大災害のニュースのあとに芸能人のスキャンダルが、芸能人のスキャンダルのあとに殺人事件の報道がランクインしていたある番組のあるコーナーは、歪みを理解するためにはうってつけの素材だった。そこでは、あらゆる話題が「報道時間」という共通の尺度によって一律に測られ、ランク付けされて、進行役を務める元アイドルによって発表され、いったい私たちはいつから、私的なこと、自己の内面にかんすることについて、かくも多くを語り、また他人のそれについてかくも多くを見聞きするようになったのだろうか。この問いに厳密に答えること、すなわち、諸々の要素を区別するなら多岐にわたるであろうその問題系の隅々にまで歴史的考察を尽くした上で答えることはできない。もっとも、洋の東西を問わず、かつては貴人や著名人のみに許される特権だった「自分語り」が、民主主義の普及に伴う文化の大衆化と科学テクノロジーが推進するメディア環境の拡大とによって、インターネットを用いればいまや小中学生にさえ日常的な行為になった、ということくらいなら言えるかもしれない。
若者の価値観など


イメージの同定については、賢者は相手ができるようになるまで、熱心に教育をしなくてはならないことがある。当初弱っている人はイメージに気づいていないことがほとんどであるため、賢者は何回かやってうまくいかないと、イメージの同定をあきらめてしまうことが多い。状況を語るときに、賢者の中にイメージが浮かぶようなら、それをヒントにして弱っている人がしているイメージをさらに探ることができる。ルームメイトの反応が心配だって説明してくれたとき、私の頭の中には映像が浮かんだのですよ。私はそのルームメイトのことを知らないのにですよ。騒音のことを彼女と話し合おうとするときの彼女の様子をイメージしていませんでしたか?それでも弱っている人が自発的にイメージを同定するのが難しいようであれば、まずはそれほど怖くない状況についてのイメージを引き出すようにする。「私に会う前、私がどんな人かイメージしましたか?」「このクリニックの様子を何か想像しましたか?それを説明していただけますか?それが、私たちがイメージと呼んでいるものです」。