人間が言語で世界を単純化して認識する事を
始めた瞬間から

差別は始まったんじゃないかと思っている。


言葉ってのは、現実を加工して
人間の脳に理解させやすくするツールだ。


その加工工程で、沢山の事実はそぎ落とされ

わかりやすく刈り込まれ、


輪郭のはっきりした「概念」が生まれる。



「概念」こそ、差別の根源だと思う。



だから、人間が言語で思考しているうちは
差別は無くならない。



つまり世界中の、
言葉を覚える前の赤ん坊以外の人間は全部

差別をすること、される事から逃れられない。



ーーーーーーーーーーー



差別とは、
何かに対して
「意地悪をする」ってことじゃない。

ものごとを区別する、グループ分けする、
その作業だ。
その作業の対象となったものが
痛みを感じるかどうかは

また別の話。



ーーーーーーーーーーー



差別とは、

世界を人間の矮小な脳みそにどうにか理解させ

混沌の不安からかりそめにも解き放って
くれるもので



それはおそらく過去、

闇を照らす小さな希望、
ともしびですらあったのだ。



ーーーーーーーーーーー



そのうち人類は、うまくいけば


他の星を開拓して新しい地球を手に入れたり

不老不死を手に入れたり

そのほかありとあらゆる新しい力や
自由や不自由を手に入れて

今後ますますのご繁栄を
つつがなくお喜び申し上げますです



という感じになるのかもしれないけど



そのときには

言葉を手放す、ってことも可能になるのかな?



そしてその世界ではじめて人間は、

混沌の不安から
解き放されることができるのかな?



悟る、ってつまりそういうことなのかな?