お母様



「冷戦時代、誰もできなかった地下宣教を私達は行いました」韓鶴子(72)統一教会総裁が語り始めた。「夫である文鮮明総裁がヨーロッパで成し遂げた成果の中で一番重要ものは何ですか」という記者の質問に対する答えだった。韓総裁は、冷戦時代、東ヨーロッパ圏の宣教の基地であったオーストリアに「19年ぶりに来た」と言い「私が来たので、ヨーロッパ35カ国から2500人の食口が集まった。32時間、運転して来た食口もいる」と述べた。

韓鶴子総裁に会ったのは去る5月11日、オーストリアの首都ウィーンにあるヒルトンホテルだった。韓総裁は、ウィーンの市街地を見下ろす15階のペントハウスサロンで韓国の記者団と会った。韓総裁は前日、ウィーンにあるオーストリアセンターで開かれた統一教会ヨーロッパ宣教50周年記念行事に出席し、その日はウィーンにある国連第3事務局から「国連70周年:朝鮮半島の緊張関係の解消の為に」というテーマで開かれたカンファレンスで演説をした。韓総裁はその後、国内記者と懇談会の形式を持ってインタビューをした。

統一教会側によると、韓鶴子総裁が記者とのインタビューに答えたのはこの日が初めてだという。アン・ホヨル統一教会対外協力本部長は「2012年に聖和された文鮮明総裁はもちろんのこと、韓鶴子総裁も、一度もマスコミのインタビューをしたことがない」とし「今回、韓総裁が異例の決定をした」と述べた。

夫の後を継いで統一教会を率いている韓鶴子総裁は、国内では少なからぬ関心を受けてきた。何よりも文鮮明総裁による“統一教会王国”を順調に維持して行けるのかが世の中の関心事であった。統一教会は、国内だけでも13の系列会社を持つ資産1兆7000億ウォン規模の統一グループなど、強大な財力をもとに教勢を起こしてきた。全世界の信徒数は日本の60万人をはじめ、300万人ほど。特に韓総裁は文鮮明総裁死後、子息たちとの関係で注目を浴びた。グループに責任を持つ4男文國進氏と宗教部門を任されていた7男文亨進氏が手を引いたこと。ヨイド・パークワンを巡る統一教会側と訴訟を起こすなどの葛藤を見せた3男文顕進グローバルピース財団(GPF)理事長に対しても「過ちを認め、教会の財産を原状復帰すれば、受け入れる」という立場を示してきた。

韓鶴子総裁は、自身と対抗する息子を追い出す一方、去る3月、5女文善進氏を世界平和統一家庭連合(統一教会)世界会長に任命し、注目を集めた。統一教会側は「現在、韓総裁は文鮮明総裁に劣らないカリスマで組織を掌握している」と述べた。

この日のインタビューで見た韓総裁は、70代という年齢が信じられないほどの元気な姿であった。トーンの高い声は力があり、血色も良かった。韓総裁は「健康管理の為に歩く」とし「年を取ってまで、このように回らなければならのだから…」と語った。韓総裁は、ヨーロッパ宣教50周年を迎え、今回、ヨーロッパを一周した後、アメリカに立ち寄り、ラスベガスに設立された統一教会教育院の開所式に参加した後、帰国するという42日間の海外日程を消化する予定だという。

この日のインタビューには文善進世界会長をはじめ、文ヨナ世界平和女性連合会長、文薫淑ユニバーサルバレエ団長らが席を共にした。文ヨナ会長は、韓総裁の長男である故文孝進氏の、文薫淑団長は、次男故文興進氏の夫人である。文薫淑団長は今回、リトルエンジェルスを率いてヨーロッパ行事に同行した。彼女たちはインタビューの間、微動もせず韓総裁の言葉を聞いていた。

韓総裁は、宣教50周年を迎えるヨーロッパで、統一教会の信徒が若者を中心に増えていると強調した。韓総裁は「ヨーロッパは、キリスト教の歴史と文化の花」であるとし「ヨーロッパでは、若い人たちが(統一教会に)集まる。それは未来の希望」であると語った。統一教会側によると、現在、ヨーロッパの統一教会信徒は2万5000人ほど。ドイツ、イギリス、フランスなどの3カ国にそれぞれ2500~3000人ほどがいて、1万人程度は東ヨーロッパにいるという。統一教会側は同性結婚が許可され、伝統的な家庭が乱れる過度の進歩の流れに対する反作用で統一教会がヨーロッパ人に注目されていると説明した。韓総裁は、オーストリアで開かれたヨーロッパ宣教50周年行事で、フランスとアルバニアの青少年信徒がたくさん増えているとし、家庭連合青少年教育センターの建設費用として両国にそれぞれ100万ユーロずつ渡した。

