もうここらで いい加減
同じパターンに嵌ったり
引っかかったりするのをやめたい!


…と、思って幾年月。


やっと、何にも期待しないで
亀の歩みでひたすら やる事やってたら
引っかからなくなってきました。


「期待をやめる」のは
「諦める」「絶望する」「悲観する」
のとは違います。


全っっっ然違います。


むしろ、


期待する  のは
諦める・絶望する・悲観する
と同じことです。


なぜならどの言葉も、現実には向き合わず
頭の中の仮想現実に逃げているからです。


期待する=現実を見ない。
つまり逃避  です。


現実をありのままに見る練習を
続けていくと、
24時間 乖離しっぱなしだった頭と肉体が
統合されていきます。


そして、気持ちと身体が安定して
必要な時にだけ
怯えたり 怒ったり 悲しんだり
できるようになります。
必要が去れば、また元に戻れます。




りんごヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビヘビ




恐らく言語を使い始めて以降、
私たちヒト族はもう長いこと
バーチャルリアリティの中で生きています。
また、そのバーチャルリアリティの中にある
数々の事象パターンは、物語と呼ばれます。


物語は、先人が見つけた
現実内に度々起こる事象パターン認識を
後世に継承するための叡智です。


しかしそのパターンを追い過ぎると、
目の前の現実を
見もせず 感じもしないままに
わかった気になります。


それが我々ヒト族の力であり、
同時に病です。
モラハラ思考はその最たるものです。


期待はしない。
現実を見る。
そして、アクションを起こすかどうかを決める。
その繰り返しをしながら世界を感じ
いつか死んで消えていくのが我々の生。


パターン(物語)はある。
単純至極な真実の答えも
とうの昔に出ている。


もう発見され切っている沢山の事を、
改めて自分で見つけていくのが
生きるということではないか。


だから、分かるのが遅すぎたと泣く必要は
なかったんだなと最近思います。
先取りはできないんですよ。
何も知らないで生まれてくるんだから。


まあ、ガッカリも自己嫌悪も
味わい尽くしてこそ。


気長に行きましょう。