坊っちゃんが大好き
カレーはかあちゃんも大好き。何故なら、坊っちゃんに食べさせながら自分も簡単にスプーンでかっ込めるから(笑)。

坊っちゃんの将来を考える時、どうか発達に遅れがあっても弾き出さないでくれる、優しい社会であって欲しいと願わずにはいられません。では、『家族』ではなく『他人』で社会の側から受け入れる立場にいたら、どうだろう…と考えることが、最近増えました。
と,偉そうに始めましたが…すいません、ほぼ愚痴です
。ちょっと頭と心を整理させてください。
誰かが読んでくれるかもしれない、この文章を推敲する作業の過程で、グラグラする自分の心から、ちゃんと地に足を付けた気持ちを見つけたいのです。

誰かが読んでくれるかもしれない、この文章を推敲する作業の過程で、グラグラする自分の心から、ちゃんと地に足を付けた気持ちを見つけたいのです。
今,同じチームに協働がちょっと難しい時がある方がいます。「報告・連絡・相談」が苦手で,整理が苦手で,優先順位をつけて同時進行するのは不得手。「やらなければならない」と「やりたい」があると、その他の条件を問わず必ず後者を選択します。気になることは夢中になって、いくらでも時間をかけてしまう。そこに急な変更や他の要請が来るのは苦手なので、メールや共有スケジュールの確認をしない。注意されると目は通すけど、やっぱり放置する。結果、変更された納期を超過しそうになって他の人が気が付く、又は依頼主から問い合わせが来てひと悶着・・・ということを繰り返しています。書類も複数年分がデスク周辺でコックピット状に積み上がり、本人も何がどこにあるか最早解らないようです。やるなと上司に言われても気になったら深夜まで残り,翌日の打ち合わせや仕事中に舟を漕いでることもあります。
基本的には、真面目で一生懸命な、温和な方です。楽してサボろうなんて思ってないのはチームの全員、上司も含めて知っています。専門知識の持ち主で、うちの仕事には必要な場面も都度あります。要は業務ごとのバランスの取り方が…ちょいと問題なんだと思います。
復職した時,上司からサボり等ではなく「個人の特性」と思われること,どんなに上司が(複数人がかりで)言い聞かせても改善できないこと,問題が頻発して担当業務が停滞し,対策として仕事を一部分割してチームに割り振った旨の説明がありました。そしてサポート頼むと言われ,この2ヵ月一緒にやってきました。予想はしていましたが,共同担当の会議体は一部専門部分を除く資料作成や連絡,調整の大半を私がせざるを得ず,単独担当している自分の仕事の進行に影響が出てしまっています。保育園のお迎え等もあるので残業できないし,コロナがあるから土日に坊ちゃんを背負って出勤する訳にもいかない(禁止されてます)。もちろん上司も協力してくれるのですが, とにかく何か気になりだすと他がストップする傾向が強く・・・中々に苦戦しています。責任感はあるので問題が解っても黙って抱え込んでしまい,手が回らずに炎上してしまう。ちゃんとやりたい気持ちもあるみたいなので,本人も辛いのではと思います。
こういう時「それは人事の問題だ。適材適所を考えるべきだ」という声もあるでしょう。しかし,数百人いるスタッフが全員適材適所に就ける訳もないし,特性に併せて専属サポートを得られるのは,それだけ突出した業績を期待される(実績がある)人だけです。平は平同士で助け合ってやっていくしかない。私も育児のため時短勤務なので,その分周囲に負担をかけ,助けてもらっている訳だからお互い様だよなと思う反面・・・・期限当日に「やんなきゃとは思ったけどやってません」と言われることが重なると,我慢できず「勘弁して下さああああああい

」と言っちゃうんです。



そして怖いのが自分の慢心です。これは100%かあちゃん自身の弱さです。「いい加減にしてよぅ」なんて心で言いながら仕事してると,なんか自分がすごい頑張ってる人みたいに思う瞬間がある・・ような気がする。お前何様だって感じですよね
。本当に出来る人は周囲に大変さなんて解らないくらいさらっとサポートしつつ,自分の仕事にも影響出さないはずだもの
。これは対坊ちゃんに対しても言えることだと思います。アレができない,これも無理かと悲しくなるけど,自分はお母ちゃんとして,社会人としてどれだけ「ちゃんとやれている」のだろう。人一倍頑固でぶきっちょな私、いつもニコニコ機嫌よく,家事も仕事もやるべきことをタイミングを外さず進められているか?いやあ、うーん・・・ゴメンナサイ
。



そんな状況なんですが,「なんで今そんなことしてるん!」と怒りや遣り切れなさがこみ上げてくる時,坊ちゃんを想うと,少しだけスーッと頭が冷えることに気が付きました。もし,もしも本当に「個人の特性」なんだとしたら,坊ちゃんだって同じなんじゃないか。いや,何だかんだいってもちゃんと自立してるんだから,むしろこの方はすごいのでは?このままいくと坊ちゃんが将来,家族以外の『社会』と交わって生きる時,上手く人や場に合わせられないことも多いだろう。坊ちゃんを弾き出さない『優しい社会』を願うなら,私だってその『社会』を構成する一員でなきゃいけないんじゃないか・・。「なんでやねん」を無理に納得する必要はない,でもカウンターでガルガルする前に「そういう人だったな。しゃあない、それよりどうするかだ」と自分の手綱を引き戻すことは・・・坊ちゃんのかあちゃんだからこそ,少しは出来るんじゃないの?
上司からは「貴女のストレスになるし,溜め込んでしんどくなるのは良くない。本人は全然気にしてないから、遠慮せず強く言ってもいい。皆そうしてる。」と言われています。が、もし「個人の特性」でそれが仮に発達に関連していたら?そうは見えないだけで,本人はちゃんと辛いし自己肯定感(この言葉あまり好きでないのですが)も下がるんではないか、それは既に社会人数十年生だとしても、子どもと変わらずマイナスなのではないか・・?
上司からは「貴女のストレスになるし,溜め込んでしんどくなるのは良くない。本人は全然気にしてないから、遠慮せず強く言ってもいい。皆そうしてる。」と言われています。が、もし「個人の特性」でそれが仮に発達に関連していたら?そうは見えないだけで,本人はちゃんと辛いし自己肯定感(この言葉あまり好きでないのですが)も下がるんではないか、それは既に社会人数十年生だとしても、子どもと変わらずマイナスなのではないか・・?
うーん (゜-゜)。家族ではなく,社会の側の「受け入れる」。難しい。
どっちも肝になるのは「余裕がある」ことだと思うのですが,どっちも難点になるのが「その余裕をひねり出すのはお母ちゃん役の人自身」ってとこですかね
。
どっちも肝になるのは「余裕がある」ことだと思うのですが,どっちも難点になるのが「その余裕をひねり出すのはお母ちゃん役の人自身」ってとこですかね

きっと明日からも悩みつつ,会社の人に相談したり愚痴ったり,先輩おかあさん方のブログを読み漁ったり相方さんに愚痴ったりして、どうにかやっていくんだと思います。
ここまでお読みくださった方,長文で申し訳ありません。ありがとうございます。