さいたま小4殺害事件、「とくダネ!」が進藤容疑者の最新の供述を報道…「本当の父親じゃないくせにと言われて腹が立った」










中絶も子殺しの一環だが
産まれる前なので
法的には殺人にカウントされない。
日本では年間約19万件、
つまり19万人の
日本人になるはずだった命が
合法的に処理されている。



こう書くと中絶に対して
批判的に聞こえてしまうと思うが、
それは本意ではない。



私個人としては、
中絶を罪と捉えるかどうかは
行った本人の意識の問題
だと思っている。
一方、中絶される側の子供の気持ちは
他者には分からない。



ここには、モラハラDVの加害者&被害者と
同じ構造があると私は思う。



違うのは、
モラハラDV被害者には
声を上げるチャンスが無きにしも非ずだが
中絶される胎児にはその機会が
永遠に無い点である。



それは普通の状態の精神から見ると
非常に恐ろしくて残酷なことだが、
この世のあらゆる事象と同様に
善悪の線引きは
実は我々の脳内にしか無い。




ニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコニコ




理由は何であれ、
大抵の女は自身が有利に生き延びるために
中絶をする。



上記コメントに書かれている
出生直後に母親に殺された嬰児たちは
恐らく母親がなんらかの理由で
中絶ができなかった子たちであろう。



次々と妊娠中絶し
それをなんとも思わない女でも
自らの腹を痛めるリスク
中絶という身を切る恐怖を
超えねばならない点は同じだ。
その時、深い部分にある
くさびを引きずって
生きていくのは女であって
男ではない。



お楽しみパーティの後始末は
いつだって母親。
女の身体は女本人が守らねば
誰も守ってくれない。






女が持っているある種の性質を
世間は仮に「母性」と称しているが、
一般に、特に男性は
「母性」という言葉に対する
期待値が高すぎる。



自分らにとって
都合と居心地の良い部分だけを
母性と呼ぼうとしている。



私にとって母性とは、
『生きる』ことの生々しさそのものだ。



つまり
子供のためなら我が身を捨てるし
我が身のためなら子をも喰らう。
我が身のために男と寝て
子供のためならその男を殺す。



そこに我が身と我が子の境界線はない。
あるのはただ
連綿と続く命の連鎖への執念のみだ。



子供にとって有益な行為を
世間は「母性」と呼び、
母体にとって有益な行為を
世間が「女」と呼んでいるだけでは
ないだろうか。



何にせよ、呼び名に振り回されることほど
馬鹿馬鹿しいものはない。



自分がどう生きるか。
授かった子供をどう生き延びさせるか。
正解のない問いに挑戦し続けることが
生きるということの一側面であろう。