最近、人間の脳は
思いあがっている。



単なる一臓器の分際で



我こそはこの肉体の
全てを統べる王であり
支配者であると
勘違いしている。



だから



脳さえ生かせば
あとは機械の身体でも平気だ
記憶を移植すれば永遠に生きられる!
なんて夢を見る。



私に証明はできないが



肉も骨も皮膚も内臓も血も
皆それぞれに考えて
色々なことを記憶しながら生きているのに
間違いはない、と思っている。





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モラハラDVに耐えてしまう。
脳が暴走した結果、
そうなる。



古い脳はまあよい。
古い脳は内臓としとの分を
まだわきまえている。



問題は新しい脳だ。



新しい脳は言葉を生み出し発達させ
次第にそれに耽溺するようになり、
最終的には言葉の方を
現実より現実味のあるものとして
認識するようになった。



それは科学技術と文化の発展を促したが
同時に現実を見失わせもした。



「愛」「家族」「助け合い」
「お前のためを思って」
「バチが当たるぞ」
「オバケが出るぞ」
などの言葉の方を信じ、
酷い目に遭わされていても
逃げなくなる。



内臓は、皮膚は、
血は、骨は、全力で
危険を知らせているのに
思いあがった脳が
言葉の麻薬で麻痺させる。



DV被害者が離別を決意するときは
何らかの「とどめの一撃」があるそうだが、
それはつまりその衝撃で
脳がフリーズした隙に
肉体の他のメンバーが反旗を翻し、
思考の主導権を奪い返したということだ。




さて、あなたの脳は
思いあがっていないだろうか?





モジホコリは単細胞生物ながら、
状況により様々な「知性」を示す。