おじいちゃんの月命日(もう20年以上前に亡くなった)と、


お盆週間が、重なった。


毎月、おじいちゃんと、おばあちゃんの月命日には、


近所の、小さな神社にお参りするんだよね。


ホントのお墓は、500Km離れてるし、


実家には、20年帰ってないし、なかなかいけない。



おじいちゃんと、おばあちゃんの家に、


俺は、一人で小学生の頃 よく泊まりに行った。


おじいちゃんの いびきはうるさかったなぁ。


他の二人の兄弟はしなかった。


風呂がないので、 必ず銭湯へ行き、帰りに、


おじいちゃんに、仮面ライダーやウルトラマンの 


おもちゃを買ってもらった。至福の時だった。




おじいちゃんが、危篤だと知らされて、


病院にかけつけた。 親戚兄弟父には、会いたくない。


うまく行って(母親だけだ 俺の家族は。)一人だった。



すると、おじいちゃんは、俺に、起こせ!と言ってきた。


拒んだが、おじいちゃんは、いつも俺だけに強気だ。


しょうがなく危篤状態(その時は安静でしゃべられる事も出来た)


なのに、起こした。上半身だけだよ。座った状態になった。


そして、少し手を貸せと言って、ベッドから出て、歩き出そうとした。


点滴のクダが何本もささっているのに。


案の定、ベッドから転げ落ちた。


当然のごとく 手を貸して抱き上げようとした俺の手を、


凄い力で握り、さわるな!!! と言った。


そして歩こうとする、絶対無理なのに。


俺は、どうしようもなく、かろうじて手が届いた


ナースコールのボタンを押した。


そして、何人かのナースと、俺で、おじいちゃんを


元に戻して寝かした。



その時も、ナースが去ってからも、


おじいちゃんは、何も言わない。


俺は、じっと横にいた。


しばらくすると、おじいちゃんは、辺りを探し始めた。


財布だ。しかし、あるはずない。


おじいちゃんは、言った。


「今日、財布ないから こずかい あげられへん


今度来た時にやるから、もう今日は、帰れ」


それ以上 喋らず 俺は、帰らなければいけない空気を悟った。



おじいちゃんは、俺に この姿を見せたくなかった。


立ち上がり、いつもの威厳のあるおじいちゃんで、居たかったんだ。


そして、俺は、死なない、最後の最後まで生き抜くんだ!


太平洋戦争を乗り越え、和歌山から大阪に疎開して


生き抜いてきたんだ (俺には、そう聞こえた)。 




生きてる おじいちゃんと、会ったのは それが最後だった。


数日後の未明に逝った。


もう家に運ばれたと聞いて俺は、駆けつけた、


ほとんど、まだ誰も来てなかった。


(葬儀屋やおばあちゃん、長男(おかんの兄貴)は来てた)



まだ きれいなままの 


しかし、動かなくなり、静かになった、


おじいちゃんの横で、1時間ぐらい 


俺は 一緒に寝た。



あの頃のように。。。