最近ネットでこの記事↓を見て、漠然と考えてた事がまとまった。


神経科学者が自分の脳を調べたらサイコパスだったことが発覚-GIGAZINE


日本語字幕付き


この学者さんは、サイコパスについて研究する途中に、自身がまさにサイコパスである事に気付いた方である。なんとあのリジー・ボーデンが親戚。

しかし彼自身には殺人や破壊の衝動はなく、社会的にも成功し、家庭人でもある。つまり脳器質的には完全にサイコパス型である人間も、良い環境で良い教育を受ければ衝動的殺人鬼にはならない。環境的要因も相当大きいのだ。

なかなか希望に溢れた内容である。

で、YouTubeで彼の他の関連動画も観てみた。

それはテレビの長いインタビュー番組で、どの動画だったのか今ちょっと見つけられなくなってしまったのだが

とにかくその番組で、彼は以前 アメリカ軍の為に
「戦場では無慈悲に敵を殺し
   家庭では良き夫・良き父である兵士は
   存在可能か」
を探る研究をしていた、と語っていた。

もしかしたら、彼が自身をサイコパスだと気づく前のインタビューかもしれない。

そのような兵士を作ることは可能だが、かなり個人の資質によるのと、大変教育コストがかかるとの結論であった。実際にはほんの数パーセントしかいないらしい。

また別のインタビューで、彼は「人類は将来機械とつながるであろうし、またあるべきだ。身体のパーツを機械に置き換える事はより可能になるし、人類の可能性を広げるだろう」とも語っていた。

この二つの話を聞いて、私に見えたのは

彼は善良な社会人であり家庭人であるが、
やはりサイコパスだなぁ...(; ´∀` )。
という事実である。
ちなみに善悪の話では無い。


◯ サイコパスとは、脳が極端に理性側に偏った人間の事である。純理性、と呼んでもいいかもしれない。共感能力が低い・または無いため、情に流されず物事を判断する。そのため彼らのIQはしばしば非常に高い。

◯ 現在の人間社会はかなり純理性的な力学で動いている。

◯ なので、この社会の上層部へ上がる人間にはサイコパス的才能が必要である。

◯ 理性的判断を突き詰めると、人間社会はどうしても優性思想的になる。つまり能力が無く、社会に貢献できず、生産性のない人間は不必要。理性とはそういう判断をするものであり、それは利益と向上を追求する理性的社会において非常に重要かつ不可欠な思想である。

◯ 恐らくその世界では、食人や殺人、近親相姦も目的の為の手段であれば問題が無い。脳死による死体のリサイクルやパーツ交換も、共感や感傷がなければこその技術革新であろう。そこでは感情に基づくタブーが存在しない。

「戦場では無慈悲に敵を殺し 家庭では良き夫・良き父である兵士」とは、よく教育されたサイコパス、または教育と言うプログラミングで後天的にサイコパス的回路を構築された 非サイコパスの人間である。

◯ 人体や意識の人工的拡張、置換による延命措置とは、純理性なりの「生きている感覚を得る手段である。漫画「攻殻機動隊」の世界観である。

◯ 純理性は、生命にとっての最重要課題である「生きている感覚の獲得」を、時間・空間・能力といった「直線の定規」で測ることによって得ようとする。金銭も「生きている感覚」を得るためのわかりやすいツールである。金を持てば持つ程 純理性は「延命できる感覚」を得る。金は数字で量を計れる。また、別のパワーへの変換も容易である。純理性にとってその規模を把握しやすい物差しである。

◯ 現代社会が人間にとって生きにくい事が多いのは、それが理性➕剥き出しの本能の組み合わせで動いており、感情部分が欠落した状態だからである。

◯ 理性➕本能、感情➕本能、理性➕感情、いずれか二つのみの組み合わせだけでは、人間ひいては社会はうまく動かない。理性・感情・本能がバランス良く回ることこそが、永続可能かつ生きている感覚を得やすい人間社会の礎と言える。