我々人間にとって
家族は最小のサバイバルユニットだ。



そして国家社会は
その大規模版だ。



昔の人間にとって
家族は今よりもっと意味があった。
無ければ死亡率は跳ね上がったからだ。



しかし現代、社会構造の進化と
様々な技術の発達により
家族機能はアウトソーシング化され
サバイバル手段としての
家族の意味は薄れた。



同時に、
同じくサバイバルのために
男女に分かれた性質、性、本能も
アウトソーシング化によって
行き場を失いつつある。



妊娠、出産、育児も
人工プラントで代替できるようになれば
性別自体に意味がなくなる。



家族、結婚、それらの制度は
先進国であればあるほど
雲散してゆくだろう。



女性は より男性を必要としなくなり
単なる嗜好品として
彼らを扱うようになるだろう。



男性は
強烈な性欲と孤独感を癒すために
女性より異性を必要としている。
が、それらもいずれは
自ら作り出した
高性能ロボットや
高性能AIによって満たされるだろう。



家族はなくなるだろう。
社会国家が
個の集合体としての家族となるだろう。



行き場を失い形骸化した本能は
文化の原動力となるだろうが、
本来の意味で
芯から満たされることはなくなるだろう。



どのような種も
いずれは衰退し
新しい勢力にその場所を譲る。



生存のために超巨大化した恐竜類は
そのサイズ故に絶滅し
あまりに牙を発達させた猪は
伸びすぎた自らの牙のために死んだ。



我々人間は
知恵が回りすぎて
衰退するのだろうか。



ゴキブリ先輩の
生命としての完成度には
感心させられるばかりだ。