元ドロシー高橋麻里ちゃんインタビュー | さねたんのストロベリーフィールズ

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元ドルヲタおじさんが最近は旅行やグルメの話をするブログ。ビートルズの話は特にありません。

元ドロシーリトルハッピーの高橋麻里ちゃんのインタビューがヲタ界隈でちょっとだけ話題に。

残念ながらすっかり過去の話になってしまいましたが、2010年代の我々に欠かせない話じゃないだろうかと思うわけです。

そこで気になった部分をピックアップ。

 

 

元ドロシーリトルハッピー高橋麻里の告白「ローカルアイドルとしてPerfumeをめっちゃ意識してた」
高橋麻里さんインタビュー#1――アイドル戦国時代を振り返る

 

――高橋さんは小さい頃から歌うことが好きだったんですか?


高橋 好きでしたねぇ。両親の影響でアイドルが好きになったんです。3歳の時、モーニング娘。さんのライブをお父さんに肩車してもらって観た思い出があります。『ザ・ピース!』の頃だったかな。小学4年生の時に松浦亜弥さんが好きになって、仙台サンプラザで観たライブがきっかけで「自分もアイドルになりたい」と思いはじめたんです。


――松浦亜弥さんは歌が上手いですよね。


高橋 そこは重要だったと思います。「歌が上手くて、踊れて、かわいくて、いつも元気」という自分が目指すアイドル像が形成されました。


――そのTIFでは、ステージを重ねるごとにお客さんが増えて熱が上がっていく実感はありましたか?


高橋 あんな目に見えてお客さんが増えて、強い視線を感じることは初めてでした。「この子たちは誰なんだろう」という目が『デモサヨナラ』を歌った瞬間に変わって、コールの音量も上がっていったんです。

 

――ドロシーの5人は真面目でしたよね。


高橋 真面目でした(笑)。5人で話していてもプライベートの話がほとんど出なくて、仕事の話ばかりなんです。当時はそれが普通だったけど、いま思えばそれだけ真剣に仕事に向き合っていたんでしょうね。ある対バンライブで褒められたことがあったんです。「スタッフや他の出演者とすれ違った時に挨拶するアイドルは多いけど、掃除のおばさんにも立ち止まって挨拶しているアイドルは初めて見た」って。自分たちにとっては当たり前だと思っていたけど、見られているんだなと感じました。


――「このグループはすごかった!」というと?


高橋 レーベルメイトの東京女子流さんは宮城出身の新井ひとみちゃんがいることもあって意識していたし、アプガさん(アップアップガールズ)はマネージャーさんが厳しくて「超体育会系じゃん!」と思いましたね(笑)。でんぱ組さんは、みなさん礼儀正しくて「いい人」たちなんですよ。大きなステージに行かれたので、「売れる人たちはちゃんとしているんだな」と感じました。


――BiSとコラボレーションしてシングル『GET YOU』をリリースしたこともあります。


高橋 最初は「大人って怖いなぁ」と思いました(笑)。「なんでそんなことするの!?」って。アイドル界の端と端で交わることはないと思っていたし、失礼な話、しっかり曲を聴いたこともなかったので。あの樹海で裸になるMVを観て「すごいことやってるな」という印象しかなかったんです。

 

 


元ドロシーリトルハッピー高橋麻里が語るアイドルの苦境「歌やダンスより特典会が最優先されて……」
高橋麻里さんインタビュー#2――アイドル戦国時代を振り返る


――アイドルファンの間で『デモサヨナラ』がアンセムとして知られていますが、一方で「代表曲」の呪縛は感じませんでしたか?


高橋 アーティストにとって代表曲があることはありがたいけど、ファンの方は「また『デモサヨナラ』?」と思うこともあっただろうし、ドロシーの名前は知ってるくらいの方は「『デモサヨナラ』をやってほしい」と思うはず。その葛藤はありました。私たちも「『デモサヨナラ』を歌ってください」というオファーがあった時に「新曲を出したばかりなのに……」と思うことはありました。「『デモサヨナラ』を超える曲を作らなきゃ」という焦りから、「いま流行ってる曲調に寄せたほうがいいんじゃないか」と思ったこともあるけど、スタッフの方たちは「ドロシーらしさ」を大切にしてくれました。


――2ndアルバム『STARTING OVER』でその葛藤も払拭された。


高橋 そうですね。全曲シングルカットできるようなアルバムを作ろうというテーマがあったんです。とくにリード曲『STARTING OVER』は仮歌を聴いた時に、5人が歌って踊っている絵が頭に浮かんで、そのままを表現したら多くの方に評価していただきました。まわりが求めているドロシーリトルハッピーと自分たちができることが一致したんです。


――『STARTING OVER』で手ごたえを感じたものの、本格的なブレイクには至りませんでした。何が足りなかったと思いますか?