韓鶴子総裁が強調した冷戦時代、東ヨーロッパの地下宣教は「勝共運動」の次元で1968年から始まったという。「プラハの春」以降、チェコスロバキアを中心に地下宣教を行い、共産圏のチェコ共和国だけでも100人ほどの信徒を確保したものの宣教師たちが投獄されるといった厳しい弾圧を受けたという説明である。1974年4月には現スロバキアの首都にあるブラチスラバ刑務所に投獄されていた宣教師が殉教した。当時、統一教会は、東ヨーロッパ圏の地下宣教を「蝶作戦」と命名した。宣教教育を受けた信徒たちが誰にも知らせず、「教会を出た」とだけ語った後、「蝶」となって東ヨーロッパ圏に入ったという。ウィーンにあるオーストリアセンターで開かれたヨーロッパ宣教50周年行事では、1994年、統一教会の最初の殉教者とされた女性宣教師など「蝶」の映像が紹介された。

韓総裁は晩年に超宗教活動と平和運動に専念した文鮮明総裁とは異なり、自身は宣教に注力する意向を示唆した。韓総裁は「アジア宣教にも集中している」とし「タイ、インド、ネパールなどに拡張しており、ラオス、ベトナムなどでは、青少年がたくさん集まっている」と述べた。韓総裁は文鮮明総裁の死後、サッカー大会のピースカップ行事を中止するなど、統一教会が繰り広げたものに対する一種の構造調整を行ってきた。これと関連し韓総裁は「(文総裁が)されてきたものを全て続けられると良いでしょう」と、核心課題に集中する計画であることを明らかにした。特に韓総裁は、若い指導者の育成に優先的に投資する計画であることを明らかにした。「私は70億の人類を私の子供のように考えて道を開いてあげよう思うので、社会事業を行うことができるならしなければならないでしょう。今後、さらに行うつもりです。未来の指導者、1つの世界に進む道を導くことのできる多くの指導者を輩出しようと思います。そのことに私は出し惜しみをしません」

韓総裁は2013年、1000億ウォンの資金規模の園母平愛財団という奨学財団を発足させた。園母平愛財団は去る3月、世界68カ国、2000人に100億ウォンの奨学金を提供するなど活発な活動を広げている。

韓総裁は統一教会が友好的な関係を維持してき北朝鮮訪問の意志も示唆した。「生涯を為に生きてきました。国の為ならできないことはありません。(訪朝)時期を見ています。なるべく両側(北朝鮮と韓国政府)を立てなければならないでしょう」

韓総裁は現在、北朝鮮の金正恩委員長から招待された状態にあるというのが統一教会側の説明である。2012年、文鮮明総裁が死去した時、金正恩が朴サングォン平和自動車社長を通して遺族に弔電を送り韓総裁招待の意思を明らかにしたという。当時、平壌世界平和センターに設けられた文鮮明総裁の焼香所に張成沢当時国防委副委員長と金養建労働党統一戦線部長が訪れ、金正恩名義で供花を訪朝した7男文亨進氏に伝えたりもした。韓総裁は「北朝鮮では(私達に)誠心誠意です。文総裁と金日成主席との関係は非常に強いものがありました。金正日、金正恩委員長が(統一教会に対する金日成の)遺志を受け継いだ」と述べた。

北朝鮮で、平和自動車、ポトンガンホテル、世界平和センターなど7~8個の現地法人を運営してきた統一教会は、自動車事業の運営権と株式を北朝鮮に全て譲渡し、新しいビジネスを模索していることで知られている。統一教は平和自動車と北朝鮮のジョソンミン・フンチョン会社が7対3の割合で出資した南北初の合弁企業である平和自動車総会社の株式を文鮮明総裁死後の2013年の末、北朝鮮に無償で譲渡した。統一教会のある関係者は「平壌にEマートのような流通業を設立することを検討している」と述べた。

