離婚もしかり。

実態が伴ってないと、それは何物でもない。

 

 

と、私は思いました。

 

 

『タッチしたからケンちゃんが今鬼ね!』

『婚姻届出して指輪取り交わしたから

 私たち今夫婦ね!』

 

 

この二つは同じだと思う。

 

 

ただ、大人のやる『ふり』には

公権力による物理的実行が伴いますから

より『ホンモノ』に近くなる。



『ホンモノ化』の維持が可能になるのは

社会の構成員の圧倒的大多数が

その説を信じている間だけです。

例・通貨

 

 

だから、夫がモラ男でした〜

別れましょう

共存しましょう

どうしましょう

 

 

って考えたときに、

自分自身が実際その現実を

実質どう捉えているかってことが重要だなと。

 

 

ちょっと何言ってんだか

分かんない風になってきましたが(汗

 

 

とにかく、できるだけ具体的に

 

 

自分は何が嫌で 何が好きなのか

何が欲しくて 何が要らないのか

どのように どこで 誰と

どういう風にして生きていたいのか

ひとつずつ考えて、そうなるように

行動に移して行くしかないのだと思います。


 

 

それを考えるときは、自分や周りの都合や

気分やなんやかや、

日々揺れ動く気持ちを否定せずに

コツコツやるしかない。

 

 


離婚とか 結婚とか 

文字にしちゃうと

文字に引きずられて、

やりたくないことに目をつぶって

あるいは飲み込んでしまうことがある。

 

 

本当は、もうあまりみんな

こういう字を目に入れないで考えた方が

断然いいと言う感想です。

 

 

字は、便利で危ないです。