家。


帰る場所であり、安らぐ場所であり、
安全を感じられる場所。


物理的には当然建築物のことになりますが、
精神的には「存在」であろうかと思います。


私は子供時代、いつもどこか
所在なげな精神状態でいました。
仲の良い友達は常にいましたが、
どこか現実感がなかったのです。


それが社会に出て揉まれるうち、
何かがプチプチ繋がっていく感覚を
覚えるようになりました。
浮かんだ観念世界から
地べたの血肉世界へと
降りたったような感じでした。


で、さらにモラ尾君洗濯機で回されて、
そこから抜け出た今
気がついたら私自身が家になっていました。


自分自身が家だから一人でいても安心だし、
今ここにいるなって分かっている。
いつどこにいても「大好きな家にいる」感覚。


多分これが自己肯定感なんでしょう。


自分が家だから
人をその中に招いたり住まわせたり出来る。
もちろん追い出すことだってできる。
人が居たら賑やかだけど
無人でもしっかり建ってる。


で、モラ尾君は今その家の中に住んでて
とても幸せそうです。
これこそがモラ尾君の子供時代に
求めて求めて得られなかったものなんでしょう。
  

子供にとってはまずお母さんが
精神的な家になるので、
子供はいつもお母さんに
元気で楽しい気分でいて欲しい。





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女は元来家になりやすい身体的・
精神的構造をしてるように思います。
女性的思考の男性も
インテリアや料理や服飾などの
巣作りが好きな人が多いし。



また、女性の方が構造的に
自己肯定感を持ちやすくできてるように
思います。
何かの成果を上げたからとか
競争に勝ったからじゃなくて、
「ただそこに安定して居ること」が
存在意義だから。
優しい田舎のばあちゃんとかその象徴的存在じゃないですか。


その意味では、いつも何かの成果を上げること、競争に勝つことが
存在意義のウエイトを多く占めている男性が
女性に「家」を求める気持ちは
わからないでもありません。
だって、必ず獲物を狩って帰れるわけじゃ
ないからね。



私がいつも悲しいのは、
元々競争思考をすることが多い男性たちが
その性質を発揮するんじゃなくて
利用されて
支配者のために死ぬまで働かされたり
お互いに殺しあったりしてる現状です。



女にできることは、
男の子の性質を矯正するんじゃなくて
他人にそれを利用されないよう
よくよく気をつけなさい、
と教えてあげることじゃないでしょうか。
また赤紙みたいなものが
発行されないとも限りませんし。



支配者の言う事を真に受けて
自ら戦場に行ったり、
同調圧力に負けて母親や妻が
息子や夫を戦場に送り出すなんていうのは
もういいかげん恥ずかしくてようやらんわ、
という世の中になったらいいなと思います。