韓総裁はインタビューで「難しい事は話さないつもりでしたが…」と言いながら記者団に統一教会の教義を説明しようと努力した。そう言いながら統一教会を異端視してきたキリスト教の批判も付け加えた。「既成のキリスト教が間違っていました。(文総裁が)為に生きる真の愛を語られてきたので(キリスト教と)争いませんでした。理論的な話をすれば、既成教会員たちが何を語ってきましたか。(私達に)劣ります。ですから怖くて何度も(私達を)悪く言うのです」

韓総裁は「クリスチャンはどのような信仰を持って、何を待たなければならないのか分かっていない」と指摘した。「イエスは第二のアダムとして来られた方です。ところが相対を成すことができませんでした。家庭を成すことができなかったのです。ですから、もう一度来ると言われたのです。その時、語られたことは、私が来て、子羊の宴をする言いました。ヨハネの黙示録にあります。これが何ですか。結婚するというのです。(イエスの後)キリスト教の2000年の歴史は独生女の基盤を磨いて来たのです。クリスチャンはこの事を知らない」

韓総裁は、文総裁と自身を“真の父母”とし、自らを“独生女”であると自称した。イエスが果たせなかった家庭を文総裁と自身が成し遂げたという意味であった。韓総裁は「家庭完成が重要である。神様が家庭を持てと言われたのに真の家庭を失ってしまった」とし「復帰摂理は、家庭という理想の完成である。そのモデルが真の父母」であると述べた。

平安南道安州で生まれ、1960年、17歳の年齢で23歳年上の文鮮明総裁と結婚し、7男7女を出産した韓鶴子総裁は、自身が文総裁に会ったこと自体が摂理であると主張した。「日本の圧制下にあった時、叔父が日本の早稲田大学で薬学を勉強しました。叔父が卒業し、故郷に戻らなければならない時、韓国に行って軍隊に入りました。そして祖母と母、私が叔父に会いに行った時、38度線が起きた(6•25戦争勃発)のです。そのようにして天は私を導き(北朝鮮から)出てきました」

韓総裁は「文総裁も(共産治下の)北に行けという啓示を受け、北に行って興南監獄に閉じ込められた」とし、6•25勃発以降、「ソ連が(国連安保から)離れた際、国連派兵が決定され、最終的に国連軍によって文総裁は監獄から出ることができましたが、それも全て、天の摂理」であると主張した。平安北道定州で生まれた文鮮明総裁は、1948年2月から1950年10月まで、興南監獄に収監されていたが死刑執行の前日、国連軍によって解放されたというのが統一教会側の説明である。統一教会創立以来、全ての行事に夫と同行したという韓総裁は「私達は目的が同じだった」とも話した。「最後に来られるメシア夫婦が蕩減し、復帰摂理の役事を完成しなければなりません。(結婚する時)幼い年齢でしたが私は選ばれたので、私が責任を負うと決心したのです。ですから夫婦喧嘩することがあるでしょうか」

韓総裁は教祖であった文鮮明総裁が去った後も、統一教会が引き続き成長を続けなければならないという点を今回のヨーロッパ行事期間中、ずっと強調したようであった。韓総裁は、オーストリアで開かれたヨーロッパ宣教50周年行事で、イスラエルという不毛な土地にオリーブの木が根付くには15年かかるが、2000年以上生存という点を想起しながら、「ヨーロッパ宣教が50年に渡って根を下しただけに、神様の復帰摂理歴史を早める世界の中心大陸として使命を果たしてくれること」を要請した。

特に韓総裁は、自身の死後にも対備しているというのが統一教会側の説明である。血統よりも法統を重視してきた韓総裁の傾向に照らしてみると、場合によっては、後継構図から子息たちを排除する可能性があるという話もある。これと関連し注目されているのは、2013年8月、韓総裁が伝えた“天一国憲法”。統一教会側は「天一国憲法には、最高議決機関である天一国最高委員会の構成と権限などが明記されている。韓総裁は有故まで念頭に置いて、最高位が韓総裁の権限まで代行するという強大な権限が与えられた。最高位が家庭連合の後継構図まで決定できることを意味すると解釈できる」と説明した。



本文---->>週刊朝鮮
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