ヤマアラシの抜け毛(針)。こんな白髪生えたことある?あるある!と相方と盛り上がる(笑)

『小児科医Pの発達外来診察室』で『苦手な仕事はやっぱり苦手』という記事を拝読しました。(いつも参考にさせて頂いてます)。丁度また職場でお隣さん砲が炸裂、炎天下に書類を抱えて取引先を走り回るはめになって煮えていたワタクシ…
。苦手は避ける、というWordに、思わず気持ちが溢れてしまって…今までも何度かこのブログで嘆いてきた『特性がある(?)人は苦手な部分を放置・避けて、好きや得意な部分だけやり込む方式で仕事をするのは本当にアリなのだろうか』『それを周囲はどう許容したらいいのか』『発達に遅れがあるまま社会に出ていくことになったとして、そんな坊っちゃんを受け入れてくれる優しい社会であってほしい。でも、社会の側に立ったとき、自分が受け入る立場でそれをどこまで許容できるのか悩んでいる』をコメントさせて頂いてしまいました
。更にその直後、思いの丈が溢れかえった記事をこのブログで書きまして…さっき予公開になったのを読み返して、恥ずかしすぎて下書き状態に戻したのですが、フォローが1件減ったのはドン引きされたからかも
。何方か判らないんですが、モシソウダッタラお目汚しお詫び申し上げます。



更に魂消たのが、P先生がそのコメントを取り上げて、特に子どもへの接し方について、次の記事でまた別の視点を示されていたことです。コメントが特別だった訳では勿論無く、偶然、次の記事のとっかかりとして取り上げて下さったものですが、正直、とても嬉しい
。この問題はなかなか話せる相手もおらず(相方さんとブログを通して交流頂けているお母様方がいなかったら私は爆発しています)、療育の保育士さんとも、なんというか、話してる時間無くて(笑)。

詳細はぜひ、P先生の記事を読んで頂けたらと思うのですが(主旨を了解したうえでの引用・リンクOKでも、リブログOKか不明なので設定は控えました)、今回のことで改めて色々考えました。
一つは、坊っちゃんについて『ママの残り時間』から事を考え過ぎると、彼自身の意思や判断を軽視しかねない危険が、思い込み強めのかあちゃんに限っては、ある、ということ。坊っちゃんが周囲の支援を得やすいようにと願って、少しでも生活自立や発語、発達に働き掛けよう、とすることは今後もきっと止めないけれど…ひとつひとつに対する坊っちゃんの必要性の判断や納得を、もっと大事にしよう、意識しようと思いました。
そしてもう一つは、お隣さんに対して『また〆切を守らない、必要性、緊急性を度外視した作り込みに没頭するに決まってる
』という視点の狭まりが、強くなっていることに気を付けないといかんなぁ、ということ。実際問題毎日のように泣かされている訳ですが、ふと思い返して整理し直すと、なんとか〆切を守れたこと、資料の作り込みを早めに止めてくれたこと、聞き入れてくれたことも有ったなぁと。

依然、尊敬する上司からも『学びは与えられるものではなく、ポイントに自分が気がついた!自分で見つけた!と感じ、必要性を納得する事が重要。そうでないと実行に結び付かず、行動が変わらなければ、結果としてなんの成長も得られない』て言われたんですよね。今回のことはかあちゃんのエウレカ!になるでしょうか。そうであって欲しいです。