先日のかあちゃん弁当。夕飯の残バーグ、ぼっちゃんのおすそ分けプチトマト,ニンジンサラダ。夏はことさら梅干しが美味。

 

 最近,公私に渡り「受容について」考える機会がありました。極めて個人的な見解ですが,現時点でワタクシは「諦めから始まる受容もある。でも、無理やり全部諦める必要はない(つうか相手に何も期待しないほど,自分は人間できてない)」と思っています。結婚とほぼ一緒?デレデレ

自分の流儀が確としてある他人を,そうそうこちらの思い通りに動いてもらおうったって、恐らく無理です。

…それは解ってるけど、洗ったお皿はお盆に積み重ねるんじゃなくて,洗い籠に伏せて重ねて置いてくれないかな(過去数回嘆願済み)!

食器棚に戻すとき,水滴溜まっちゃってるお皿をいちいちの拭くの,結構メンドイんだYo!!

いや洗ってくれるだけ,凄く嬉しいんだけどね!


みたいな(笑)。

 

 我が子はこういうことは難しいんだな、あんな風に家族で過ごしたいと思っていたけど、ちょっと無理かも。それが今のところの坊ちゃんなのね→無理そうなことは一旦諦める→じゃあ何だったら楽しくできるかなっ! みたいな形で,暗い沼に沈み込む前に,無理やりでも自分を軟着陸・再上昇させようとしているんです。これって受容じゃないのかしらん。ただ「諦める」という言葉の響きはネガティブに捉えられやすいのか、「そのあたりはもう諦めてるんでー」「この点については期待してない」みたいな言い方をすると,『貴女が諦めてどうするの』的な反応がくることがある。言う方はむしろ励まして下さってるわけで,そこのところが,難しい。

 掴み食べひとつ取っても,本当に空腹になったら食べるから泣き狂ってもほっとけ、母も我慢だ、諦めないで!とか言われても・・・私には無理っす,神経のほうがもちまっしぇん。ましてや、発達の問題があるとしたら、そのやり方でいいのか?殊更に不安が募る。だったら『月齢目安相当の自立した食事は一旦諦める』で、遠回りでも坊っちゃん向きのやり方を探す方がいい。面倒くさいし切ないし、悩まず済むならどれだけ楽なことだろう。でも「諦めないで!」と言ってくださる相手にこの心情を説明するにしても,咄嗟に言葉がでない。反論と取られえられそうで,相手によっては・・やり辛い笑い泣き

 

「諦めるのは,諦める私もサビシイんです。でも現状を受け入れるために,今は諦めざるを得ないんです。諦めることで視点が変わって、嬉しい別の何かに繋がるかもしれない。そう思って今は諦めるんです。でも,いつかはと願うことは止められなくて,色々探してるんです。可能性を全て手放すつもりはありません。誰より母である私が、この子を信じたいんです。」
これをもっとさり気なく,嫌みなく,ソフト&ライトに言う方法、なんかないでしょうかね。

ぼっちゃん,食欲旺盛な君の食事風景は,皆を幸せにしてくれています。ありがとね。

出来たら,今でなくていいので、いつか君が,自分の両手でおにぎりを持って(´~`)モグモグしてるとこ,家族皆に見せてください。ウマイ!って、笑顔で言ってくださいな。

その可能性を信じたい、修行不足のかあちゃんです。