「好きな日に働き、嫌いな仕事はやらなくていい」――“自由すぎるエビ工場”が破綻しない理由




この世の中も、
この仕組みでうまく回る部分は
もっと多いのではないか。


例えば私は子供らの教育について
正直、ほぼポリシーもビジョンもやる気もない。
しかし元夫にはある。


ピアノ、キャンプ、語学、毎晩の読み聞かせ。


そのセンスと情熱は
(ある程度)信頼しているので
あまりにあまりな部分を除いて
任せている。


私はこの10年の只働きで
子供らの教育進学費を
先払いしたと思っている。


私は私にできることをやった。
妊娠、出産、初期育児、その他諸々
それでいいじゃないか。
世の中分担だ。


あとは私自身がもっと
自信を持って幸せにならないと
子供らはその能力と時間を
私の幸せのために注力しかねない。


具体的に言うと
せっかくどこかへ遊びに行ったのに
お小遣いを全て
私へのお土産に使い果たす系の
優しさが彼らにはあり、
それはつまり
私が彼らの前で疲れて泣いて怒っていた時代が
長かったことを意味している。


子供らの自由な幸福のためには
私がまず自力または他力で
自由で幸福にならねばならない。