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1977年、シムノンは「レクスプレス」誌でフェリーニと対談。1万人の女と関係を持ったと語る。これは当然、フランス中にセンセーションを巻き起こしたでしょうね。



すでに別れていた2度目の妻のデニーズ。彼女に何かを語らせよう。メディアの一部がそう画策するのも無理はない。翌1978年、彼女は回想録を出版する。本の題名は「猫に狙われた小鳥」。



同年5月。デニーズとの間にできた娘、マリーが自殺する。



シムノンの年譜を見ると、1965年に彼が娘のマリーとイタリアのフローレンスに旅行したとある。マリーが12才の時だ。



フローレンス。我々にはフィレンツェという名のほうが馴染みが深い。ミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロ。ルネサンスの美術は小鳥を誘惑するための罠だったのか。



1981年、彼は「私的回想」を発表。娘のマリーを死に追いやったのはDだと書く。デニーズのことだ。


1989年、シムノンはあの世に旅立つ。


真相は闇の中だ。