今まで私たちはよく「**摂理」などと言ってきました。
代表的なものでいうと「献金摂理」のようなものがあります。

しかし、
そのような多くの「**摂理」というものは、正確には神様の摂理ではありません。
ひとつのプロジェクトです。


摂理摂理といいながら、いつの間にかそれが神様の摂理であるように錯覚してしまうのです。

さまざまな活動や献金などは、神様の摂理を進めるためのひとつの手段でありプロジェクトであって、それ自体が神様の摂理ではないということをよく理解しておかなければなりません。

そうでなければ「私は**をしているので責任を果たしている」などという思いになり、だんだんと神様の摂理が何なのかわからなくなっていってしまいます。

家庭の中が滅茶苦茶になっているにもかかわらず「私はちゃんと**をしているので神様が守ってくれる」などと言いながら、家庭に対して無責任になってしまい、神様の摂理を正しく歩むことができなくなってしまいます。

家族がばらばらになってしまってから恨み言をいったとしても、他人の目からはピエロにしか見えません。

個人に任せられた責任とは、個人個人の家庭において理想家庭を成就するということです。

しかし神様はより公的に生きることを願われますから、公的な活動に直接参加したり、経済的バックアップをするという形で間接的に公的な活動に参加するのです。