チェーホフ集 結末のない話(ちくま文庫):アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ | 夜の旅と朝の夢

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第29回:『結末のない話』
チェーホフ集 結末のない話 (ちくま文庫)/筑摩書房

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前回に引き続きチェーホフ(1860-1904)の短篇集を紹介します。

前回紹介した新潮文庫の『チェーホフ・ユモレスカ』は、初期の濫作時代のユーモア小説を集めたものでした。今回紹介する本は、『チェーホフ集 結末のない話』で、出版社こそ違いますが基本的な主旨は前回と同じで濫作時代の小説集です。あと翻訳者も同じです。

チェーホフの濫作時代のことを、本書の翻訳者である松下裕はユモレスカ時代と書いていましたので、それに倣って僕もユモレスカ時代と書くことにします。

収録作品数は50。数が多すぎるので個別に紹介する気も起こらず、しかも基本的な主旨が前回と一緒となれば、まあ、はっきり言ってあまり書くことはないですね(笑)。でも気になった点を2つほど。

『チェーホフ・ユモレスカ』には、ジュール・ヴェルヌの作品の翻訳という体裁でパロディ小説が収録されていましたが、本書には、スペイン語から翻訳したという体裁の短篇小説「トレドの破戒者」が収録されています。本作はスペインで異端審問が行われていた時代の物語。ユーモア小説ではなく、暗い基調の物語で本書の中ではかなり異色です。

原案があったかどうかは分からないのですが、チェーホフは、普段とは別種の小説を書く際には、翻訳という建前を使っていたのかもしれません。

もう一つは、表題作の「結末のない話」。ユモレスカ時代のチェーホフは自分の体験談や見聞した内容に基づいて短篇小説を執筆することもよくあったようなのですが、本作では、自分の体験談を元にしていることを強調しています。

医者でもあったチェーホフが自殺を図った男の看病を行い、その後、奇跡的に助かった男がチェーホフにユーモアのある結末を付けてくれと言うのですが、チェーホフにはそれが出来ず戸惑うという物語。

人生の複雑さや不条理を強く訴えていて、後期の傑作群にも匹敵する印象深い作品でした。

ちなみにこんなセリフがあります。

『(自殺の原因は)自分でも、正直いって、わからないのですからね・・・。『失恋』だとか、『絶望的な貧困』だとかいう検事調書の用語がありますがね、原因なんかわかるものですか・・・。わたし自身も、あなたも、また『自殺者の手記から』をでっちあげるあなたの編集局も、わかりっこないんだ。自分の命を捨てる人間の精神状態を理解できるのは神だけで、人間になんか、わかるもんですか(P299)』

つまり、見た目の自殺の理由は本当の理由ではないということですが、これは明らかに、カミュの『シーシュポスの神話』の一節を先取りしています。

『新聞はしばしば「人知れず煩悶していた」とか「不治の病があった」とか掻き立てる。一応もっともに思える説明である。だが実は自殺の当日、絶望したこの男の友人が、よそよそしい口調でかれに話しかけたのではなかったか。その友人にこそ罪がある(『シーシュポスの神話』(新潮文庫、P13)』

もしかしたら、チェーホフは『異邦人』が書かれる50年以上も前に「異邦人」を理解していたのかもしれませんね。

次回もチェーホフの予定です。

関連本
シーシュポスの神話 (新潮文庫)/新潮社

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異邦人 (新潮文庫)/新潮社

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