男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか



記事では、明治大正以降に
この傾向が顕著になったとあるが、
ではそれ以前の江戸男子は
もうちょい気合い入ってて
マシだったのだろうか。



よく分からんが、もとから男性脳は
ストレス耐性が女より低くて
自殺率も高いし
アンガーマネジメントも下手だ。
だからせめて捕まえた女ぐらいには
優しくしてもらいたいなー
お母さんみたいなんがいいなー
という気持ちが生まれるのは
仕方ねえのかなという体感はある。



それにどの程度付き合ってやるかは
各自の匙加減であろうし、
嫌気がさしたら捨てやすくなった現代は
なかなかいい塩梅なのではないかとも思う。



嫌な女にはなりたくなかったが、
最近、結局ドキンちゃんは
女の生き方として非常に正しいのではないか
という気がしてきている。


以下記事全文転載↓


女性誌に溢れる「愛され」のテクニック



 「ありのままの自分」を受けとめ、愛してほしい。深く理解し、よりそい、支えてほしい。そうしてくれる誰かと出会い、結ばれたい。多くの人が、このような願望を、心のどこかにもっているのではないだろうか。「ありのままの自分」が愛されるという幻想には、私たちを強くひきつける魅力がある。



 成績は良い方がよい、稼ぎは多い方がよい、コミュ力は高い方がよい、見た目はイケてる方がよいと、なにごとも優劣、勝敗で測る価値観が跋扈する世の中である。そのなかにあって、「ありのままの自分」が愛されるという幻想は、私たちに夢を見せてくれるのである。「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」なのだ、と。


 だが、現実においては、そう簡単にありのままを受け止めてくれる聖人のような恋人は現れない。実際には、誰かに選ばれるための努力が必要なのである。そう、愛されるための努力が。



 この現実は、腹立たしいものだろうか。もしあなたがそう感じるとしたら、もしかしたら「男性的」価値観を内面化しているといえるかもしれない。なぜなら、異性愛を念頭においたとき、男性は、女性に比して、愛されるための努力をしたがらないという傾向が、指摘されているからである。


 もちろん男女ともに、個人差も世代差も大きい。しかし、たとえば女性向け雑誌と男性向け雑誌を比べてみるならば、女性誌における愛されテクの豊富さは、一目瞭然である。愛されファッション・愛されメイクにはじまり、愛されるための会話の運び方、ベッドでのふるまい方、愛されるための料理のレシピ、などなど。


 こうした女性に求められがちなテクニックについて、なにか小賢しい偽りで、「真心」が伴っていないという悪印象を抱く人もいるかもしれない。実際、男性に好かれようとするテクが丸見えの「ぶりっこ」は、侮蔑の対象とされる。「ありのまま」の私とあなたという幻想に逆行するテクニックは、不誠実なものとして否定されることが多いのである。


 しかし、本当にそうだろうか。愛されるためのテクニックとは、基本的に相手の求めていることに配慮することを教えるものである。好感のもたれる装いをし、相手の気分に注意を払い、聞き役にまわり、相槌をうち、相手を居心地よくさせること。これが求められていることの基本である。「素の自分」などというと聞こえはよいが、むっつり黙り込むことが、相手を居心地よくさせるわけはない。



 と、このように女性の側の「愛され力」を肯定したり、それを身につける苦労について語ったりすると、男性は「愛され力」のかわりに、経済力を求められて大変なのだという話が必ず出てくる。収入の少ない男性がいかに結婚できていないか、いかに男性は収入が少ないというだけで、女性から不当に排除されているかという訴えがあとに続く。


 そして、話は、収入ではなく、「ありのままの自分」を愛してほしいというという方向へと収束していく。議論は一周まわって、気づけば冒頭へともどっているのである。


 さて、本稿の目的は、収入の少ない男性が結婚できないのは、女性が高収入の男性ばかりをねらうからなのか、男性が「愛され力」によって自らを売り込むことをしないからなのかという議論に決着をつけることではない。


 かわりに本稿では、時計の針を140年ほどもどし、まさに愛すること/愛されることをめぐるジェンダー構造がつくられていった現場に立ち返りたい。そもそも「ありのままの自分愛され願望」はどのように生み出されたのか、そして、その願望をめぐる男女差はいかにしてつくられたのか。まずは歴史的視野の下で現状を理解してみようということである。


 (以下では、拙著『男たち/女たちの恋愛――近代日本の「自己」とジェンダー』の内容をごく一部紹介する。ご関心をもたれた方は、ぜひ本書を手にとっていただければうれしい。)

