親の記憶が確かなうちに聴いとくべきことはありそうです。

ムダなおしゃべりやお小言ばかりの母ですが。聴けば教えてくれるんだなと。

祖母との嫁姑バトルなどあったかどうか禅にはわからないけど

かなりこの祖母から昔の自分の幼い頃や兄弟のこと自分の叔父や伯母、祖母のことを聴いていた。

4男2女の第4子に生まれた祖母。二男の兄は自分が生まれる前に亡く。末の弟は事故で。

兄、姉、自分、弟、4兄弟で育ったというが、結果的に長兄は家を出て、詳しい消息はわからない。

弟も姉一家の籍に入り昭和初期一緒にブラジルへ移民したという。

弟からの昭和29年~31年頃の手紙が何通かある。故郷への想いが溢れすぎた手紙。

それについてまた後日書けたらいいなとおもってます。。


この土地に大正12年に分家したのはこの姉。名義はそのままというのが事実らしい。

昭和40年代祖母が亡くなり相続のための名義変更ができなかったと。父。

消息が分からない以上どうすることもできないということ。祖母の姉(大伯母)のひとり娘に権利があるとか存命なら今年93歳、昭和30年の手紙には28年に結婚し娘がいると書かれていた。

大伯母は昭和10年代に38歳で病没していた。曾祖母が大伯母の戸籍に入っていたから確認できた。 ウチ。。消息不明の家族多すぎるみたいです。


②に続く・・・


初めの投稿。




遠いご先祖様に


逢いたくて


ピグ始めて・・


初めて


投稿しようと


おもったのは


辿れるだけ


辿ってみた除籍簿に


曽祖父が二男だった


のを知って。




うちが分家だとか


曖昧な話なんだけど。






どこまで


投稿していいか


わからないけど


できるなら


本家のお墓が


わかればと


公開できる範囲で




辿れるだけ


辿った除籍簿には


曽祖父の兄が戸主で


住所は禅の実家の


村だが今は無い


番地。


妻や子に


弟や妹、甥や姪


入り交じり


26名記載されていた。




禅(私)からみて


曽祖父・母、曽祖父の母


祖母たち姉弟など


総勢26名




祖母もこの番地で


誕生していた。


この時点で


この地が


本籍だったようだ。




祖母の姉が


大正時代


今の住所に


分家届けをだしている


確かにうちは


分家だ。




竹蔵さんの母で


弘化2年生まれの


(禅の)高祖母も


禅も実家近くから


高祖父に


嫁いでいる。


竹蔵さん


いつごろ岐阜に


いったのか?


岐阜で誕生したお子さんが


5人、それぞれ出生地名が違う。




本家のお墓探し。


始まったばかり。




竹蔵さんの所縁の方


探しています。




禅は竹蔵さんの


弟の


ひ孫です。


竹蔵さんの没した場所の


番地も判明してます。


お子さん


たちの名と


生年月日も。




ただお墓の場所。。


竹蔵さんのお墓を探しています。


正直、岐阜・・・


想像もしなかっけど


知ってしまったからには


たどり着けない


ものかと思ってます。




今更、調べてどうするのと


いう声が聞こえてきそうだけど


まだまだ始まったばかり


竹蔵さんの母の名前が


一致したらお互いの先祖が


同じということで


竹蔵さんの母の名前知っている方。


ご連絡下さい。よろしくおねがいします。