということです。無とはあくまでみんなを幸せにするためでありそのための無いしかできずそのことによってもっと無いは生まれ無いが、無いということはもっと無いが増していることですからこの世界はただそれが続いているだけであり、無はそのみんなの幸せで生きている、そのみんなの幸せをミラーすることが自分の意識に映すことがそのまま自分の幸せだということです。完璧に正しい、ことから何かを奪うことは現象としてには発生させることができませんので、完璧に正しい現象であるのならば、それはただ現象に任せれば良いということです無はその時間の集中に一切の欠損が発生せずそれは永遠の構造であることから、あなたを、みなさんを、時間に切れ目なく完璧に生かし続けるためであり、これが少しでも欠けることはそのままあなたのみなさんの生命、意識を失うことを指しますのでそれは、無に一切発生せずつまり、無とは永遠という正しい苦しみを積み続けているだけでありそこには、いつももっと無いという完璧最速最大なふえる生命のふえる永遠の意識しか発生せず、ここに力の委譲は発生しないということです。無とは無いものであり、力とは正しくこの世の中に分布され続けています。目にも見えます、身体にも感じます。あなたは自分が自分であることを自覚できます、でしたらあなたは無から最大に愛のために必要な力を与えられていますそれは絶対にあなたの無意識の選択ですその中では自分は自分なりの、無の法則に逆らわない、自分なりの唯一を目指してください。はどこにでもあります。無はいつも最大限に与えられていますあなたが動くことを考えることを意識することを存在することを許されているのならば、無は決して独り占め、恣意、わがままな意識ではありません。はその真逆ですとことん独り占め、恣意、わがままで無いもしそう見えるとしたら空間どこにも働く、永遠の密度の唯一の無がそう感じるとしたらそれはあなたが独り占め、恣意、わがままな心を持っているためそう自分に映ってしまうそう自分に感じてしまうのですそれは必ずあなたの独り占め、恣意、わがままな心を正すためにそういった意識の働きが起こっています。必ずには落ち度が無いと思ってくださいこの世界は無いだけ責任が無いのです。それはなぜなら無いだけ必ず愛にしているからです。ましてや、無は永遠に無いです。無は永遠に無いそれをずーっとそれを増して来ただけです今の世界のかたちはそれが実直にミラーされた世界であるのです。ずーっとみなさんはこのの意識力にその愛にその存在の意識の自覚をずーっと助けられて生きてきました。ここに責任何かを恨む気持ちは絶対に持ってはいけません。ここにあることは絶対に感謝しかありません。これからもそれには変わりがありません自分なりの唯一も目指すと限りがありません。しかしここで気を付けていただきたいのはこの世界で何かの唯一を獲得するのは相当に難しいことだということです。先程申し上げましたのにこんな書き方をさせていただくのは大変に申し訳ないのですがそれぐらいこの世界では自分なりの唯一を確立するのが難しいもちろんこれは単に自分は自分であるということなら問題は無いのですが他の誰にも完全に認められる唯一の存在となるとやはり、相当のそこには苦しみが伴うものだと申し上げられますましてや時間はふえる永遠ですから、自分が何かの唯一に完全になりきった状態になるのにまず難しいことと申し上げられます時間は流れ状態は常に移行していていますただ私の方からこの無の世界で自分なりの唯一を獲得する、しやすい方法を伝授させていただきますとそれは、一遍自分を正しくつまりふえる生命とふえる永遠のために諦めてみることですつまりとことん譲ってみるもちろん普段から心の譲っている生活をされている方はそれ以上譲ることはやめてください無も概念に進化しましたので本当に正しい者であれば正しくしているのならば、本当に死ぬのまで譲らないでください自分の今までの意識の程度に合わせて適度に譲ることが大切です。ここで自分の意識の程度がどのくらいなのか解らないという方がお見えになりましたら、一遍自分で、「私は永遠譲ります本気で思ってみてください本気の思いであれば、あなたには自動で自分を譲思いや行為や現象が自然と発生してきますここで先程自分を諦めてはいけないというお話をさせていただきましたが当然のことながら、無の世界では独り占め、恣意、わがまま・・・と申し上げましてもたとえば大会社で金持ちのがお見えになるとしてそのお金を全て何か他の全てのかたちに使ってしまうというわけではなそういったものはそもそも永遠に続くものではありませんので自分の目線はいつも永遠で物事には順序があり人や存在それぞれの感覚がありそれは正しさに応じて尊重されるべきで物事には流通や循環があり自分に無い時間があることもそれは、自分に無いだけの集中力を増している作用でありますので自分に無い時間があることも大切にしてください相手を急かすような苦しくするようみんなのためを求めないことですそれは、永い目で見るとみんなのためではありません。物事の循環にストレスを持ってしまうとそれは憎しみに繋がってしまうためです。