カレン・カーペンター ~母に引き裂かれたスーパースター~



以下記事抜粋。
翻訳者さんには悪いですが、
読みやすいよう部分的に校正しています。



●…母アギネスは「女は主婦しての能力があって一人前」と考えていた節がある。
息子のためならLAに一家で引っ越しすらする一方、自分が一度過小評価した人間の価値が上がることは認められなかった。カレンがドラムを始めたときや、歌手デビューする際にも カレンの前に立ちはだかった。母親はこの後一生涯カレンが類まれな才能を持っていることを認めなかった



●…ふたりはメディアに‟アメリカの若者の手本”ともてはやされ、同時に揶揄の対象ともなった。
そんなとき『ビルボード』誌はカレンを「chubby sister」と紹介した。「太っちょの妹」。思春期の頃から体形を気にしていたカレンは、このことで食事に対して非常に気を使うようになっていった。



●…久々に実家に戻ったカレンが母に痩せていると責められたとき、「私に太っちょ(chubby)って言ったこと覚えてる?」とリチャードに言いつのったという。この頃のカレンにとって、食事は皿に乗っている物を右左に転がすための場でしかなく、周囲の人たちの望む姿になるべく痩せ続けていった。


‟I know your image of me is what I hope to beあなたが私にもっているイメージは、私がそうなりたいと思う姿なの)”

「A Song for You」



●…「結婚するまでは女性は家を出ない」ことがマナーだと信じていた保守的な母は、カレンの自立を阻み、一人暮らしも認めなかった。兄の説得により、仕方なく兄妹同居という形でようやく認めたが、カレンのプライバシーを絶対に作らせないよう画策した。



● …こうして待機していた1975年の日本公演は中止に。日本の地を踏む4度目のチャンスを楽しみにしていたカレンは、自分に相談もなく兄がツアーをキャンセルしたことに激怒。「なんで、いつも決めてから言うのよ!」



●…しかしその結婚も、わずか1年強で破綻。両親の訓えから、専業主婦願望を持っていたカレンだったが、スーパースターを求める周囲はそれを許さなかった。



●…散財を繰り返した夫のトムは妻から金を借りる日々。その額は現在の価値にして1500万円。夫のために食事を作って待っている生活を望んでいた彼女に、夫は働き続けることを希望したのはそういった背景があった。カレンの資産を巡る吝嗇の夫との争いを経て拒食症を加速。



●…ようやく家族は心理的障害を専門とする博士に相談。何かにつけて自分の意志を妨害されてきたカレンは唯一自分の思い通りになる体重に固執していることを指摘。カレンの決定を尊重すること、そして何より期待したことをカレンがやらなかったとしても愛していることを示すことだと伝える。しかし両親は治療を拒否。カレンの従順さ、世間の言う正しい女性像に価値を見出してきた家族にとって、とくに母親にとっては「自由に生きても愛している」と伝えることは、自分の子育て自体を否定する行為だった。




●…なんとか生きられるまでに回復したカレンは、実家に引き取られる。退院を祝い、実家で過ごした久しぶりの家族団らん。食卓に出てきたものは兄リチャードの好物。家族のため必死で少しずつ食事を口に運んだカレンは、母の足元に頽れこう懇願したという。「私のママになってよ」。





●…長年の摂食障害と体を酷使したエクササイズによりボロボロになっていたカレンの心臓は限界に達し、1983年2月4日、わずか32歳の若さでこの世を去る。歴史に名を遺すシンガーは、最後まで周囲の都合と母親の期待に引き裂かれた。カレンの死後15年を経て、日本では東電OL殺人事件が起こる。望まれる女性像と活躍する女性像の狭間で、唯一コントロールできる身体を消費するように死んでいった彼女たちから、まだ世界は学んでいない。






真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔





カレンは才能溢れるスーパースターだった。
東電の彼女は頭の良いエリートだった。


誰も彼女らを刃物で脅したりしていないし
殴ったり怒鳴ったりした訳でもない。


ところが彼女らは死んだ、
「死んだ」どころか 殺された。


容姿と
性的価値。


唯一自分の裁量が通るその世界で
たくさんの女たちが
今日もその肉と精神を切り刻む。


ヴァニラさんしかり、
弘田三枝子しかり。


共通するのは
皆 真面目で頑張り屋、
根の優しい
我慢強い
大人しい女の子だったということ。