モラ尾君との付き合いを通して
様々な悩みが生まれ
苦しくて不安で色々な知識を探してきた。


その時私は 私たちの関係の
「結論」「未来」を知りたくて堪らなかった。
早く、楽になりたかったので。


けれど同時に、私は本能的に
これぞ決定打、解答です!みたいな資料は
読みたくないと思った。


なぜならそれは、
私が毎日モラ尾君にされて
嫌で堪らない事だったから。


結論や決断を 外部に決められる。
私の内部の小さい違和感や疑問は掻き消して
外部の意向に自分の方を合わせていく。


…なんか、モラ尾君よりマシなご主人様に
飼いなおしてもらうのと同じことじゃん。
結局奴隷根性じゃん。嫌だ。


だから、非常に変なジレンマの中、
DVや夫婦問題の本は避け
哲学とか 社会心理学とか 脳神経科学とか
自然科学の本や資料を読んだ。
そこには結論じゃなくて、
現時点での知識や
そこへ至るまでの思考の筋道があった。
勘で動く闇雲な遠回り学習だったけど、
関係なさそうに見える全ての知識は
不思議なつながりを形成して
私のいく道をボンヤリと照らした。



言語。



人間は言語によって躍進し
言語によって精神世界を限定した。


できることが増え
できないことも増えた。


非常に便利で 便利すぎる反面、
言語は私たちを騙し、迷路へと誘い込んだ。


モラ尾君の放つ数々のナタのような言葉
もつれた経緯とお互いの思考の流れ


そんな捻れて突き刺さる言葉の数々を
をまともに正面から受け取った私は
これまた馬鹿正直に共通言語として理解し
共通言語として返そうとした。
それが私のいた世界の常識だったから。


結果、お互いの 心と本能の会話は
いつも言語思考によってかき乱された。
いつも余計な意味が足されたり引かれたりして
目の前にいるのに お互いに手が届かなかった。


喧嘩をしているのは2つの本能なのに
重い油のような言葉にまみれたそれは
いつも  いつも うわ滑って お互いの身体を
掴むことができなかった。


それに、私たちの頭の中には
ちょっと多すぎるぐらいのメンバーが
ひしめいているのだ。


傍目には 一人と一人の喧嘩だけれど
実際には、入れ替わり立ち代り
何人もの違う意見と欲求を持った者たちが
相手が見えないまま取っ組み合う。


しかもそれを自分でも知らない。


ここまでを自分なりに把握するのに
10年。10年かかった。


これが本当かどうかは証明できないが
自分自身に証明できていれば充分だろう。
他の人に理解してもらう必要もない。
私が作った私だけの
スクラッチビルドのハウツーだ。
常時アップデートするし、
嫌になったら捨てるだろうし
また拾いに行くかもしれない。


もう、ハッピーエンドも
ハウツーも ライフハックも言葉も 
なんなら真実も、どうでもいい。


世界を、人を、身体で感じて生きていく。