寒い寒い一日だった。

大阪がこんなに寒いなんて。


札幌から来た方が

野暮ったい格好だといけないからと

薄着してきたせいでとても寒いと

おっしゃっていた。

 


京セラの中は

さらに寒かった。

コートを脱いで

手袋を脱いで

腕まくりをした。

 

寒いぐらいでちょうどよかった。

触れたジョンペンさんの手が

とても冷たかったから。

 

 

会場に入る前、食事をした。

おいしいお肉がなかなか喉を通らなくて

がんばって飲み込んでいたら

知らない間にできた口内炎を

思いきり噛んだ。

 

ざっくり傷口がひらいて

びろびろして

ひりひりして

血の味がしたままだった。

 

3日前に

肉離れを起こした。


歩けないほどの痛みで

もうドームへは行けないかもしれないと

そう思った。

なんでこんな時に?


 

松葉杖をついて歩く私を

笑う人がいた。

こんな状態なのに来る?ってことだろうか。

脚が痛む以上に心が痛んだ。


でも多くの人は優しく

4本足の私を支えてくれた。

 

無理をしないでと言われても

無理をしないわけにはいかなかった。


脚の痛みなんて

これっぽっちも

感じなかったし。

 

 

 

 

そして

これまでも

これからも

未だかつて誰も経験したことのない

そんな時間が過ぎた。

 

心とこころが共鳴し合うような

ぶつけあうような

抱きしめあうような

寄り添うような

時間だった。

 

ただ痛くて

痛かった。

 

 

嗚咽

 

むせぶ

 

そしてまた嗚咽。

 

国とか人種とか性別とか年齢とか

関係なかった。

 

涙が出ているとか

出ていないとかも

関係なかった。


みんな血を流していた。

 

 

慟哭というのは

こういうことをいうのだと

大きな渦の中で思った。

 

 

本当に今このタイミングがよかったのか

この形がよかったのかなんて

誰にもわからない。

議論すべき範疇でない気がする。

 

いずれにせよ

いつかは向き合わないといけなかっただろうし

彼らにとっても

私たちにとっても

これからのために

きっと必要な時間だった。

 

荒療治のような



 

FROM NOW ON

なんというタイトル…

 

そしてなんという新曲…

いつ録音していたんだろう

全てがここにつながっていたかのような

 

 

彼らはこんな時間を

何度も何度も繰り返して

あそこにいたのだろう。

 

自分たちの意志で。

約束を守る一心で。

そしてもしかしたら自分たちの意志を越えた

そんなものの渦の中で。

 

全ての準備が闘いだったろうと

容易に想像できたし

準備をすればするほど

痛みがともなったろう。

 

 

オニュは「共感」と言っていた。

私たちは確かに共感したと思ったけれど

本当は

きっと比ではない痛みだったろう。

 

私たちは彼らが必要だったし

彼らも私たちの光の存在を

求めていたと感じた。

 

プロとして随分我慢しただろうけど

溢れ出た心を

垂れ下げて彼らは立っていた。

 

それが彼らだし

きっとだから好きなんだと思った。


誇りに思う。

 

4人で5人だったし

5人だけど4人だった。

それを咀嚼した。

消化は人によって

できるかいつになるか。

 

心をお互いにぶつけ合ったような

逆に抱きしめあったような

 

シナジー

 

一緒じゃないとできなかった。

 

彼らを支えたスタッフさんも含め

彼らと私たちも

みんな。

 

誰もが何をしていても

どんな状態でも

受け容れ受け容れられる

空間だったと私は感じた。

 

彼らが好きな気持ちゆえ

間違ったこともいっぱいあったと思う。

私も多分、こうして書くことも

間違いだらけかもしれない。

 

でも誰も責められないし

誰も責めるべきでないと思う。

 

とにかく

いまだかつてない道を

わたしたちは彼らと一緒に

歩いている。

 

 

 

終わった後、川沿いを歩いていたら

雪がちらほら降ってきて

「雪や」「寒いと思た」

などと関係ないことばかり

言いながら笑った。



 

 

 

ひとひらの雪になって

天使が舞い降りるsweet town

 

 

大阪があんなに寒かったのは

きっとそういうことだったのかもしれない。


私たち春までに会いましょうか。



ある雪が降った日のこと。