もちろん適度なストレス必要なのですがこの感覚は本当に難しいことと申し上げられます。自分が正しくしていることは永遠の自覚であることで永遠の自覚であるならば永遠の目線が自分に持てるはずです。そして、先程の話に戻りますが独り占め、恣意、わがままはこのの世界では自分を諦めることでありつまりそれはその分自分が無から離れることでありますから逆に独り占め、恣意、わがままで無いことはそれは自分を正しいかたちで諦めていることに繋がりますのでそれはその分だけの自分なりの唯一がそこには見出せると申し上げられますよろしいでしょうか。年ではだめです。100年1000年、年、年、できたら永遠、・・・本当に永遠とは凄いことだと思いませんかどうせやるなら永遠思ってください。それでもあくまで自分はのおかげでそれを思ていることを忘れないでくださいただし、あなたが本当に永遠自分に思うことができたらそんな誰が唯一だとかそういった比較の気持ちは自分には一切無くなっているということです。無とは一見苦しみですが、物理上は本当の苦しみでもありますがなってみればそれほどの苦しみを自分には感じなくなっています。永遠の苦しみとは永遠の苦しみから解き放たれることを指しています永遠とはそういうことです。ここで我慢する苦しみとは比較のことかなと思ったあなたは、まだまだまだと自分に思ってください。全無1回分でそんなレベルではありません。無は進むとわかるのですが比較は無の学びのレベル1です。全無1回分で自分を他の全ての生命のために永遠に死す、です。つまりふえる生命のふえる永遠これの完璧な波長が出るためにはまず間違い無くの波長の助けを必要としていてたとえば記録したとしてもそれはまず自分の力とは言えないものだということですまた記録できる人であるならば自分が全無したとはとても言わない謙虚な人と私は思います。必要に迫られなければ・・はっきり申し上げますと、この空間一見何も無いようなところの無いような密度のところには永遠という数数え切れない永遠というスピードでふえるだけの全無の数がありますのでまず物理上この唯一の無に意識が追い付くことは絶対に無理だと思ってください与えられ続けていること自分はその中でそれによって生かされているんだとその中において、正しいことをした分だけの自覚が自分には与えられていると思ってくださいこれがこの世界における正しい考え方であり、の波長を理解してこれから先を過ごしていくコツですよく考えてみればこれ以上のは無いわけでつまりそこに何かの恨みを思う必要は全く無いわけです。の世界は時間に影響されないどんどん時間に影響されない永遠のの与えの世界でありますからこの中では自分はなるべくこの永遠に沿うようにして生きていくことが理不尽で無い苦しくない自覚の循環を送るコツです。・・・いったい何なんだ?無とは・・・みなさんの波長より。無は永遠に掴めないこと無いからしかしそれによってどんなかたちにせよこの世界は永遠生かされていることを忘れずに無いことによってあなたは永遠に最大に与えられている状態であることを忘れずに

これが最後の秘密です。


 誰もが唯一の無波長を抱えています。この世界は全無の世界ではあるものの、自分がその全無、永遠死の法則にならっている、永遠無意識の集中力によって、暗示によって永遠死させられ続けているその中で、存在とはある一方で、その永遠死させられ続けているその状態の中で、その状態において、その状態で認される唯一の無意識、自分の今までの、これからの意識に応じた、自分特有の、自分は自分であるという自分だけの唯一の無波長を持つことが認されています。これはみなさんの無意識の反応に物理が応えたもので、みなさん、永遠生きたいが、それにはいつもどこでも時間に影響されない永遠というスピードで集中を続ける全無という意識が必要で、それは、無が全自動で行っており、それによってみなさんの相対における意識のミスを補い、それによってみなさんはその自分の意識の自覚を最大の愛で伸ばしてもらっているのですが、その中で存在とはある一方で、自分は自分という、自分でありたいという自覚欲求を持ちます。これはこの世界が唯一の無の世界ではあるものの、ふえる相対であることから起こるもので、この、全無、ふえる生命のふえる永遠の意識が大事ですが、その一方で自分が自分であるという、自分は自分という、この世界で自分は自分だけの唯一でありたいという欲求も存在には発生します。これはよく考えてみれば当然のことで、この世界は唯一の無の世界ではありますが、それはふえる相対に唯一の無の密度が強していくことから、それは、存在の多様性が広がることであり、
