August 15 '95 (Tue) Very Fine
バ ッ ク フ ェ ン ス へ の 道
行動するのが遅れ気味の一日となった。
午前中にパッキングと部屋の整頓をして、三橋さんが向こうの部屋を引き払ってくるのを待った。
今日の予定は、Grand Central Terminal の photo service に写真を取りに行き、5アベニューの「大陸」で若干買い物。その後、メトロポリタン博物館見学をし、6時までにはソーホーの店で買い物をして、 Wall 街にて獨協OBの一人に会うことになっている。
Grand Central Terminal で写真を受け取るまでは良かったが、「大陸」でまたもお土産を買い込んでしまう。3人ともそんな調子で、大袋をぶらさげては博物館へは行けまいということになり、再びアパートに戻る。
これから会う人への連絡をとりつけて、結局外へ出たのが3時も少し過ぎた頃。
完全に出遅れた。
タクシーに乗り込み、 " Metropollitan Museum of Art "と2回繰り返しても通じず、恵介のカタカナ発音でようやくドライバーは理解した様子。一体、ニューヨークのタクシードライバーは英語圏以外からの出稼ぎが多いらしく、彼等を雇っている会社は英語の教育に力を入れているらしい。
それでも働いて行けるのだから、ニューヨークはいいところだ。
Metropollitan Museum に到着して、その入り口の階段に各国の観光客がたむろしているのを見ると何となく気後れしてしまう。美術館の建物は思ったより規模が大き過ぎ、果たして短時間でどれほど見れるのか不安になった。
入場料を7ドル支払い、アルミで出来た入場証をシャツの胸ポケットにセットして、いざ見学。
最初はエジプトコーナーへ、そしてアメリカンウイング、中世アート、ヨーロピアンアートをまわって、設定した時間はまたたく間に過ぎた。本当に時間が足りなかった。ここでは一日かけてもまだ未消化に終わるだろう。
アートグッズコーナーでカレンダーを買って外に出る。
タクシーがなかなかつかまらなくて恵介はイライラしている。
4時30分過ぎにソーホーへ行き、先日購入した服を受け取らなければならないし、自分の娘に依頼された服のために「アニアス・ベイ」にも行かなければならなかったのだ。
やっと乗り込んだタクシーにはクーラーが無く、あまつさえ渋滞に巻き込まれて59番街まで来るのにかなり時間がかかっている。
懐かしのセントラルパーク。思えばここで初日の演奏をしたのだ。
自転車警官に呼び止められなければ、それでも果たして順風満帆に事がはこんだだろうか。警官に咎められたために、様々なことを学習し体験することが出来たのだろうと、今はそう思えるのだ。
名残惜しい気分を味わうのも束の間、車内の熱気と渋滞のイライラで、懐かしい気分を随分とそがれてしまう。そして、美術館のアルミ製入場証を無くしてしまったことに気がついた。Son of a bitch !!
ブリーカーストリートからプリンスストリートに抜けて少し歩いたところに「アニアス・ベイ」があり、恵介は娘の為に義理を果たした。
6時に獨協OBの、有澤沙徒志さん(Midland Bank plc.勤務)に電話し、Trinity Church の前で待ち合わせることにした。なにぶん初顔合わせでもあり(過日の慰労会には都合で来れなかったのだった)、図々しくも食事をご馳走になるのだから、丁重にしていなければならなかった。
教会の前だというのに、タバコのみの2人は通りかかる人々の軽蔑の眼差しも無視して、ぷかぷか。こちらは同類と思われるのが恥ずかしくてしょうがない。
現れい出たのは、確かにエリート然とはしていたが、実に気さくな人物である。
有澤さんの行き付けのバーに入り、まずはビールで乾杯。が、クーラーが効きすぎて寒い。
ほどなく、今年ニューヨーク勤務になったという部下の宇田さん(27歳)が現れた。物静かでなかなかの好青年である。アパートで自炊暮らしだそうだ。
有澤さんは獨協時代にESSに所属していて、卒業後外資系の銀行に就職し、その翌年にニューヨークに来たということだ。以来15年になるという。ダンディだ。三橋好みだ。
場所を変え、中華料理店へ。ここで本格的な中華料理をご馳走になる。少し辛目のスープ北京ダック、硬い焼きそば、炒飯、ヒラメの蒸し煮など、ヴォリュームもたっぷりで、ぼくなどはすぐにも満腹になった。
時間は8時をまわり、菅井さん(ギターのブローカー)とソーホーのライブハウスで落ち合うことになっていた。1軒目に入った店に騒々しいロックバンドがいて、やかましすぎるので隣に入ろうということになった。
若い男が1人ギターの弾き語りをしていた。ここで5ドルを支払い、飲み物を注文する。演奏者はピッキングが主で、一本調子になりがち。
有澤さんと恵介は菅井さんを探しに交互に席を立って外に出る。そのうち、プレヤーが交代となり、とんでもないエレキバンドが現れて、それ迄の雰囲気をぶちこわしにした。
