「神は、本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に
本性相的男性と本形状的女性の中和的主体としておられ
被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給う」


原理講論には、神様をこのように定義しています。

本性相と本形状の二性性相の中和…
性相と形状の中和?
心と体の一体化??
すると…
これが意味するところはよく聞くところの個性完成という意味???

本性相的男性と本形状的女性の中和…
男性と女性が中和された状態?
もっと分かりやすく言って夫婦のことではないですか???

簡単に分かりやすく説明すると…
神様とは…
個性完成した男性と個性完成した女性の夫婦のような存在
と…いうことになりませんか???

神様は性相的(実体のない霊的)な存在なので
実体世界に顕現される時には実体のある人間を媒体として顕現される

と…教えられてきました。

相対基準という問題もありますから…

個性完成された男性と個性完成された女性が夫婦として存在する時
神様はその夫婦を通して顕現される
…ということになりませんか???

そうすると
個性完成した人間も大切ですがそれだけでは不十分であり
真なる夫婦の存在というものがとても大切なものとなってきます。

はじめて気づきました。

今まで原理講論を読んでも
すらっと活字だけを読んでいたのでしょう…

今まで、個性完成ということはよく強調されてきましたが
それだけでは不十分だったんですね…

夫婦のありかたについて
もう一度
深く考えなければならない
と実感しました。




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