法顕~宋雲 | 『パーシュパタスートラ(獣主派経典)』を読む
【鄯善国】(大×小○)

楼蘭国。僧四千人。出家の人は全てインドの言語と文字を習っている)
 
夷国】(大×小○)

カラシャール。僧四千余人
 
于闐】(大○小×)

ホータン。僧数万人 ゴーマティー(瞿摩帝)という大乗寺あり。大きな僧伽藍だけで十四あり。王新寺という寺に仏堂あり。
 
【子合国】(大○小○)

僧千人、大乗が多い。今のkargharik。
 
【於国】
詳細なし。
 
叉国】(大×小○)
僧千余人。仏唾壺あり。仏歯に為の塔あり。
 
──ここよりインド──

】(大×小○)

長さ八丈の弥勒菩薩の像あり。仏入滅後300年の建立。その建立後、インド僧が東行したという伝承あり。
 
【ウッディヤーナ(烏萇)】(大×小○)

五百の僧伽藍あり。尽く中インド語を用いる。
 
【スハタ(宿呵多国)】(詳細なし。仏法盛んとのみ)

今のswat地方。ジャータカの鷹と鳩の舞台。
 
【ガンダーラ(陀衛)】(大×小○)

多くは小乗とあるので、若干の大乗教徒もいたと考えられる。ジャータカの眼を施した話の舞台。アショーカ王の子ダルマヴァルダナが統治したとあり。
 
【タキシラ(竺刹尸羅】(詳細なし)

ジャータカの頭を人に施したところや餓虎に喰わせた話の舞台。
 
【プルシャプラ(弗楼沙)】(詳細なし)

今のペシャワール。カニシカ王の大塔あり。七百人の僧のいる僧伽藍に仏鉢あり。
 
【ナガラハーラ(那)】(詳細なし)
王によって毎朝礼拝供養される仏頂骨精舎あり。国城にはジャータカの定光仏を供養した話の舞台。仏歯や仏の錫杖あり。七百余人の僧の住む寺の側に仏塔あり。
 
【羅夷国】(大小兼○)
三千人の僧あり。
 
【跋那】(大×小○)
三千人の僧あり。今のBunnu地方。
 
】(大小兼○)
仏法盛んとあり。ビダからマトゥラーまで多くの諸寺を通過し、僧侶の数は万数とあり。
 
【マトゥラー(摩頭羅)】(大○小○)

二十の僧伽藍あり。僧ほぼ三千人。衆僧の住処に舎利弗塔、目連・阿難塔、阿曇・律・経塔あり。衆僧は大いに集まって説法し、舎利弗塔を供養する。比丘尼は多くは阿難塔を供養する。沙弥(出家して具足戒を受けるまでの僧侶)は羅云(ラゴラ)を供養する。阿曇は阿曇を供養し、律師は律塔を供養する。摩訶衍(大乗)の人は般若波羅蜜、文珠師利、光世音(観音)を供養する。

(マトゥラー  筆者撮影)
 
【サーンカーシャ(僧伽施)】(大小兼○の記述のみ)

仏が忉利天に上り、三ヶ月母の為に説法して来下した場所とされる。アショーカの王柱あり。ウッパラ比丘尼の初めて仏を礼拝した処や、仏が髪や爪を切って塔を作った処、過去三仏、釈迦文仏の坐処、経行の処、仏の形像を作った処などに法顕が訪れた当時、塔が現存していた。梵天、帝釈天が仏と共に下った処に千人の僧尼の寺あり。竜精舎、火境寺、善鬼神が常に掃除する仏塔、百箇の小塔、六、七百人の僧侶が住む辟支仏が食し泥洹の地である僧伽藍あり。
 
【カノウジ(カンニャークブジャ)】(大×小○)

二つの僧伽藍あり。仏はここで無常、苦、身は泡沫の如しと弟子に説いた処に塔あり。呵犁(ハーリティー)村に塔あり。
 
【シャケータ(沙祇大)】(詳細なし)

仏が楊枝を嚼み、土中に刺した処あり。四仏が経行し坐した処に塔あり。
 
【コーサラ(狗薩羅)】(詳細なし)

舎衛城の祇園精舎のあるところ。法顕当時、二百余家のみ。マハープラジャーパティー(大愛道、釈尊の叔母で養母)の精舎のあった処、スダッタ(須達)長者の井壁、アングリマーラ(鴦掘魔)の得道し、般泥洹し焼身した処あり。 ハシノク王が母の為にとう利天に上った際に仏の代わりに置いた仏像の話あり。これが仏像の始めであると法顕は云う。ヴィサーカー・ミガーラマーターの精舎が法顕当時に現存。仏が九十六種の外道と論議した処に精舎あり。その精舎の東に影覆と名付ける外道の天寺あり。一カ所だけ人が住まないが、祇園精舎の周りに九十八の僧伽藍あり。