高橋 お金のかけ方じゃないですかね(笑)。振り返って思えば「こうすればよかったのかな」ということはあります。でも、あの時のまっすぐさじゃないと超えられなかったこともあったと思うんです。

 

――2015年7月12日に行われた中野サンプラザホール公演をもって秋元さん、富永さん、早坂さんがグループを卒業しましたが、ステージ上で5人の間での行き違いがあって口論になってしまいました。コミュニケーション不足だったんでしょうか?


高橋 そうだったと思います。大人の方の考えもあって、メンバー同士でコミュニケーションをとれない時期があったんです。そのままの状態で中野サンプラザのライブを迎えてしまったので感情が爆発した、という感じでした。

「メンバーだけで話さないように」と言われていたけど、大人の言うことを真面目に聞きすぎていたと思うんです。その真面目さが悪い方向に動いてしまったのかもしれないです。いま思えばそんな決まりは気にせずに話せばよかった、5人で話せばよかったんですよね。


――離れてしまうファンの方もいましたか?


高橋 だいぶ“サヨナラ”した方が多かった気がしますね(笑)。3人を応援する方、2人を応援する方、両方を応援する方、それぞれいたんですけど、そのまま離れてしまう方も多かったと聞いて。寂しさもあったけど、「5人のドロシーを好きでいてくれたんだな」とも感じました。それだけ5人のドロシーが魅力的だったのかなと思ってます。


――さらに白戸さんが卒業されて(2017年7月23日)、高橋さんひとりでドロシーリトルハッピーを名乗ることになります。ここでドロシーをおしまいにする選択もあったと思いますが。


高橋 ひとりになってできることなんてあるのかなと思っていたけど、もうちょっとドロシーリトルハッピーでいたい、という気持ちだけでした。ドロシーリトルハッピーが自分の苗字だと思っていたので、失くしてしまうことが考えられなかったんです。


――ひとりでグループを背負う重さもあったと思います。


高橋 責任が重かったです(笑)。でも続けると決めたからには、ドロシーリトルハッピーの名前をもっと知ってもらえるように頑張らなきゃいけないから。活動していくなかで「ドロシーってひとりになったんだぁ」という声は心に刺さりました(笑)。言われて当然のことだけど、ネガティブに受け止めてしまったんです。


――そして、高橋さん自身も昨年2018年12月にドロシーから卒業します。


高橋 ドロシーとしてやりたいことはたくさんあったんですけど、アイドル業界全体が苦しい時代のなか、事務所の方と意見が合わなくなることが続いたことで卒業を決断しました。アイドルって歌やダンスでみんなを楽しませることが一番だと思っているんですけど、特典会や話題性を最優先されてしまうことに葛藤があって。スタッフの方と足並みがそろわなくなったんです。


――現在の声優業界は若くてビジュアルがよくて歌もダンスもできる方が多いじゃないですか。そんな世界で戦うのも大変だと思います。


高橋 アイドルの世界以上に高いスキルを持った子が多いなと感じました。しゃべりも上手いし、楽器を弾ける子だっていますから。私の武器は、アイドル業界で学んだ仕事に対する意識やまわりの方に対する礼儀だと思ってます。


――「歌うことも続けていきたい」ということですが。


高橋 みなさんから「アイドルを辞めて声優になった」と言われるんですけど、私にとっては「グループ卒業=アイドル卒業」じゃなくて、ずっとみんなのアイドルでいたいと思ってます。またアイドルとして歌いたいです。


――「アイドル」という肩書が取れたわけではないと。


高橋 そうですね。一生アイドルだと思っているので。アイドルからは卒業できないです(笑)。