愛って原油みたいです。つまり有限の資源。





真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔真顔





以前子供にとってのそれを
水や空気や日光に例えたこともありましたが、
大人間の場合には原油としての側面も感じます。



原油なので、そこから物凄い数の
物質や製品を作り出すことができますし
違う国に輸出されたり、
逆に輸入したりします。
相場も常に変動します。



一度沸いたら自分も人も寄ってきて、
プラント(結婚制度・恋人宣言・親子認識等々)
を作ってどんどん汲み出します。



有限なので
それなりに計画的に採掘はしますが、
たいてい一生続く位の莫大な埋蔵量があって
普通はあまり心配しません。



が、浪費されると
やはり減りは速くなります。
枯渇の危険性が出てくる。



しばしば、事故やテロや環境要因などから
原油に火がついて炎上を始めます。



それが怒りです。
愛なくして怒りなし。
愛への希望なくして悲しみもなし、です。



私の場合、怒りを燃やし尽くして
モラ尾君用油田は枯渇した感じがします。
だからもう、愛もなければ怒りもない。
たまにそういう気持ちになっても
それはもう実体の無い感情記憶、
感情の亡霊みたいな感覚です。



で、ここからは
ぱふぱふさんによる考察なんですが



自営の妻であった場合、
火種テロリストであるモラ夫との接触時間は
ほぼ24時間、みっちりなので
どちらかが外勤めの家庭よりも
原油を枯渇させる速度が
違いに速いのでは、と。



当事者感覚で言わせていただきますと、



アタリです。


朝起きてから夜寝るまで
いや寝てからも
モラ夫さんがガシッとしがみついてきます。


出かけるのも不安で小走りで帰宅、
ずーっと話に付き合わされるし
ぶっ飛ばされた後に愛してるよで同衾。
逃げ場が無い。



私、4〜5年目で
もう完全に無理になってました。
気持ちが切れた。



後の4、5年は問題の回収と整理に
残ってた原油を掻き集めて燃やして
原動力にしてた気がします。



だから最近は怒れない、
怒っても続かない、
アドレナリン出ない、なのでしょう。



皆さんの体感はどんな感じでしょうか。