私をスキーにつれてってに憧れて | 大ざっぱなO型キャンプ

大ざっぱなO型キャンプ

2023年の夏、2拠点生活の長野でキャンプ再デビューしました。

毎年この時期になると、25~28歳くらいに居た広島での生活を思い出します。丁度「私をスキーに連れてって」が大ヒットした時期ということもあり、岡山から東に行ったことのないもの同士がツルんでいた(笑)だけなのに、なぜかスキーブームが巻き起こりました。

 

特に、東京のガレージに止めてある車のタイヤを交換して一路関越経由でスキー場に向かうシーンに憧れまくり(当時はまだスタッドレスが出回っていなかったのでノーマルタイヤにチェーン)会社が終わった後に1時間ほどの芸北のナイターに向かうのが流行りになっていました。(今思うと、何の真似にもなっていないのですが)

お察しの通り(?)カセットテープにVHSで再生したビデオをラジカセのマイクで録音したものを聞きながらスキー場に向かっていました。(先輩が親とケンカする声とか入ってました(笑))当時は、「広島も東京も雪は雪じゃし、かわりゃあせんが」などとかき氷の雪が固まったナイターのスキー場をきゃっきゃ言いながら堪能した後、帰宅していました。次の日には、「ひろしまタウン情報誌」で当時「広島の原宿」とうたわれていた(なんでじゃ?)パルコのへんに行き(ただ行くだけです)「サンゴ礁」というディスコで先輩とおちあい、「なんとなく私をスキーにつれてって」生活を再現するのが居心地のいい週末の過ごし方でした(解釈曲げすぎで別の映画になってますがな)

 

当時は「バブル」まっさかりでしたが、広島の我々はタクシーを1万円札で止めたことも、止める人も見かけませんでしたが、本通りから平和公園を横切って自宅に帰ることに何の疑問も感じませんでした(笑)「今は「バブル」なんだからわしらもバブルじゃ」と訳の分からん解釈をしておりました。(そのくせ崩壊したら思いっきり影響ありましたけど…)

 

今では巨大企業になった「ユニクロ」も当時は本通りの裏にありました。メンズBigiやメルローズなどが並んだ通りもありました。

 

バブル崩壊のあおりを受けて転勤させられた(笑)私が横浜に引っ越したのは29歳の時でした。もうあれから30年です。スキーもあの頃の自分が今の自分を見たとしたらじだんだを踏んで悔しがるような「自宅でスタッドレスに履き替えて関越を通って志賀高原に向かう」ということになっています。あれほど喉から足が出るくらいほしかった無線機も、デジタル簡易無線を手に入れました。

 

アトミックの板も買いました(笑)

 

ただ、当時の「ごっこ」遊びに近い数年間を懐かしく今でも思い出します。道具も車用品も、着る者も食べるものも、まだまだ都会との格差があった時代です。カセットテープに吹き込んだ映画を聞きながら、給料も安く、仕事もミスだらけで、車もおんぼろでしたが、ブランドとか値段とか、雪質とか、何も拘らずにスキー場に向かったり、「広島の原宿」に歩いて通っていた頃が一番楽しくて幸せだったと思えてなりません。

 

私の記憶では、その数年前に「Friday」が創刊され、子供の自殺が報道され始めたころだったように思います。新卒の給料も30年間で?というほどしか上がっていません。

景気が良い、「この波に乗るために来年が大事」と減税メガネ氏がいうほどの実感もなく、コロナもあり、我々のような幼稚なものではないにしろ、若い人が我々がやっていたように、形は価値観は変われど「あの頃は楽しかったな」と思えるいろいろな数年間を今過ごしていると願いたいです。人をうらやんだり、人を蔑んだり、バカにすることで自分の存在をかろうじて見出すことにならないよう(当時も居ましたが(笑))

 

今の減税メガネさんのグループがあたふたしているのを見て心から思います。