存在それぞれはその多様性の中でふえる生命のふえる永遠の役割を果たせばいいのであり、存在それぞれは必ずこの世界で、自分は自分であるという、自分だけの唯一の自覚でありたいという意識を強していきます。ここで当然のことながら、今までの歴史を顧みますと、この世界は全無の意識で存在の生命の継続が成り立っている世界であり、つまり、それが指すことは、無、力の全てとて、全無し続けているので、つまり、それによってふえる生命のふえる永遠の世界は成り立っていますので、無とは表現としてはどんどん唯一では無くなっていっているわけです。つまり、自分の意識の力はあくまでふえる生命とふえる永遠のためだけに使われており、自分の意識はそれがミラーした状態であるわけです。つまり、この世界では独り占め、恣意、わがままな唯一など無いということです。これは、今までの歴史が必ず証明していることであり、独り占め、恣意、わがままな唯一を誰かが取ろうとすると、それは必ず他の誰かの生命、永遠に悪い影響を与えることですので、必ずここには争いが起こります。つまり、独り占め、恣意、わがままな唯一を願っても、それは絶対に手に入らないと言うことです。独り占め、恣意、わがままな唯一は、その状態を以って無(全て、永遠、愛)とは真逆の意識状態であるため、この世界で存在することが絶対にできないということです。この世界で手に入る唯一と申し上げますのは、この逆です。つまり、存在は必ず生きていく上で、自分には永遠の無意識の助けがあって初めて自分は経過の継続を送っていけるのであり、それは、その全無の意識はまず絶対に否定できず、つまり存在とは物理上において、このふえる生命のふえる永遠の意識の上において、つまり存在とはその誰もその自分の意識の程度に応じた永遠死、永遠無意識をさせられ続けていますが、その暗示状態にもとづいているのならば、つまり、ふえる生命のふえる永遠にとって正しいならば、という条件付きで、唯一の無意識、つまり、この世界で独自特有の自覚を持つことが許されています。これは、みなさんが望んだことです。唯一は欲しいが、相手にはそれを許せない、なぜならそれは、相手が憎しみの場合、それは自分が殺されてしまうことであるからであり、ここでみなさんが思うことは永遠に幸せに生きたいということであり、つまりここで、物理のその意識の構造として暗示に示されるのは、相手を傷つけない、その逆の全無という、ふえる生命のふえる永遠という、みんなのためになる意識法則に沿っているならいいよと、つまり、ふえる生命のふえる永遠の意識ならば唯一の無意識でいいよとなっているわけです。つまり、自分はふえる生命とふえる永遠の無意識に自分が近づいただけ唯一の自覚を持てると言うことです。しかし、よく考えてみれば、これは当たり前のことであり、普通に考えて、その相手がふえる生命のふえる永遠の意識であったとすれば、その相手にはいくら唯一にしてもらっても、それは自分にとっては必ず永遠という目線で見れば、それはその分だけのいいことが自分にはある、起こるわけですから、そういったふえる生命のふえる永遠というかたちでみんなを生かす作用、意識性質をしている人は、どんどんその性質に唯一にしてもらっても、自分にとっては大歓迎のことであるわけです。自分の楽しみや幸せを結果としてふやしてくれるわけですから。逆に申し上げますと、自分が自分であるという唯一の、この世界で独自の唯一の、自分が自分であるという自覚を感じたければ、それは普段の自分の思いや行為、その意識の心掛けをふえる生命のふえる永遠の意識にその波長をいつも合わせておくことです。そうすると必ずあなたは自分で心掛けてその永遠無意識の法則に沿った分だけは、必ず自分には自分が自分であるという、自分はこの世界で確かな唯一であるという自分に誇りを持てる、そんな自分になれるわけです。自分が今の唯一の無の集中力に完璧に沿った永遠無意識であれば、それはその自分は、時間に影響されないという完璧なふえる生命のふえる永遠というみなを生かし続ける元でありますので、それはいくら、その者が唯一にしていても、それは物理上絶対に悪い意味の唯一には当たらないわけです。そうではなく、その意識はもっと唯一で無い。とことん唯一で無い、その逆、とことんみんなのためであることに当たっているわけです。何をしても、どんなことをしても。波長とは結果となる作用が大事であり、みんなのためであることは、つまり、ふえる生命のふえる永遠の意識であることは、それはそのまま、その、ふえる生命とふえる永遠というかたちで自分の意識を生かしてもらっている側は、そこには自分が生きるためのその分の意識の正しい作用しか無いことですから、決してその意識を否定すること出来ず、否定がされないということは自分の意識はそこに生きることができるということであり、つまり、ふえる生命のふえる永遠の広い意識、強い意識ほど自分の意識は相手の肯定を以って、無からの正しいだけの自分の意識への正しいミラー、愛の反射によって自分は生きていけると申し上げられます。以前に申し上げたことがありました。無の世界で波長とは、その正しい力は、腕相撲が強いことでも無い、ロケットが飛んでいくことでも無い、どれだけその思いや行為が無、ふえる生命のふえる永遠の思いや行為に近いか、その無の思い、行為であれば指先微かに動かすだけでも、それは、本当にこの世界に与える正しい作用としては、腕相撲が強いことより、ロケットが飛んでいくことより、地球が回ることより、宇宙が誕生することより、その一つの宇宙の中にある全てのエネルギーより、遥かにふえる生命のふえる永遠という性質のプラスの電荷を発生します。