最近、忙しくて家に帰るのが23時を過ぎることが多い。私は家に帰ったら必ずまずはオーディオの電源を入れて、CDをかけるのですが、たいていは既に入っているCDをそのままかけることになる。だから、前日の気分次第で、あるいは家人の気分次第でびっくりするようなCDを聴くことになる場合がある。

仕事で23時を過ぎての帰宅後に聴く音楽というのは限られますよね。私の趣味はなんだかとりとめがなくて、CDラックを覗いた知人のたいていは首をひねることになる。ブエナビスタ・ソシアルクラブの隣にスガ・シカオが居て、MJQの隣にはマリオ・ジョアオ・ピリスのショパンがある。平積みの分も小澤征爾の上にドレイクが置いてあって焦ることもある。だいたい整理も何もしないから、乱雑に並べられていて、しかもジャンルが多岐に渡るので、よく分からないことになる。並べた私にもお目当てのCDを即座に見つけ出すことは困難なのだ。だから、ポンとプレイ・ボタンを押すと、夜の23時過ぎにレッド・ホット・チリペッパーズがかかったりすることになる。重厚感のあるバス・ドラムのリズムもそれはそれでとても良いのですが、疲れている夜に聴く音楽ではないですよね。

それで、最近の私のCDプレーヤーの中にはほとんど必ずノラ・ジョーンズが入っています。ノラ・ジョーンズの声ってなんだか本当に癒されますよね。ピアノもギターもほどよいアコースティック感が出ていて良い。そして何といってもコーラスのハーモニーが良い。恍惚の境地に達することこの上ない。



ところで、癒しの音楽というとオルゴールがかかっていることって多くないですか。マッサージ屋さんとかに行くとたいていはオルゴールのJ-POPが流れているし、オルゴールの胎教CDとかもある。当院の手術室では有線でオルゴールの曲が一日中流れている。私ははっきり言ってこういうオルゴール・ミュージックが嫌いだ。音色はひとつに限られ、抑揚もなく、怖いくらい機械的。もともとが機械音楽ですからね、オルゴールは。決して癒しの音楽のようなものではない。と思う。私の偏見だろうか。幼少期にオルゴールを聴いて育った欧米人ならば憧憬で癒されたりすることもあるのかもしれないけれど、私のように日本で育ったおっさんに対してはどう考えても癒しの効果はないのだ。どうせ自動演奏をやるなら、パット・メセニーのオーケストリオンみたいに徹底してやってほしいいな、と思ってしまう。



だから、言わせてもらえるならば全国のマッサージ屋さんに言いたい。マッサージ中はおっさんに対して癒しの効果を持つノラ・ジョーンズを流すべし。それだけでおっさんのリピート率は向上するはず。しないかな。少なくとも、私はそういうマッサージ屋さんに行きたい。現に私はいつ行ってもノラ・ジョーンズのライブ盤がかかっているという稀有なうどん屋さんに通いつめている。もちろんうどんも美味しいんですけど。


 私はビタミンCを大量に飲んでいる。別に体のどこかが悪いってわけじゃあないんですよ。でも、毎日毎日ビタミンCを大量に飲むようになってから、けっこう体調がいいような気がする。

 朝起きてまずオブラートに2グラム包み、飲み下す。このオブラートに白い粉を詰めるというのが、何となく良いんですよ。なんだか悪いことをしているような気持ちになる。ただのビタミンなのに。気分の問題ですが、これは大事ですね。

 それで、職場ではシナールというビタミンCの錠剤を3錠とか5錠とか気分に合わせて口に放り込み、ぽりぽり噛むのです。

 ビタミンCは水溶性ビタミンですから、結局尿に排泄されるので無意味という人もいます。だけど、害がないのなら、まあいいか、という気もする。医聖であるヒポクラテスも言っている。”First, do no harm”(まず、害をなすなかれ)。

 じつはビタミンCの大量療法には様々な論文があります。そもそもビタミンCは重要な抗酸化物質で、日々大量に消費されます。精神的ストレスでも消費されるらしい。だから、ビタミンCはたくさん摂るのがいいのです。

 と書いた次の日に風邪をひいた。うーん、きっとビタミンCが足りなかったのだ、と思うことにした。





 何が原因か分からないけれど、何らかの言葉が頭から離れない状態になることってありますよね。

特に手術中などにそうなると、もう6時間くらいはぐるぐるぐるぐるその言葉が回る。先日は、「奇貨居く(おく)べし」という言葉が頭から離れない状態になることがあった。その時は意味がよく分からなくて、後で調べたところによると「期を逃すな」というような意味らしい。中国の故事から来ている言葉。しかし、その故事に聞き覚えはなかった。そもそも「おく」が「居く」なことも知らなかった。

言葉だけではなく、音楽の場合もある。私は、「ネバーエンディング・ストーリー」のテーマ・ソングがよく無限ループに入る。しかし、私は「ネバーエンディング・ストーリー」をきちんと観たことがない。思い浮かぶのは、あの耳で飛ぶ巨大な犬の顔くらいのものなのです。

いずれにしても、こびりつくものというのはだいたい私にとって特に思い入れの強いものではないことが多い。そこには夢に似た象徴性とか偏執性があるのかもしれませんね。あるいは、人間というものは脳内のどこかが宇宙的な何かとつながっていて、そこからのメッセージがアンテナの感度が上がった時だけ聞こえてくるのかもしれない。しかし、そうだとしたら、「ネバーエンディング・ストーリー」のテーマ・ソングを一日中流し続ける宇宙的な放送局というのは何かしら問題がありますよね。「奇貨居くべし」にもあまりメッセージ性が感じられないし。もう少し役に立つ情報でも流してくれないかな、と思うのだが、それはそれで気が散って嫌なのかもしれない。まあ、適度に硬くもなく、かといってどうでも良すぎないもの、という意味では、「ネバーエンディング・ストーリー」というのは適切な選択なのかもしれないなあ、と思ってしまいますね。明日は何の曲だろう、と考えるのも悪くないし。まあ、明日も「ネバーエンディング・ストーリー」だったりするんですけどね。