祇園精舎  筆者撮影)

ヴィドゥーダパ王が仏の故郷カピラヴァストゥを撃つと聞いて世尊が道に立った処に塔あり。城に西五十里に都維という村はカーシャパ(迦葉、過去七仏の第六)仏の本生の処、父子相見の処、般泥洹の処、尽くに塔あり。カーシャパ仏の全身舎利の大塔あり。ナービカ(那毗伽)村、クラクチャンダ(狗楼秦仏、過去七仏の第四)の本生、父子相見、般泥洹の処に僧伽藍があって塔が立っている。カナカムニ(狗那含牟尼、過去七仏の第五)の本生、父子相見、般泥洹の処に塔あり。
 
【カピラヴァストゥ(迦維羅衛)】(詳細なし)

衆僧と民戸、数十家のみ。太子の母の形像あり。荒れ果て道路には白象や師子が現れ、みだりに行くべきでないと法顕は注意喚起をしている。
 
【ラーマグラーマ(藍莫)】(詳細なし)

仏の六分の一の舎利の入った藍莫塔あり。道人がこの塔付近で大戒を捨て沙弥となって建てた寺があり、法顕当時も沙弥の僧が寺主となって住んでいた。近郊に太子が車匿と白馬を還らせた処に塔あり。僧伽藍の付属する炭(釈迦を荼毘に付した時に残った炭灰を収めた)塔あり。
 
【クシナガラ(拘夷那)】(詳細なし)

僅かの衆僧と民戸あるのみ。般泥洹の処、スバドラ(須跋)の得道した処、金棺に納めて七日供養した処、ヴァジュラパーニ(金剛力士)が金杵を放た処、八王が舎利を分けた処、塔があり、僧伽藍が立つ。リチャヴァッティ(犁車)族が仏を追おうとした処に石柱あり。
 

(筆者撮影)

【ヴァイシャーリー(舎離)】(詳細なし)

マハーヴァナ・クーターガーラシャーラー(大林重閣精舎)、仏の住んだ処、アーナンダ(阿難)半身塔、アームラパーリーの家や彼女が仏の為に建てた塔あり。アームラパーリーが園を仏に布施した処あり。仏が最後の旅で返り見た処にも塔あり。ヴァイシャーリーの比丘が戒律を破り十事を証言し、七百人の僧が律蔵を検校した(第二回結集)処を記念した塔あり。
 
【マガダ(摩提)】(大○小○)

首都パータリプトラは中インド最大の都市。アーショカ王塔の付近に甚だ美しいマハーヤーナ(摩訶衍)僧伽藍あり。ここで法顕は、マハーサーンギカ(大衆部)の律を得た。その本は祇園精舎に伝わっていたという。六、七百人の住む小乗の寺あり、文珠師利という名のバラモンの師が住み、国内の大徳沙門、大乗の比丘たちも等しく尊敬している。最初にアショーカ王が作った大塔があり、そこにクックトラーラーマ寺(大衆部の鶏胤部の本山とされる鶏頭摩寺または阿育寺)があった。近郊のニラヤ(泥犁)に石柱あり。インドラシャイラグハーと呼ばれる一小孤石山あり。シャーリープトラ(舎利弗)の本生地で般泥洹の処であるナーランダ(那羅、後のナーランダー僧院が立つ処)村に塔あり。
 
 
【ラージャグリハ(王舎新城)】(詳細なし)

二つの僧伽藍あり。アジャセ王が仏の八分の一の舎利を納めた甚だ美しい塔あり。ビンビサーラの旧城跡、シャーリープトラ(舎利弗)とモッガッラーナ(目連)がアシュバジットを初めて見た処、ニルグランタ(ジャイナ教の開祖)が火抗毒飯を請じた処、アジャセ王が酒を黒象に飲ませ仏を害しようとした処などがある。名医ジーヴァカがアンバヴァナの園に建てた精舎がある。ラージャグリハ(耆闍崛山、霊鷲山)に仏やアーナンダ(阿難)などが瞑想した石窟あり。五山の最も高い処に仏の説法堂跡地あり。カランダカ竹園精舎あり。ピッバラ窟、王舎城仏典結集の行われたサプタパルナグハー(車帝窟)あり。

(霊鷲山からの遠望  筆者撮影)
 
【ガヤー】(詳細なし)

仏が得道した処に三つの僧伽藍がある。
 
【カーシー(迦尸)】(詳細なし)

ヴァーラーナシー城。近郊にもともと辟支仏が住んでいたサールナートの仙人鹿野苑精舎あり。初転法輪の地。北二十歩に仏がマイトレーヤ(アジタ、弥勒)に授記した処あり。その南五十歩はエーラーパットラ竜が仏に竜身をいつ免れるか問うた処あり。そこに二つの僧伽藍があり、僧が住んでいる。
 
【コーシャンビー()】(大○小○)

