Zappa's Cafe

Zappa's Cafe

ひとやすみ~♪ ひとやすみ♪

 

スロヴァキア(チェコとハンガリーの間の国)でも、

スラヴォニア(クロアチア北東部、ハンガリーとボスニア~の間)でも無く

 

スロヴェニア

 

ブレッド

ブレッド城内のカフェテラスより

 

ブレッド湖畔

 

 

雨予報で、車でぐるっと周ってもらってからお城へ行こうと諦めていたら

着いたら雨が上がっていて・・

フォトスポット付近には駐車場所が無いという事で、駐車できる場所まで歩かせてもらった

遊歩道が、ほーーーんとに素敵でした

 

散策路より

左の山の上に、ブレッド城、右は、湖の小島(ブレッド島)の聖母被昇天教会

 

※フォトスポットは少し手前、小島の延長線上にブレッド城が眺められる場所で

 切株があるところ

 

 

 

ブレッドで昼食をとった後、リュブリャーナのホテルに送ってもらう予定でしたが

長距離便と短距離便と国際線で2回朝食を食べたので

ブレッド城のテラスでケーキを食べたりしたら(おいしい!)、お腹がすかず・・

ランチ食べずにリュブリャーナに向かいたい旨、運転手さんに伝えて

ついでに市内のホテルから少し離れた所にあるプレチュニクの家に寄って頂きました

 

リュブリャーナ

 

プレチュニクの家と洗礼者ヨハネ教会

 

素敵な自宅の模型と庭、町に点在する作品群の立体地図など・・

*立体地図を撮っていたのが、後で歩いたルート沿いで撮った写真の確認に役立ちました

 

時間が合えばガイドツアー(少人数)にも参加可能

運転手さんは、時間を指定せず「好きなだけ見て、終わったら電話で呼んで。」と

言ってくれたものの、あんまり待たせると悪いので、フリーで見学

それでも、模型は上部分が外れる事を教えに来てくれたり、親切でした

 

ここに寄ると、長旅の疲れも、

(ブレッド湖で天気が良くなり大満足したから)ちょっと広場へ行って気が向いたらお城へ・・

という考えも、どこかへ

(疲れとまだ英語慣れしてなくて、全然展示の解説内容を理解していなかったと思うけど

 素敵な御宅と庭を見ると、ちょっと色々見てみたくなる感じ♪)

 

博物館の展示を見ると

1泊だけの私達にも見学できる市中心部に作品が多い事が分かりましたが

多くて覚えきれず

(元々行く予定だった広場の三本橋に加えて、トルノヴォ橋とコブラー橋だけ覚えた)

 

都市改造自体をしているので街歩き中、目についた印象的な場所はほとんど

プレチュニクが設計でしたが・・

【世界遺産】リュブリャーナのヨジェ・プレチュニク作品群

登録資産のうち私達が観たのは、

「トルノヴォ橋」、「ヴェコヴァ通り沿いの緑のプロムナード」と国立大学図書館

「リュブリャニツァ川の堤防と橋に沿ったプロムナード」の

ススタルスキー橋?(コブラー橋)、三本橋、プレチュニク・アーケード(市場)

 

素敵な建物の横を通りかかって、(正面ファサード?)に写真を撮りに行って

「大学かな?窓が大きいから図書館ぽい!」と、後で調べたら

本当に図書館で、しかもプレチュニクが建物だけじゃなく内装や家具まで設計したものでした

 

独立後、故郷を戻る前はプラハにいて

プラハ城改修時、主任建築士として携わり、あの素敵な庭園や中庭なども設計していた事を

知り(忘れていただけかもしれないけど)ちょっと感動

 

今さら読み返す「地球の歩き方」には、”生前冷遇されたと伝えられる”とありますが、

リュブリャーナ建築学校設立時に創設教員として招かれての帰郷だし、

1938年には国内の科学アカデミーメンバーに選出され、

教鞭をとりながら亡くなるまでに、名誉市民、国家功労賞、

プレシェーレン賞(国内の芸術的業績の最高賞)は’40年代と’50年代に二度受賞していて

葬儀は登録資産でもあるザレ(ヅァレ)で国葬になった様です

 

第一次世界大戦と第二次世界大戦の間には世界恐慌もあったのに、

これだけの仕事が完成されたのがすごいけど

プレチュニクが依頼されたのは新たな都市計画では無く、

既存の街並みや川、インフラの再生と(地震で倒壊しなかった)建物やを生かした

都市改造の様で、

もしかすると、財源不足の為に、遠方から著名建築家を招聘しなかったり、

掘り出した物を建材として再利用するなど地元の技術や素材を活用せざるを得なかった事が

歴史ある土地の伝統を守ることになり、世界遺産になったのかな

 

20世紀初めはピカソ達のキュビズムの時代

元々家具職人修行をしてウィーンで家具デザイナー等の仕事をしてから、建築家になって

私には20世紀の個性的な建築物の印象の強いウィーンやプラハで働いた人だから

もしかすると、故郷で集大成となる(今でいう)もっと”尖った”作品を作りたかったかも

でもそうできなかった事情が、偉大な都市改造者にさせたのかもしれない
コスト削減しながら、地元の技術や素材を使って、

”変わってる”と話題になるんじゃなく、

100年経った後でも、一度見ただけで”素敵だった”と印象に残る公共施設等インフラを

造ってくれる建築家って素敵だと思いました

 

今まで訪れた旧市街が世界遺産になっている事が多いけど

具体的にどの部分が資産登録されているのか調べた事無かったかも・・


 

 

プレシェーレン広場

 

リュブリャーナ城

 

ケーブルカーの駅より

 

 

ポストイナ

 

 

 

鍾乳洞

 

*洞内は、トロッコや徒歩ツアーが近づくと照明が付くので

あまり先頭の方に乗ったり、歩くと、綺麗な様子をじっくり眺められないかもひらめき電球

 ※特に最後のすごい所、照明が全部ついて初めて、自分の眼の前の「何かすごいのあるよ。」と言ってたのが

 紀行番組(ここに寄る事にしたキッカケ)で観たアレ、で、最後の場所だったと気付きました

 (TV撮影では、撮影クルーの照明の力であんなに明るい広場だったんですね汗

 私は近過ぎて全体が写真に入らないものの、目の前で見られたけど

 先に通り過ぎた人達が振り返っていたけど、今さら戻れなくて(後ろから続々と大勢来てる)気の毒でした。

 もう飽きてたり、暗闇が恐くて早く出たい人ばかりならいいけど・・あせる