「焼き飯」と「炒飯」て、明確な区別は無いと思うのですが、
ここは「焼き飯」であって欲しい。

双葉食堂
備前市伊部1735-4(赤穂線伊部駅すぐ)
0869-64-2723
営業時間 火~日 11:00~14:00,17:00~21:00
定休日 毎週月曜日
2013年1月10日の山陽新聞で、

「井原駅に車両形の自販機 益金一部はまちづくりに」

単にサッポロ飲料が列車型の自販機を設置したのかと思っていたのですが、「グループのサッポロビールとも井原市がまちづくり協定を結んでいる」とあり、「なぜこんなにサッポログループが井原に入れ込むのか?」とちょっと気になって、、。

半年前にたまたま寄った井原市美星町の道の駅も、こんな豪華なスター自販機が!
$銭形くんのブログ ~a sevendays' wonder~

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調べてみると、今日のビール業界に発展を尽くす、今のサッポロビールの基礎を築く、場合によってはアサヒビールの源流も作った「馬越恭平(うまこし きょうへい)」という偉人の出身地が岡山県井原市なのですね。

岡山にサッポロビールのルーツがあることなんて、知っていましたか?私は全然知りませんでした。

て、ことで、井原市にこのルーツを辿るドライブに出かけてきました。

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井原市の「木之子町」(旧後月郡木之子村)へ向かう橋は「馬越橋」と言われています。
今は立て替えられましたが、以前は馬越氏の私財を投じて作られた橋がかけられたものであり、橋の近くにも「旧馬越橋跡」の石碑があります。

この橋を通称、「YEBISU橋」と呼称をつけても良くない気がしませんか(笑)?

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バス、いや普通車でも通行が困難な路地に入ったところにある、「木之子公民館」が馬越恭平の生家跡となります。

本宅の部分は老朽化で公民館となっているのですが、正門と本宅のあった後ろにある蔵と、お手伝いさんが住む家は今も修復を行いながらも外観は保っていて、有志の方たちが、末裔の方のご協力もあって、写真などを収集した博物館のようなものがありました。たまたま土曜日にも関らず、管理をしている公民館に職員の方がいて、鍵を開けてくださって、博物館を見させて頂けました。

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馬越恭平(1844~1933)です。
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馬越恭平の生涯と共に、昔のビールのレトロなパッケージやラベルが展示されています。
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三井物産に入社するや、乱立するビール会社を纏め上げ、「大日本麦酒」を設立、急成長を遂げ、「日本のビール王」とまで呼ばれたそうなのです。

あまりに大きくなりすぎた為に、戦後分割され、それが、現在の「サッポロビール」「アサヒビール」の源流。馬越氏の系譜はサッポロビールに継がれ、馬越氏は、ビール業界のみならず、様々な会社の経営に参画、さらには衆議院議員、貴族院議員も就任し、地域の発展に尽力。

今は無き「井笠鉄道」の初代社長、さらに、故郷、木之子村の小学校や河川改修、架橋工事などに多額の寄付を行って、育ててもらった故郷への恩返しも忘れることは無かったようです。

どんな功績を残したのかは、あまりにも多すぎて、ちょっと井原通ることがあれば、郷土の偉人の功績と生い立ちを触れるロマンに触れに、じっくり見ていただきたい、隠れたスポットです。(来訪者がほとんどいない。)

でも、ふと考えると、岡山は「サッポロワイン岡山ワイナリー」も作られており、何かと「サッポロ」に関するスポットもあったりしますね。

このワイナリーで作られるぶどうの「ベリーA」も井原産のぶどうが採用されているとのことで、今も、昔も井原市とサッポログループの関わりは続いているのです。

銭形くんも間接的にサッポロさんにお世話になっている仕事に就いており、「ルーツを知る」には大変興味深い場所でもあります。

この博物館は、公民館に職員がいるときに限って、鍵を開けて閲覧できるそうです。
日、月を除けば公民館職員曰く、「事前に連絡してもらっとけば、、。」とのことなので、井原に行ってみたらぜひ寄ってみて下さい。

その後、近くに、馬越恭平の遺骨が分骨されて岡山に眠る「三光寺」(同じ井原市木之子地区にある)に馬越氏のお墓を尋ねてきました。

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お墓で手を合わせて来たのですが、、、、いや~「粋だな~!!」って思ったのがお供え物のコレ!

