<投稿です>

以前、いつだったでしょうか。
顕進様が韓国を訪ねてくださり、訓読会をしてくださった時のことです。

原罪の清算というものは、ある瞬間に瞬時にして成されるものではなく、一生を通して清算していくものである...と語られたように記憶しています。

私はメモをとる習慣があまりない為、はっきりした資料がありません。

しかし、そのようなことを語られたようだという人が私以外にもいましたので、満更、そんなに聞き間違ったわけでもないかも、とも思います。

私自身、祝福を受けましたが、正直なところ、祝福を受ける前と受けた後、変わったところなんて何もありません。

祝福を受けた時、お父様に祝福祈祷をしていただきましたが、その内容を覚えている人なんてどのくらいいるでしょうか?

祝福を受けたので、原罪が清算された、原罪のない人間に生まれ変わったのです。
本当にそうですか?
堕落性というものは、原罪から出てくるものではないのですか?
祝福を受け、原罪が清算され、堕落性のない、本然の神様の息子娘であると自身を持って言える人がどのくらいいますか?

そのような質問を私が受けたら、私は「いいえ」と答えるしかありません。
「今、神様に喜んでいただける神様の娘になろうと努力しているところです」
正直、それが今の私に言える最善の返答です。

ならば「原罪の清算というものは、一生を通して清算していくものである」ということが、私自身の中で現在進行中であるということではないだろうか?とも考えられます。

自分の思いを中心とした生活から神様を中心とした生活に、
自己中心の文化から神様中心の文化に変わるとき、
もしかしたら、そのときになって初めて、原罪が清算され、血統が転換された。と言えるのかもしれません。

だとすると、
その為の出発を決意する場が祝福の場ではないでしょうか?
祝福を受ける前「あなたの相対者があなたのメシアだ」と言われました。
時にはぶつかりあったりもしながら、神様を中心とした夫婦となり、家庭を築きながら堕落性が脱がれ、原罪が清算され、神様の息子娘となれるのではないでしょうか?

私個人の考えです。(2世の場合は、また違うと思いますが、私は1世なので1世の立場で考えた時、そう思いました)

主体者とこのような会話をしながら、
結構、私達夫婦では納得し、
「これからも宜しくお願いします」という心情で、
心機一転、再出発を決意しました。

                                   From ポラリス



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