利根川東遷物語7
栗橋から関宿にいたる利根川右岸河川敷のポピーの群生
1621年 合の川締め切り(現在の羽生市川俣地区)に際し、赤堀川の開削が行なわれた。
現在の栗橋から関宿に至る間の利根川は、その工事で開削されたものである。
1654年の増削、1705年の更なる増削ヶ行なわれ、この間、約100年を経過している。
利根川東遷物語6遥か昔の関東平野の川の流れを見てみる。

1000年前の水脈想定図である。(利根町史より)
利根川は、まだ、渡良瀬川とは、合流していない。茨城県側は、殆どが沼地として示されている。
鬼怒川は、小貝川と合流して、印旛沼と繋がっているように記されている。
利根川東遷物語5

徳川家康は、江戸入城4年後の1594年に、四男忍城主松平忠吉に、
会の川利根川筋(羽生市川俣地区葛西用水路)の締め切りを命じている。そして、伊奈忠次を関東郡代として関東一帯の治水工事を命じている。
以来、現在までの400年に及ぶ利根川東遷物語が始 まる。
