つくりっこ企画より遅れること4日で完成 ゎ━ヽ(*´∀`)ノ━ぃじゃないwww
油彩で木部を表現しようとしてみたり・・・・
油彩のペトロールの浸透力の所為で根元から折れた部品を
真鍮線 2本差し込んで直してたりして・・・
2日ほど余計に掛かりました。
完成した車両です。
履帯を間違えて後期型の「抜け」の無いものにしてしまった以外は満足です。
ピンを抜けば外れるようにしてあるので、予算が都合できたら買いなおします。
その時は後期型の車体も買わないと・・・・履帯が余ってしまうwwww
そしてこの「珍車」の成り立ちです。
1942年12月始め(「ドイツ軍火焔放射戦車1941-1945」では1943年と書かれているがシュピールベルガーの本では1942年とされており、時系列的に1942年が正しいと思われる)、ヒトラーは火炎放射機付きの突撃砲を10両作るよう指示を出した。この命令に従い、1943年5月に9両、1943年6月に1両の火炎放射型3号突撃砲戦車が、旧型の3号突撃砲戦車の車体を利用して改修された。
これら10両は、第1戦車兵学校への配備が決まり、1943年6月23日に兵器廠から貨車で同校へ輸送された。配備後、7月に1両が火災で焼損して兵器廠へ送り返されたが、9月までに修理され第1戦車兵学校へ戻された。1944年1月、全10両の火炎放射型3号突撃砲戦車は、実戦に参加しないまま兵器廠へ返還され、2月に7両、3月に1両、4月に2両のペースで、全てが通常型の3号突撃砲戦車(75mm砲装備)に改修された。
製造?改造されてから半年程度、「塩漬け」になっていて実戦参加はおろか、動いてもいないようです。
お陰で、サビ&キズはほとんど付けてませんwww
部隊にも配備されていないのでデカールも国籍マークのバルケンクロイツ(鉄十字)のみです。
スミイレと判らないくらいのドライブラシ、ローアンバーの油彩を塗ってあるだけです。