今日は「合理化」について考えてました。


流通の合理化、

社内伝達系統の合理化、

事務処理の合理化、

合理化合理化、
無駄を省いてスッキリ整理。
無駄を省いて利益を出そう。

いいね!
合理化。


このように脳内でありとあらゆる合理化を
押し進めて行った結果...



全ての人間はすべからく死に至る。

ありとあらゆる手を尽くして延命したところで、

この
世(地球とか宇宙全体
)も
いずれは消える(であろう)。

 
努力も苦しみも喜びも成功も善も悪も
全ては無に帰す。


あれ…!?

じゃ、
最初っからそのプロセスを
全部省いてしてしまえば
超、合理的!?



みんな今すぐ死ねば
合理的なんじゃ⁈ウインク


落ち着いて考えてみたら

人生そのものが壮大な無駄で、

文化なんて暇つぶしに発生した
余剰部分そのもの。

美意識なんてモノもいわゆる無駄芸。

合理化とかいいだしたら真っ先に
バッサリ行かれる部分。



んで、ここが
右脳さん左脳さんにつながる。



私の考えでは、

左脳ちゃんの仕事は

現実世界の抽象化と合理化です。
始まりと終わりという概念、
つまり時間が発生するのもココ。


つまり、左脳的世界を突き詰めると、

人生の最終ゴールは
可能な限りの速やかな死、

人間意識の終焉ということになります。
開始即ゴールイン‼︎ 合理化‼︎


対して、右脳的世界観とは

ただただ五感が世界に対して

感動(泣き笑い)する事にあります。

欲求と受容がその本質であり、

そこには始まりも終わりも無く

時間は存在せず

あるのは現在のみです。



現在構築されている人間社会は、

かなり左脳化された形態だと思います。

しかし、完全に左脳化してしまうと

社会が終わってしまいます。

なぜなら上で述べたように、

社会を営む事自体が徒労、

純粋な無駄でしかないからです。



現在の左脳化された社会では、

右脳の仕事は

左脳的社会を各種欲求という

ガソリンによって

裏で支えることのみ。

根本では死に急ぐのが目的の社会を、

出来るだけ延命させる為の

消費材としての地位です。
アレが欲しいコレが欲しいとか言って
ゴールまでの時間を稼ぐ役割です。


この「死がゴール」の一本道の下に

優秀な者だけが生き残るべきという

ダーウィニズム的優生学

選民思想が存在するんではないかと

思います。



選民思想も突き詰めると結局

生き残るべきは究極の一人、

ということになってしまいます。
アレだ、ジョジョに出てきた
カーズですよ。
この人一人いれば、人類という種的には
十分じゃね?という究極の良くできた人間。


どちらの脳が良い悪い、

優秀か役立たずかの話では無く、

本来なら二脳で一つ

連携を取りながら世界を認識し

感じつつ生き延びていくことが

目的であったはずの脳が、

支配被支配関係に陥ってしまっている

その事に問題あるのだと思います。

これは男女間の脳差にも

同じことが言えると思います。


だからにしおは、
無駄だらけの無駄人生を
無駄に生きていきたいです。

無駄に旨い飯を食べて
無駄に温泉に入り
無駄に散歩して
無駄に眠ります。

無駄… 素敵な響きちゅー