フォトグラファーがギャラリストになっていく過程。 -5ページ目

フォトグラファーがギャラリストになっていく過程。

アートを広める活動を行っております。「TokyoWardrobe」をIID世田谷ものづくり学校でスタート。
2013年から香港でも活動の拠点を増やし、アーティストの自立支援を展開していきます。

作家の中山さんは今年、東京藝術大学を卒業する若手アーティスト。

そもそもの出会いは藝大の卒展に赴いた際、人間の一生にかかる経費を領収書に印字して、ぐるぐるまきにした骸骨もろとも「棺桶」にいれて展示されており、その作品を非常に面白がってしまったからなのです。

もちろん、今回の個展でも、この棺桶を展示してくださいます。

中山さん自身は、常に一生懸命という表現が似合う、若者らしい若者です。

彼女の世界観たっぷりな今回の展覧会。

ぜひアートを楽しみにご来場してくださいね。

中野は14(水)のレセプション、15(木)17(土)18(日)20(祝)22(木)23(金)25(最終日)にギャラリーへおりますので、作品の持ち込みなども拝見させていただきます。

以下、弊社TokyoWardrobe Galleryウェブサイトからの転載です。
$フォトグラファーがギャラリーオーナーになっていく過程。

中山沙織 生命・生活・生死を想う展

2012年3月14日(水)~25日(日) 12:00~19:00 *月曜休廊

オープニングレセプション 3月14日(水)18:00~20:00


@TokyoWardrobe Gallery

〒103-0012 東京都中央区日本橋堀留町1-2-9 DigDug地下1階

TEL 080-4427-9908



【生命・生活・生死を想う (生の視覚化)】

遺伝子は太古の昔より、カラダを乗り換えながら生き続けています。

人間のカラダもそんな遺伝子の乗り物の一部です。

その乗り物は、良い意味で無意味であり、とてもシンプルな存在です。

なのに何故、人は一生に意味を付けたがったり、ロマンで飾りつけたくなるのでしょうか?

生きている間に見栄をはる行為は、その乗り物に特別な価値を付加するわけでも無いというのに。

そして、人は死が訪れるその時まで、化学薬品や激しい努力などで、老化に抗い続け若さを引き延ばそうとします。

朽ちる事から逃げ出そうとします。

生に終わりがある事を知っていても、 真に受けとめることが難しいようです。

もちろん、私もその一人。

たとえ楽観的に受け入れる事は出来なくても、いつか訪れる生の終わりを、そう暗くない気持ちで迎える事は出来ないのでしょうか?

また、朽ちる事はそんなにネガティブなことなのでしょうか?

“いつか終える生命”

これを前向きで客観的に視覚可したい。

それが私の制作の根源であり、この個展のテーマです。


中山沙織

1986年  新潟県柏崎生まれ
2010年  デザイン・フェスタ・ギャラリー原宿にてグループ展
2012年  CCAAアートプラザ ランプ坂ギャラリーにて人生の夏休み展
2012年  東京藝術大学卒業制作展
2012年  東京藝術大学 美術学部デザイン科卒業
疲れることなんてないと思っていた自分が、
人並みに疲れるってことに気づいて。

そうだ、アウトドアが足りない、自然に行かなきゃ!
ということで、休暇をとってソロキャンプにいってきました。

都内からだと車で2時間程度。
山梨県の道志村にある道志の森キャンプ場

もう3月だし、暖かくなったかな~と思ってたのですが、
なめてました。
自然なめてました。

$東京ワードローブ-道志の森キャンプ場

ノーマルタイヤだったもので、
スタックするたびに砂利をタイヤの下に敷き、
おそるおそる野営地を決定。

$東京ワードローブ

テント設営のあとは火おこし。

$東京ワードローブ

そして雪見酒。

$東京ワードローブ

月あかりも無く、夜も更けると真っ暗闇に。

$東京ワードローブ

この季節にキャンプする人なんてあんまり居ないということで、キャンプ場に人の気配は皆無だったので、
自然を独り占めして上機嫌に酔っぱらい、キャンプファイアで一人宴会しながら歌もうたっていました。

自然の摂理に逆らわず、早寝早起きして目覚めたのが5時。
まだあたりは暗いので、ヘッドライトをつけて川へおもむきトイレタイム。

だんだんと明るくなってきて気づいたのだけど、
テント脇に動物の糞が。。

あー、食べ物でもあさりに来たかと思いながら、どんなやつか思いを巡らし、足跡を探してみた。

$東京ワードローブ

こんなのも。

$東京ワードローブ

これは!?

$東京ワードローブ

さすが自然が深い山奥だと色々な動物がいるんだねー。
寝込みを襲われなくて良かった☆

ちょっとポージングしてそれっぽいセルフポートレイト。
$東京ワードローブ
いままで10年以上、写真に関わってきて、また写真がわからなくなってきている。


綺麗な写真、技法を凝らした写真はいくらでも撮れるのだけど、自分の本当に撮りたいものは何なのか?


デカルト、サルトルなどの著書に助けを求めても、自分でなんとかするしかないんだよと言われてるような気がするし、
マグナムという偉大な集団の写真集、アーヴィング・ペン、リチャード・アヴェドン、ウィリアム・クライン、ロバート・フランクなど、学生時代に夢中になった伝説的な写真家達の写真集に答えの片鱗を探してみても、
かすかな光の筋が見えるだけで、それがどのような姿をしているのか認識できない。


アンセル・アダムスが言った、「写真は撮るものじゃない、作るものです」

アンリ・カルティエ・ブレッソンが言った、「私にとってカメラはスケッチブックであり、直感と同時性の道具であり、視覚的な観点から、問いを投げかけると同時に決断を下し、瞬間を把握するものである。カメラという手段の仕組みによって、表現の簡潔さに至る」


ますますわからない。
学生時代に戻った気分だ。


そもそも有名なアーティストの芸術論を辿ったところで、彼らは断言する絶対主義者なので、相対的思考ではかなわない。


だったら個人の絶対的な部分を探し出して表現することがクリエイティブなんだろうと僕は断言する。


そこで僕の絶対領域とはなんぞやと自問自答を繰り返す道中、あるフレーズと出会った。

「写真を撮影する際、意識の地下室にある美術館に並べてみる」

僕の美術館・・・・そうだ、僕は自信の意識の中の美術館を見に行ったことが無いんじゃないか?
さっそく訪ねて見ると、そこにあるのは幼少時に圧倒された宗教画達や権威を示す肖像画達が延々と並べられている。

それこそが僕の絶対領域。

もう少し鑑賞を続けようと思う。