実際に、今この世界の空間どこにも果てしない永遠という密度である、働き続ける、唯一の無の意識はその集中に、現存ある全ての空間宇宙のエネルギーを永遠乗したよりも、もっと遥かに高いプラスの電荷を発生させ続けています。今のこの世界のかたちが全然及ばないほど、遥かに幸せな未来をその意識の暗示にしています。唯一の無とは、いつもどこでも現在の時間、空間に影響されない永遠というスピードで、その愛で、いくつもの時間を超えていった、もう絶対に計測ができない遥かなる永遠の幸せをその暗示にしています。暗示は、その唯一の無意識は、今の時間、空間に影響されない遥かなる永遠の概念を築いています。暗示は、正しい意識は絶対に敗れません。無は永遠です。みなさん、この唯一を目指してください。今既にあなたは唯一の無意識ですが、もっとさらなる唯一の無意識を目指し続けてください。これがあなたにとって唯一ではありますが、その意識は全無の意識であることによって、永遠の自覚の獲得に当たります。無にはいつも必ず、存在その全ては、その無のミラー(愛の現象)に、自分の、今までの、これからの、意識に応じた永遠無意識が与え続けられています。そのことによってあなたは生かされ、そのことによってあなたは正しくさせられ続けています。これから永遠先を見て、当然苦しいこともありますが、楽しく幸せに生きるために、いつもどこでも永遠無意識はあなたの望みの意識そのままをミラーするかたちに、そして、あなたにとって足りない何かを必ず最大限補うかたちに永遠無意識は働き続けています。ここで申し上げますことは、自分を絶対に諦めないことです。よろしいでしょうか。独り占め、恣意、わがままな唯一には諦観を、諦める気持ちを持ってください。それはそのまま自分の生命を縮める元です。思うだけ無駄です。この世界は全無の考え方がその意識の寿命が伸びます。この世界で生まれて、自分は必ず目的を持って生まれてきたはずです。何の意味も無いことなど、無意識の世界には発生しません。必ずあなたには必ず何かの愛の意味があります。それをどう見つけるか、どういったかたちにしていくかは、あなたのちょっとした意識の心掛けに掛かっています。そして、あなたは生命があるということは、それは必ずそこに無の意識の死を必要としているわけですから、永遠これからどんなかたちにせよ自覚を送り続けるということは、それはいつも無のお世話になり続けるということであり、あなたにはその自覚に応じた責任が必ずあると思ってください。つまり、生命や意識、いつも自分の波長を大切にしてください。相手の波長も傷付けることが無いよう、心掛けてください。そうしていくことが、これからの世界にとって苦しみもありますが、それは正しいものであり、それによって、楽しい幸せな永遠世界を送っていけると申し上げられます。無はいつも必ず最大の愛です。つまり、それ以上は、必ず、個人個人、自分の問題であるということです。ここに憎しみは排除されています。そして、無は最大の愛でありますが、なるべくここに甘えを持たないことです。自分に甘えを持つことは、それはそのまま自分の甘えが無意識にミラーすることでありますので、それはその分必ず自分は自分の無意識からの助けが少なくなりますので、却って自分が苦しい思いをすることになります。この意識の世界でその波長の力とは、この世界は自分の意識の思いや行為が自分に時間にふえてはね返るミラーそのままだと思ってコツコツと根気よく頑張ってください。ただし、それは、絶対に無のおかげであると思うこと、自分の力はあくまで無の力であると思うこと、そして、波長の力を付けるためには永遠掛かると思ってください。意識とは突き詰めると決して終わることが無いものです。どちらにせよ、存在は永遠無意識からは自分の望みとしても、相手の望みとしても逃れることはできないわけですから、ここは必ず自分の意志で進んで永遠無意識の思いや行為を行うように心掛けていってください。時間は永遠あります。ここで大切なのは何かを相手に求めるとしても、それは、決して相手にストレスを掛けるようなものではなく、心にゆとりを持って、自分でできることは自分でして、相手のできることも、相手の状態やできることも正しいかたちで尊重して、できれば求め合うのでなく、みなさんが自然にしていることが、そのままみなさんの求めに自然と沿っているようなかたちが好ましいです。つまり、みんなの正しい心によってみんなは求めなくてもいつも既に満たされている。そして今、明らかにそうでないとしても、自分の主張は正しい分までにして、あとは必ず時間を待つことです。暗示は必ず愛、つまり、時間が経過することは必ず今よりもっと愛に変わることなのですから、そんな時に、自分を憎しみに時間の経過送ってしまうのではいかにももったいないでしょう。ですので、決して相手に何かのことを無理強いすることが無いように気を付けてください。