鰐(講談社文芸文庫): フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー | 夜の旅と朝の夢

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【ロシア文学の深みを覗く】
第22回:『鰐』他3篇
鰐 ドストエフスキー ユーモア小説集 (講談社文芸文庫)/講談社

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今回紹介する本は、ドストエフスキーのユーモア小説集『鰐』。

ドストエフスキーにユーモアというのは、そぐわない感じがするかもしれないが、実はドストエフスキーはユーモアに傾倒していたらしい。うろ覚えなのだが、ロシア文学者の江川卓の『謎とき罪と罰』にも、後期の5大長編においてですら、ドストエフスキーはユーモアを非常に重要視していたというようなことが書かれていたはず。

ただし、そのユーモアは理解するのは、一般的な読者にとっては難しい。僕自身もよく分からない。ドストエフスキー特有の「混乱した語り」には、多少ユーモアを感じはするけれど、それがせいぜいである。

しかし本書に収録されている作品は違うのだ。「ユーモア小説集」というサブタイトルを掲げているだけあって、笑える作品が集まっている。本書を読むと、ドストエフスキーとユーモアの相性がいいことが理解できる。ドストエフスキーなんて難しそうと思っている人は、本書を読めば、そのイメージが変わるはず。

さて、本書の収録作品は、「九通の手紙からなる小説」、「他人の妻とベッドの下の夫」、「いまわしい話」、「鰐」の4篇。

【九通の手紙からなる小説】(1847)
ピュートル・イワーヌイッチとイワン・ペトローヴィッチによる往復書簡体小説。慇懃な手紙のやり取りが、徐々に罵倒に変わっていく様が面白い。そして最後には両者に対して失笑するオチが付くという小技の効いた小品。

【他人の妻とベッドの下の夫】(1860)
別々の2つの短篇小説を合体させた作品。各短篇小説は1部と2部となって組み込まれているが、2部の方が圧倒的に面白い。

妻が浮気をしていると信じ込む夫は、浮気現場と勝手に思い込んだ部屋に押し入ると、当然妻はそこには居らず、見知らぬおばさんが佇んでいるだけだった。と、そこにおばさんの旦那が帰宅してきて、慌てる夫は、悠然と立ち去ればいいのに、思わずベッドの下に隠れてしまうのだった。

とそれだけでも面白いのに、なんとベッドの下には先客が。夫と先客のベッドの下での小声による戦いが今始まる・・・

【いまわしい話】(1862)
四等官のイワン・イリイチが遭遇した自業自得のいまわしい事件。ちなみに当時文官は十五等官まであり、四等官は偉い方(四等官以上で世襲貴族になれる)。

ある人物の誕生日のお祝いが終わり、馭者が勝手に馬車で用事に出かけてしまったため、仕方なく歩いて帰ることになったイワンは、道中で何やら騒いでいる家の前を通る。そこに居合わせた警察官から、その家では、自身の部下にあたる人物が結婚式をしていることを知る。

イワンは、『すべての目下の者たちに対する人道的な態度(P149)』や革命の必要性を説く人物で、酔いのせいもあり、こんなことを思う。

『社会の全構成員の現在の関係の中で、おれが、このおれが、夜の一時近くに、自分の部下、月給十ルーブリ程度の書記の結婚式の場に入っていくことは、まさに秩序の破壊だ。これこそ――観念の逆転だ、ポンペイ最後の日だ、てんやわんやだ!(P161)』

そして、本当に呼ばれもしていない結婚式に乗り込んで・・・

呼んでもいない上司が結婚式にやってきたら、来られた方は迷惑するに決まっている。ましてや、そこは官位が物を言う帝政ロシアなのだ。何故、汝はそんなことをするのだ、イワンよ。

【鰐】(1865)
イワンとエレーナの夫妻とその友人セミューンは怪物を展示している店に鰐を見に行くと、なんとイワンが鰐に飲み込まれてしまう。

しかし、イワンは鰐の中で生きていて、妻やセミョーンに話しかけたりと余裕綽々。意外と居心地も良さそうなのだ。それでも、鰐の中では仕事もできないため、セミョーンはイワンのために骨を折って、色んなことをしてやるのだが・・・

人が鰐の中で生きているという驚きの事態なのだが、全ての人が冷静なのが面白い。セミョーンからして結構早い段階で退屈を覚えるし、イワンの上司にいたっては『あの人には必ずこんなことが起こるだろうと、わたしはかねが思っていたんですよ(P257)』と言ったりもする。

イワンは虫になったグレーゴル・ザムザを、セミョーンは裁判のための奔放するヨーゼフ・Kをそれぞれ思い起こさせるなど、カフカを先取りしている感があって僕は好きだ。

しかし、残念ながら未完であり、終り方が唐突である。あ、これまたカフカ的ではないか! 流石ドストエフスキー、時代を先取りしているぜ!

とまあ、そんな感じの4篇を収録。「他人の妻とベッドの下の夫」が一番素直に笑える作品かなと。「いまわしい話」と「鰐」は比較的諷刺が強いので、少し人を選ぶかもしれないが、完成度は高い(「鰐」は完成してないけど)。

まあ、タイプはそれぞれ異なるがどれも面白い。本書はかなりおすすめ。是非読んでみよう。

あ、そうそう、本書の解説に個人的にびっくりすることが書いてあった。

『「われわれはみな、ゴーゴリの『外套』から出てきた」という言葉が、ドストエフスキーの言ったこととされて確証もないまま一人歩きしてしまった(P321)』

この言葉に確証がなかったとは! ずっとドストエフスキーが言った言葉だと信じていたよ、僕は。

※「ですます調」に飽きたので、今回は止めてみたが、自分でも違和感がある・・・