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井原市はサッポロビールと「まちづくり協定」を結び、市内でサッポロビール、サッポロ飲料のジュース類を自販機で買ってもらうことで、その収益の一部を井原市へ還元する仕組みができているみたいです。

「YEBISU」「黒ラベル☆」を飲みながら、美星の素晴らしい星空を(誰かと)眺めるか?
「がぶ飲みミルクコーヒー」「リボンシトロン」飲みながら、馬越恭平が育った街を歩いてみるか、、、。

ということで、井原に行ってみたら、「ビールの歴史」に触れてみましょう。

新聞の通り、汽車で行くなら、旅の出発地、井原鉄道の井原駅にはこんな自販機が待っています!!
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7/21 尾道から今治まで100kmサイクリング。

7/22 某プールで今年初泳ぎ、クロール 1000m

多分、プールでもらったとしか、思えないのでございますが、、。

7/23 その日は井上昌己のコンサートがあって、ライブで盛り上がる「熱」と共に、自身の「熱」も直接うちつけるクーラーと共に、体温調節機能を徐々に失って行くのでございました。

サインと握手でライブハウスを離れるや、タクシーで救急外来に直行。

なんと、39.8℃の超高熱!

意識は朦朧、命からがら家に戻り、翌日は仕事を休み、ポカリを飲んでは眠り、飲んでは眠り、、、。

猛暑と重なって、飲んだ水分が尿として出ることはほとんどなく、3リットルのポカリは「汗」として排出され、服や布団はビチョビチョ。

それでも熱は下がることなく、1日が過ぎたのでございます。

翌朝、昨日の熱が嘘のように下がり、ほぼ回復し、甲子園が夏の風物詩なら、銭形くんは季節の変わり目の長びく夏風邪が風物詩と言われるのが1日で回復したので、「最近隔日ジョグをやってたおかげと」根拠のない回復力を自負していたのでございました。

第二幕は、間もなくやって来ました。

足がマメにも似たような水疱がボツボツ発生し、歩くに歩けない状態に、、、。

手にも指に水疱ができて、手も足も痛みが伴って、どうにもならなくなってしまったのでございます。

タイミング良く、しまなみ海道でアホみたいな距離を走り、仕事帰りにゴルフの打ちっぱなしをやっていたので、「しまなみ海道のサイクリングで靴擦れが発生し、ゴルフのし過ぎで指の皮が剥けた」と、思い込んでいたのでございます。

以前お世話になった皮膚科に行って診てもらうことに、、、。

「あー、靴擦れね。」

と直近の行動を聞いて呆れかえっていた医師でございますが、患部を診た途端、目の凝らして診るようになり、次に出てきた言葉は、

「これは、手足口病じゃないかな?」

手足口病・・・今年の手足口病は高熱の後に水疱が発生する、大人も患うのも特徴・・・。

変な流行だけは先取りする銭形くんでございました。

「対症療法」という、特効薬がない病気なので、抗菌の飲み薬を飲みながら、ひたすら出てくる水疱に軟膏を塗るという、苦悩の日々が続いたのでございます。

会社に行けば、

「銭形は4歳児がかかる病気になった」

「嫁も子供もいない銭形がなぜ手足口病?」

と外野の声が聞こえてきたのでございますが、水疱の痛みでそんな声も吹っ飛ぶ痛みに耐えていたのでございます。

しかし、皮膚科に行ったのは正解でございました。

飲み薬と軟膏の「中から外から」が効を奏し、2日目くらいには水疱がおさまり、徐々にかさぶたになったり、皮が剥けて、新たな皮膚を形成しはじめて、ようやく安定してきたのでございます。

盆休みくらいからjogも復帰できそうでございます。

ただ、夏の半分は療養で過ぎ去ってしまったのでございます。

手足口病は高熱が出ないケースもあるので確定診断はお医者さんに見てもらうことが一番ですが、急にガッと高熱が出たり、水疱が急に出てきたら、早いうちにお医者さんに行って必要な処置や処方をしてもらうことでございます。対症療法しかないので、必要な処置やをすれば快方には向かうもののもとに戻るには結構時間がかかります。

だって、

たった一度しかない人生、
もうやって来ない2011年の夏

なのだから、、、。

謹んで暑中お見舞い申し上げます。