彼等のオリジナルを2・3曲聞いた後、この店をもう出ようということになった。出る寸前に彼等が歌い繰り返していた ' Start Sixty Nine.' というフレーズがやたら耳に残った。
結局、菅井さんは来ないままに、このままでは本日の決定打がないので、もう1軒行ってみようという有澤さんの提案で、散々歩き回って、'The Back Fence ' という Folk Rock Music の Live Pub に腰を落ち着けた。
もう10時30分をまわっていた。
店に入ると、折しも、ずんぐりもっくりのポール・サイモンに似た様な感じのおじさんがステージからギターを抱えて降りようとしたところだった。
丁度、ステージ交替の時だった。
有澤さんたちは白ワインを、我々はバドワイザーを注文し、次のステージを待つ。
まもなく男女のデュオが現れた。 (男がギター担当)彼等のマイクテストは、'Check!' のかけ声で決まる。
そして演奏が始まった。 今日聴いたグループのなかでは上手い方だ。 だがバランスが曖昧である。10曲ほど、既知未知の曲が続く。同じ曲調なので飽きてくる。
ここで有澤さんが、ぼくらに飛び入りで歌ってみないかと話をもちかけてきた。
我々の返事を聞くのが早いか、店の責任者と交渉している。そしてかなりの押しで、承諾を取ってきた。サイモンとガーファンクルの曲だと言うと歓迎されたみたいだった。有澤さんはガッツポーズをして戻ってきた。
次のステージの、グレッグという人のコーナーで紹介をし、「サウンド・オブ・サイレンス」をその人の伴奏で歌わせてもらうことになったのだそうだ。
確かに、マナーからすればあくまでも飛び入りなのだから、ギターを弾かせてもらうということもできないだろうし、ひいては彼のステージを盗むことにもなってしまい、仁義に反してしまうだろう。
ともかく、屋根のあるところで、そしてこの様なライブステージで、それもニューヨークのソーホーで歌わせてもらえるだけで、感動そのものであった。
グレッグがぼくらの席に来て(つまりは、入店したときステージから降り立った、あのずんぐりもっくりのおじさん、その本人だったのだ)、有澤さんと交渉をし、ぼくらとも簡単な打ち合わせをして握手をかわした。
グレッグのステージ。ギターの音が素晴らしい。
大音量なのだが、店内の音響効果が非常に良くて、耳につくやかましさも無い。
まず彼の歌を1曲披露する。 ジョン・デンバー張りだ。説得力があり、上手い。つい聞き入ってしまう。
歌が終わって、ぼくらを店の隅にあるステージに招き上げる。
「明日、日本に戻る、サイモンとガーファンクルを歌う2人です。」
彼は客に向かってそう紹介し、ギターの伴奏を開始した。
ぼくらのいつもの伴奏とは違うので、少し面食らう。 そして、ギターの音量が大きすぎて自分たちの声もよく聞こえない。一番のハーモニーを少し間違えたようだ。
が、気を取り直し、2番以降を、アメリカ発音を心がけて丁寧に歌い上げる。
最後の歌詞の寸前でギターが止まろうとすると、恵介が強引に歌い続けた。そして又ハーモナイズして歌を終えた。
すると、どうだろう。
拍手がしばらくは鳴りやまず、やんやの大喝采である。
ブラボー、アンコールの声も聞こえる。確かに聴衆は身を乗り出し、ぼくらに注目して聴きいっていた。
しかし、ぼくらは分をわきまえて、グレッグに謝辞を述べ、聴衆に丁重にお辞儀をしてステージを降りた。
席に戻ると、有澤さんや宇田さんが本当に嬉しそうな顔をしていた。
三橋さんもぼくらが歌っている最中、カメラを駆使してくれていた。店の人達が握手を求めて、" Very Good !" を連発した。ぼくらはそれから、グレッグの演奏を堪能した。
以降、彼は40分間歌い続けた。パワフルで、コメントも間が巧みで、そのステージマナーは大変勉強になった。ぼくももっとギターを練習しなくてはと思う。
ステージが終わって、グレッグをぼくらの席に呼ぶ。まず握手を交わし、先程の飛び入りの礼をする。彼のCDを記念に買い、サインをしてもらう。恵介も自分のCD(「娘に捧げる詩」)をグレッグにプレゼントした。こうなると、ミュージシャン同士何かと通じるものがあるようだ。
店を出る段になって(午前1時をまわっていた)、会計をすると何と45ドル!!
5人もいて、飲み物をさんざん注文し、あげく歌わせてもらって、45ドル!!
あまりにも安すぎて、桁が違うのではないかと思った。
が、これも有澤さんのおごり。ぼくらは完全にタカリになった。
席を立ち、老店主と有澤さんが話をし、サイモンとガーファンクルの歌なら店で歌ってもらってもいいと真面目に交渉が成立した、と告げられた。
恵介は店のスケジュール表をもらった。あとの条件は店主とぼくらの交渉次第ということになった。
「ぼくらは恵まれている」 この言葉がまた浮かんできた。
来年のニューヨーク行きの目標が定かになった。
思えば、旅立つ寸前に雑誌で見た星占いに、「これから始める事は長いつき合いとなる」と記されていたご託宣は、このことを暗示していたのだろうか。
ブリーカーストリートの「バック・フェンス」
・・・45歳の楽しい記念になった。