5末に本格的に体調を崩したらしいのですが
それからわずか一ヶ月で亡くなりました。
看病していた母のひと言。
「昨日までは元気だったのに、今日にはもう骨になってる…」
「…」
死はいつも突然です。
祖母は二つの事を教えてくれました。
実は数年前に祖母は癌になって
その時内臓の殆どを切り取ったので
そこから又ピンピンしている祖母を見るのは
私にとっては奇跡でした。
「人間って意外と生きてけるもんだなぁ」
そう思ったのが一つ目の学び。
そして今回が二つ目。
「それでも死ぬ時はあっけない」
おそらく前者において尽力されるのが
世の中のお医者さんだと思いますが、
生保を扱っている者としては
死と言うイベントに遭遇する度に
後者に対する思い、そして使命感を抱かずにはいられません。
幸い? 祖母は平均年齢以上は生きられました。
しかし、例えば先日の愛知立てこもり事件の
23歳の警察官の殉職はどうでしょう?
さっきまでピンピンしていたのに… 死んだ?
そんなバカな!?
家族に対するあまりに突然の知らせ、
そしてその知らせは「家族」と言う愛に満ち溢れた言葉が
「遺族」という悲しみの言葉に置き換わる瞬間でもあります。
若ければ若いほど、
「家族」が突然「遺族」へ変わる事の切迫感は
普通はありません。
そして効果の実感されにくい生命保険の優先順位は
あまり高くないかも知れません。
でもそう言ったご家族に、ご主人に、
ご自分が万一の時に残った遺族の生活を支える、という
愛情を形にできていますか?
と聞いてみたい、気づいて欲しい
そんな思いが私を突き動かしています。
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長くなりましたがもう一つ最後に私の考え方。
私は、ご褒美を最後にとっておくのは
あまり好きではありません。
だって、上で学んだように、
突然「その時」はやって来るかも知れないでしょ?
仕事にせよ、恋愛にせよ、親孝行にせよ、
そして何より自身のケアにせよ、
決めたら今やらずにはいられない。
これは別に成功体験でも何でもありませんが…
ただ、自分が死ぬ時に後悔したくないだけです。
GW帰省した時、
祖母の所へ顔出すか迷って
「ま、いっか。お盆で」
珍しく私がそう思いました。
結果はご覧の通り。
たいてい、そんなもんです。