人とのちょっとした会話やつながりで安心感を得られる日もあれば、たまに寂しさが埋まらない日もあって。

寂しさを埋める、紛らわす、原因を探す、と寂しさの取り扱いについては長年試行錯誤してきた。

その中でふと気づいたのは、寂しさの程度は年々マシになるということ。

寂しさに鈍感になるというのもある。

やや願望的思考なのかもしれない。

だけど、昔たまに泊まっていた母方の祖母宅で、夜中まで宿題をしていた中学生の頃の寂しさなんかと、今子供を寝かしつけた後にリビングで感じる寂しさとを比べれば、それは圧倒的にマシになってると感じる。

孤独に慣れたは言い過ぎだし試行錯誤の賜物ってわけでもないけど、寂しさは時間や年齢が薄れさせるものだと、私は思う。 


仮に孤独感や寂しさが年齢がいくにつれ増すものだとすれば、いったい何を糧に生きていくのか。それこそ絶望的で生きづらい。

人は、年々寂しさが増すのか薄れるのかどうかなんて、人それぞれだし、いろんな時があって、人生均せば皆平等っていうのもアリな考えだと思う。

でも、やっぱり、私は寂しさは年々薄れるものだと思う。きっとそう考えた方が生きやすくなるし、心が軽くなるから、真理だと思う。