ゴーシラ(瞿師羅)園の精舎あり。小乗が多い。仏が悪鬼を度した処、経行し坐られた処があり、皆塔が立っている。百余人が住む。僧伽藍あり。
 
【ダクシナ〔コーシャラ〕()】(詳細なし)

伽葉仏の五重の僧伽藍あり。名前をパーラーヴァタ(波羅越)という。
 
 
【チャンパー(瞻波)】(詳細なし)

今のBhaagalpur地方。仏の精舎、経行の処、四仏の座処あり。塔が立ち、僧が住んでいる。
 
【タームラリプティ(多摩犁帝)】(詳細なし)

二十四の僧伽藍あり、仏法が盛んである。コールカーターの西南今のTamluk。
 
【シンハラ(師子)】

シュリーランカー。無畏山に五千人の僧あり。島全体で六万人の僧あり。金銀を刻み鏤めた仏殿あり。その中に青玉の像あり。仏歯の精舎あり。バドリカ(跋提)精舎に僧二千人。ダルマグプタという僧が住む。マハーヴィハーラ(摩訶毘訶羅)という精舎に僧三千人。 この地で法顕はマヒーシャーサカ(化地部、弥沙塞)の律蔵、ディールガ・アーガマ(長阿含)、サンユクタ・アーガマ(雑阿含)、一部の雑蔵を得た。
 
【ヤヴァドヴィーパ(耶婆提)】

外道、バラモンが盛んである。



『宋雲行記』
 
【鄯善】→【左末城】城中に仏と菩薩を描いているがイラン風がない。→【末城】→【捍マ城】大寺あり、三百余人の衆僧あり。一丈六尺の金の仏像あり。→【ホータン(于闐)国】→【朱駒波国】→
【漢盤陀国】漢盤陀の国王は、竜の憤怒に合い、殺された三百人の商人の仇を撃つために王位を捨てて、ウッディヤーナでバラモンの呪術を学び、四年でその術を学び、竜に呪をかけた。
→【パルヴァタ(鉢和)国】→【エフタル国】仏法を信じない。→【波知国】→【シャミ国】→

【ウッディヤーナ(鳥場)】(仏教国)
『太子須大拏経』のヴィシュヴァンタラ太子が児を施与した話や、『金光明経』の巻四などの、マハーサットヴァが身を投じた話の舞台。王は菜食で朝夕に仏を礼拝する。〔釈迦〕如来の遺跡あり。如来が衣服を日に晒した処、仏の坐られた処には塔記がある。五十余人が住む竜王寺という寺がある。如来の足跡を印した石を納める塔あり。いまそこに七十余人の僧の住む寺が立っている。釈尊が楊枝を噛み、これを地に植えたものが大樹になっている(法顕と共通)城の北に陀羅寺あり。寺内には金像が六千体あり。この寺の戒行の精刻ぶりは模範である。如来が餓えた虎に身を投じた処あり(法顕と共通)。そこに高山がそそり立ち、三百余僧のいる収骨寺という名の寺がある。如来の折骨写経の処があり、アショーカ王が囲って塔を建てた。善特山にスダーナ太子の石室がある。アショーカ王が塔を建てた。山中にむかし五百羅漢の坐った遺跡がある。大きな寺があり、僧徒二百人。寺の灰を除いたシヴァ神のための廟あり。山嶺を隔てて、婆カン寺あり、夜叉(ヤクシャ)の作った寺であり、僧は八十人。
【ガンダーラ(乾陀羅)】
もとの名はゴーパーラ(業波羅)といった。エフタルに滅ぼされ、テギンを立てて王とした。王は仏法を信じない。宋雲と王ミヒラクラとの一悶着あり。国中の人民はことごとくバラモン種で仏教を崇拝し、経典を読むことを好む。カシミールと国境を争っている。如来が頭を捨てて人に施した処があり、塔が立ち、二十余人の住む寺がある。インダス河に西岸に如来が摩カツ大魚(鯨魚)となって肉を施した処があり、塔が立っている。プルシャ(仏沙伏)城には多くの古寺があり、名僧、高徳の人が多い。城の北一里に白象宮があり、この寺の中の仏像は石像で、数が非常に多く。全身に金箔を貼っている。西行一日で如来が眼をえぐって人に施した処があり、塔と寺が立っている。ガンダーラ城にカニシカの大塔(雀離浮図)がある。西域における塔<浮図>の中の第一等である。西北に行くこと七日で如来が尸王であった時に鳩に救われた処があり、塔と寺が立っている。
 
【ナガラハーラ(那迦羅阿)】

仏頂骨がある。カッカラ(耆賀濫)寺には仏の袈裟が十三枚ある。那かつ城中には仏の歯と髪がある。ゴーパラ(瞿波羅)竜窟には仏影を見る。目連窟、六仏手作りの浮図(塔)がある。