われは草なり 伸びんとす                           

伸びられるとき 伸びんとす

伸びられぬ日は 伸びぬなり

伸びられる日は 伸びるなり


われは草なり 緑なり
全身すべて 緑なり
毎年かならず 緑なり

緑のおのれに あきぬなり


われは草なり 緑なり

緑の深きを願ふなり


ああ生きる日の 美しき

ああ生きる日の 楽しさよ


われは草なり 生きんとす

草のいのちを 生きんとす

       高見 順『敗戦日記』より


 本日雑談の折、上司が突然に冒頭を引用したので久し振りに思い出した詩です。国語の授業?で暗記させられた覚えあり。何故だか『伸びられる日は伸びんとす 伸びられぬ日は伸びぬなり』に坊っちゃんを思い出しました。
親の想いなんぞ関係無い。伸びられる時は伸びようとするし、そのタイミングでなければ、望まれようと何しようと、変化無しなんだよ。僕のやり方でやらせて。あれこれ発達障害の参考書を求めて悩み、挫折する母を見て、坊っちゃん本当はそう言いたいかもな、と…。妄想ですが。

かあちゃんも、緑深き草でありたいです。