「本当の自分」へのこだわり

男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか

 「ありのままの自分」を愛してほしいと願うとき、私たちは、外向けの取り繕った自分ではなく、その内側に存在する「本当の自分」を見てほしいと願っている。「本当の自分」などそもそも存在するのかどうかはさておき、「本当の自分」なるものへのこだわりが生じたのは、明治期のことである。職業選択の自由、結婚の自由、移動の自由が可能となった時代において、はじめて「本当の自分」とは何者なのかという「自分探し」がはじまったのである。


 親の職業を継ぐことが当然であり、生まれ落ちた共同体のなかの人間関係が、幼少から老年まで続く生活において、「自分探し」は不要であろう。「自分探し」は自分の生を自分で切り開くことのできる時代の特権であり、とりわけ家業を失った士族出身の青年たちにとっては、否応なく向き合わざるを得ない課題でもあった。


 さて、「本当の自分」なるものへのこだわりは、「本当の自分」を理解してくれる「本当の友達」を求める心性を生みだしていった。長年お互いを知っていること、絶対に裏切らないことなど、良き友の条件はいくつかあるだろう。明治期において、そこに、仮面の下の「ありのまま」を理解しあえるという項目が加わったのである。


 それは、長幼の序、男女の別といった「外面的」な地位に基づく秩序を重んじる、従来の儒教的価値観に対立させるかたちで、「本当の自分」という「内面的」な本質によってつながる関係への憧憬が生じたことを意味する。社会的地位に規定された関係ではなく、それを取っ払ってなおつながる絆への憧れである。


 では、そのような関係性は、どこで、どのように実現できるとされたのだろうか。実は、ひとつの有力候補とされたのが、夫婦である。たとえば、私たちのもつ夫婦観や家庭観を形成するうえで、重要な役割を果たしたとされる『女学雑誌』という雑誌には、明治20年代に、夫婦を「真友」とする見方が提示されている。


 主筆であった巌本善治は、夫婦は「唯一(たゞひと)つの真の友」あり、妻は「朋友中の朋友」あるいは「終身の友」であると述べている。社会に存在するさまざまな上下関係、利害関係、競争関係を超えて、夫婦だけは一心同体になれるのであり、むしろそのような相手とこそ夫婦関係を結ぶべきとされたのである。


 もっとも、夫婦をこのような存在とみなす見方は、当時にあってかなり斬新なものであり、現実を反映していたわけではない。むしろ、未だ日本には存在しない夫婦関係が憧憬されたのだといった方が正確である。というのも、『女学雑誌』にも書かれているように、多くの家族において、妻/嫁はまさしく下女のように扱われており、夫婦は友だちとはほど遠い状態にあったからである。


 下女ではなく、本当の友達としての妻。そのような妻を求める心性は、結婚の意味を根底から問い直す。財産や家の格ではなく、容貌や一時の気の迷いでもなく、本当にその人自身を愛しているのかということが、結婚において問われるようになっていったのである。


「本当の自分」と「公/私」の分離


 このように「本当の自分」の領域が、夫婦関係に求められていったことは、この時期に男は仕事/女は家庭という性別役割分業観が形成されていったことと、無関係ではない。男は仕事/女は家庭という役割分業は、仕事の空間と家庭生活の空間を分離し、前者に男性を、後者に女性を割り振るものである。


 現在を生きる私たちにとって、仕事と家庭が分離され、家庭領域における責任は女性(主婦)が担うというのは、自明のことかもしれない。しかし、かつては家族総出で家業に従事することの方が当たり前だったのであり、そのような時代にあっては空間的にも作業の内容という観点からも、仕事と家庭、公と私の分離は、曖昧であった。


 公私が分離されていったということはまた、仕事とプライベートの人間関係が分離されていったということであり、公と私でそれぞれ別の顔をもつことが期待されるようになっていったことを意味する。


 もっというと、仕事においては任務に忠実に、滅私奉公し、そのかわり、家庭においては「ありのままの自分」であることが許される、という理念型がつくられていったのである。仕事では自分を殺さざるを得ないが、家庭では、天使のような女性が自分を受けとめてくれる、という理念である。もちろん理念に過ぎないのだが。


 「本当の自分」をどこに、あるいは、どのような関係性に見出すのか、その解は無限に存在し得るはずである。にもかかわらず、夫婦こそが「ありのままの自分」の領域であるという定式がつくられていった。こうして、職業選択の自由、結婚の自由、移動の自由を獲得した個々人は、性別役割分業体制を基盤とする新たな社会秩序へと組み込まれていったのである。

男性中心の構造


 このとき注意すべきは、「天使のような女性が自分を受けとめてくれる家庭」というのが、男性のファンタジーであったということである。


 当然ながら、女性の側の物語は、男性のそれとは大きく異なっていた。新たな性別役割分業観の形成によって、家庭を唯一正統な居場所とされた女性たちにとって、家庭とはまさに家事育児という社会的に期待される任務が課される領域であった。そして、家事育児に加え、夫を精神的にケアすることもまた、妻の役割とされていった。



