見てください。


これが東日本大震災の真実です。

日本のこととは到底思えないですよね。
でも、同じ東日本という地域で起こった事実なんです。

思わず目を塞ぎたくなります。 
でも、我々はこれに目を背けず、立ち上がらなくてはなりません。 

こんな実態を見てしまうと、毎日笑ってたりご飯を食べてたり、普通の生活をしているのが悪いことだとすら思ってしまいますが、まずは我々が元気にならないといけないのです。
我々が被災地を救ってあげなければならないのです。 


どうかこの真実を全ての国民が受け止め、 力を一つにして明日へ向かって被災地とともに歩いていけるように。
決してこの真実を全ての国民がいつまでも忘れることのないように。 

日本は頑張ります。こんな事態を突き付けられたって、負けませんよ。

激しい揺れにより、家のものはいろいろと散乱した。

しかし、それも震度5強以上の地域に比べると軽微なもの。

ありとあらゆるものが落ちてきたわけではない。

どこもこれくらいで済めばよかったのに・・・。


この辺の地域も、震度5弱の揺れは十数秒程度で、強い揺れのほとんどは震度3~4。


地震直後から安否確認を試みるも、携帯は一切役立たずと化した。

パソコンのインターネットも接続不可。

誰とも連絡が取れない。

とてもではないが、仕事なんか行っている場合ではないので、仕事は休んだ。

職場が、陸から少し離れた小さな島にあり、船移動の為に大津波警報も出ていて船も動かず仕事できないだろうし。

逆に、仕事中に震災に遭っていたら島に取り残されて、2日は帰れなかったと思う。

(しかし、その旨の連絡もできない状況だったので、無断欠勤もやむを得ないと判断)

家の被害も多く、同じ震度ながら我が家よりも地盤の弱い地区にある妻の母親の家が一番心配になり、避難も含めて様子を見に行くことにした。



そんなことをしている最中にも、何回も余震がくる。

一度、棚が再び倒れかかってくる強い揺れの地震がきた。

最初は情報が出なかったので何の地震かわからなかったが、余震ではなくなんと大震災による誘発地震だった。

自宅からほんの数kmの場所を震源とするM4.6の地震で、またも震度5弱を観測した。


いざ避難しようと外に出ると、マンションの別の部屋の人も外へ出てきた。

話もしたことのない人だったが、「凄かったですよね~!怖かったです~」なんて盛り上がった。

このとき、運よく職場の人と連絡がつき、無事休みが取れた。



妻も仕事を休ませることにし、自宅のすぐ近くに職場があるので母親の家に行く途中に寄ることに。

そこで最大余震(2011.5.11現在)である茨城県沖を震源とするM7.7・震度6強の大地震。

スーパーだったのだが、最初は小さく左右に揺れていたものが、だんだん大きくなって天井からつり下がっている看板やガラスという全てのもの、自動ドアなど色々なものが大きく波打ち、何かにつかまっていないと立っていることが困難な揺れになった。

「ただいま大きな地震が発生しております、棚や自動ドアから離れてください--。」

こんな店内放送が流れるほどだった。

このとき震度4。


そして、地割れを警戒しながら車で避難している途中のラジオ。

東北に7m以上の大津波が押し寄せ、大変なことになっているようだ。

走行中にも大きな余震があり、信号機や電線が波打った。震度3。



そして妻も休みをいただき、母親の家に避難。

しかし、驚くべき事態。

物が何一つ落下していなかった!!かなりびっくり。

別に耐震補強をしてあるわけでもなくテレビや仏壇などが転倒しているだろうと思っていただけに驚いた。


そしてテレビをつけると、東北の街が流されている様子が映し出されていて、言葉を失った---。





ざきの東日本大震災ダイアリー
地震で落下した夫婦の大切な本と額。傘立てにはぬいぐるみが突っ込んでいる。額は壊れてしまった。

ガラスが割れる音がしたのはたぶんこれ。



ざきの東日本大震災ダイアリー
地震で落下した、台所の高いところにあったもの。



ざきの東日本大震災ダイアリー
地震で棚が開いた食器棚。高いところの食器が落下寸前だった。



ざきの東日本大震災ダイアリー
地震で引き出しが飛び出したタンス。写真ブレてます・・・。



ざきの東日本大震災ダイアリー
地震で落ちかけそうになっているビデオ再生専用のテレビ。

2011年3月11日。
この日の出勤は17時から。
16時には家を出る予定だったので、そろそろ支度をしようとしていた14時46分。

マグニチュード9.0というスマトラ級の超巨大地震が日本国内で発生した。





最初、床に寝っ転がっていたらグラッと小さな揺れを感じ、「あ、地震かな!?」なんて思ったところ、徐々にその揺れが大きくなってきた。
これはただごとではないと思い、NHKをつけたところ、直感どおり仙台の映像が出ていた。
2日前から活動が活発になっていた三陸沖が大きく動いたのだと確信が持てた。
このとき、船酔いのような揺れになるのは覚悟ができた。

ただ、確信を持ったその揺れは予想をはるかに超える大きなものになり、自宅では物がどんどん散乱し始めた。

そして、激しく揺れる渋谷の映像の上部に映し出された


震度7   宮城北部
震度6強 宮城中部 福島浜通り

のテロップ。


「三陸沖で震度7!?」
三陸の大地震なんて、震度5(大きくても震度6)程度。
震度7だなんて、いったいなにが起きているのかわからなくなった。

そして、当然のように大津波警報。
とりあえずかなりの巨大地震が起きたことだけはわかった。


しかしそこでもう、現地のことを考える余裕がなくなるほど凄まじい揺れが自宅を襲っていた。

物が落ちる。散乱する。棚が大きくしなり揺れ動く。
外は電柱が振り子のように大きく揺れて傾き、車は前後左右に激しく躍る。
自宅マンションの周辺には小さな亀裂が幾つもできる。

そのとき自宅にも震度5の揺れが到達していた。

さすがに身に危険を感じ、避難路を確保しようとしていたが、長周期地震動のせいでとてもじゃないが立ち上がれない揺れになっており、もう何もできなかった。
もう揺れが小さくなるのを待つしかなかった。

でも、その揺れは決して小さくならない。


5分以上経ってようやくだんだんと揺れが収まってきたかと思いきや、すぐ余震がくる。
ずっと揺れは収まらなかった。


・・・この瞬間から、己も被災し「戦い」が始まることになり、自身にとって決して忘れることのない大震災になるとは、このときの自分はまったく予想だにしていなかった。