 すなわち、女性にとって家庭とは自らを解放する場ではなく、むしろ男性が自己解放できるように、愛の名のもとに慰安することが求められる場であった。女性の「本当の自分」は、議論の蚊帳の外におかれていたのである。


 もちろん、男女に異なる役割が課される構造において、女性ばかりが苦労したわけではない。立身出世の重圧に苛まれ、十分に成功できない男性のコンプレックスには、すさまじいものがあった。早くも明治30年代には、地位、財、名誉の獲得にがんじがらめにされることへの異議申し立て、青年たちによってなされている。稼ぐための機械にされるのではなく、「自己表現」を仕事にしたいというテーゼもこの頃には語られている。


 だが、このとき面白いのは、彼らが稼ぎ手としての重圧に反発した一方、他方では女性との愛をいっそう理想化していったことである。女性との恋愛こそ、人生において価値あるものだというように。公的領域において男性に課された規範に対抗するために、あくまでも公的領域から排除された女性との関係が、理念的な避難所の役割を果たしたわけである。



 すなわち、男性たちは自らに課された性別役割には反抗しながら、恋愛という関係の中で、女性たちにはそんな彼らを受けとめるという「女性役割」を求めた。このようなダブルスタンダードを含みこんで、女性との恋愛は理想化されていったのである。自分は男性役割から解放されたいが、女性には相変わらずケア役割を求めるというダブルスタンダードは、現在においてもみられるものであろう。


女性からの異議申し立て

男性の「ありのままの俺を愛してほしい」症候群は、いつ生まれたか
「青鞜」創刊号の表紙
WikimediaCommons

 さて、それでは女性たちは、そのような男性の要求にどう向きあったのだろうか。男性の求める女性像を演じさせられることへの異議申し立ては、早くも明治末には登場する。たとえば、平塚らいてうによって創刊された『青鞜』に、そのような女性たちの声が記録されている。


 特筆すべきは、男性とではなく、女性同士で恋愛するという選択肢が、現在よりもはるかに「ふつうのこと」として存在していたことである。恋愛とは男女のものであるという強い異性愛規範が、未だ成立していなかったのである。


 だが、性別役割分業を基盤に据え、男性の生産労働と女性のケア労働(再生産労働)によって富国と強兵を図る近代国家形成のプロジェクトの進展により、同性間の恋愛は、男は仕事/女は家庭という性別役割分業に基づく夫婦というユニットの形成と対立するものとされていった。恋愛のイマジネーションは、異性愛のそれが中心化され、同性愛のそれは周縁化されていったのである。


 そのなかで、女性にとっての自己実現は恋愛結婚し、母になることであり、そのことによって実現する自分こそが、「本当の自分」であるという論理がつくられていった。これは、母・主婦役割を離れた「ありのままの自分」というものが、女性には実質的に、ほとんど許されなくなっていったことを意味する。


 さて、「ありのままの俺を愛してほしい」という願望をめぐるジェンダー構造は、現在どの程度、残存しているだろうか。専業主婦という生き方はマジョリティでなくなったとはいえ、未だに家庭責任の大半を女性が担うことが期待されている。がんばる男性とそれを支える女性という理念型も未だに存在し、それゆえ恋愛においても女性が男性の「ありのまま」を受けとめるという定式が未だに見受けられる。


 だとすれば、「このままの俺を愛してほしい」という願望の歴史的構築性をふまえた上で、その男性中心性に想いを馳せる必要があるのではないだろうか。性別役割と密接に結びついた恋愛観の中心化が、同性間の恋愛の抑圧と表裏一体のものであることも忘れてはならない。恋愛という個人的な経験にも、労働とケアを配分する現行のシステムのあり方が、色濃く反映されているのである。


 また、近年においては、恋愛に限らず、「ありのままの自分」や「本当の自分」、「自分らしさ」といった言葉が肯定的に使われているのを、よく目にする。それらの言葉によって、既存の男らしさ/女らしさを超越しようとする傾向も見られる。しかし、そのような場合においても、かつて女性の「本当の自分」とは「母」であるという価値観がつくられていったように、「本当の自分」の中身は、いくらでも一定の方向へ誘導され得ることに、自覚的である必要があるだろう。

 あるいは、男性の「ありのまま」が私的関係においてのみ許されたように、特定の領域での「ありのままの自分」の解放が、他の領域での抑圧とセットになっている可能性にも、私たちは注意深くなくてはならない。

田中 亜以子(関西大学非常勤講師)