Zackeyの雑多な趣味と雑多な暴言、そして…日常



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さあ!正義の百条委員会開会だ!

透明の鉄なんて見た事が無い…
透明だからガラスの天井の意味が在る訳だが…
「ガラスかと思ったらポリカーボネート製で割れなかった」
とでも言えば好いのに、思い付きにしても粗悪過ぎるだろ。
空が見えなければ破ろうとする意味がないし、
そも今回の敗北は性差別問題とは何も関係が無い。

パリから帰ったのだから、百条委員会で歓迎してあげよう!
東京都議会本会議は終わっているが、委員会会議は11月まである筈だ。
百条委員会が本会議でしか提議出来ないなら仕方が無いが、委員会提案できるならば方策は在ろうと思う。
ま、そんな事はしないのだろうけど…
私にゃリコール署名を集める能力も気力も無く無責任だけど…
衆院選が終わったその時こそ、悪の権化を引きずりおろす絶好の機会だと思う。
豊洲市場移転の移転の過程は、法的に怪しいものなのだから、出来ない事も無いと思う。
衆院選に出馬して自爆しなかった奴には、相応しい最期ではないか。

美濃部、青島、小池は、決して忘れないぞ!

とは言え、私には一抹の不安が無いでもない。
立憲ナントヤラとか云うのが、あれ程議席を得るとは…
最も恐ろしいのは、選挙中にも「希望の党は保守勢力の結集だ」などとする論が在った事だ。
保守とは何か、保守的思想の持主と云うよりも、皇統の存続こそ我が国体とするのが保守ではないのか?
二大政党制が在り得るとするならば、55年体制下から云われていた通り「自民党を割る事」だろうと思うのだが…
安全保障の哲学から千差万別の政界が左右で正常に二分し得ない事は明白だと思う。
不安の根源は「政界再編」「保守再編」「野党再編」という奴だ。

政局論としての勢力再編論の全てが異常な訳では無い。
維新が右派としての第三局を目指した時点では、あり得ると思ったが、それも過去の話だ。
現在都民として反省すべきは、都議選であらぬ誤解を生みかねない都民ファーストの躍進を生んだことだろうと思う。
今回首都圏で都民ファ系の希望が大敗したのを見れば、好き嫌いで選挙しているように見えてしまうという事だ。
政策で選んだのであれば、都議選どころか都知事選当時から小池某には政策の中身などまったくなかったからだ。
その上、左が四分五裂し内実の無い政策主張をしている現状からすれば、左派的政策までもを全うに打っている安倍内閣は、世界常識的には右派ではなくリベラル派であろうし、左は所謂理想主義やら全体主義的理想派でしかない現状だと思う。
政界再編どころか、日本政界はそもそも異常事態が何十年も続いているだけに過ぎない様に見える。
恐らく、そう見ていないのは高齢層だけであり、高齢層が「若者」と見下すそうの方が正常に判断しているようにも見える。
残念な事は、私も含まれる40代までをも、イメージと好き嫌いで判断している嫌いが有る所だ。
30代も過ぎれば、自分の好き嫌いで世の中判断が付くものではないと知っている筈だろうし、理想やら正解と云う物が現存しえない事も知ってい筈なのに現実的な比較が出来ないように見える点が恐ろしく思う。
好印象やら好感度と云うのは正解では無いし間違いも多い筈なのに、選択点に成ってしまう事を残念に思う。

北朝鮮問題が有事だというのが大勢の感情であろうが、
安全保障問題の本質は中期にも支那問題であろうと思う。
北朝鮮問題にしても、背後の中露の関係論は払拭できない訳で、
例え半島が如何いう形で統一されようとも半島だけの問題ではないからだ。
核安全保障という観点からだけ見ても、
ミサイルディフェンスの問題だけで終わらない筈だ。
極東だけでなく東南アジアから西アジアまで広げて考えれば、
中共・ロシア・インドの均衡論は精力的に度外視できない存在であるし、
中東もアフリカもオセアニアまでをも関連する軍事と外交の問題に成る。
これは、憲法を変えるだとかいう単純な問題だけでは終わらない筈だ。
勿論、憲法を修正する事は第一歩であるが、
憲法典の条文を変える事だけに終始する筈が無い。
それ以前に、憲法改正以前に出来る事を少なからず進めて来た安倍内閣の実績を正当に評価しな世論には不安しか感じない。
特定秘密保護法と平和安全法制の進行が無かったら、現状に対処する事にも苦慮したであろうことは明白だと思うが、その渦中で「安倍一強云々」云うのが私には理解不能だ。

比較論が都知事選の当時からオカシイのだ。
政策論は、一言している事の感触に好意が持てるかどうかという問題ではない。
「ナンチャラのゼロ」なんてのは、何も言っていないに等しいという事だ。
都知事選当時、何故にあの三候補だけが取りざたされて他が泡沫とされたのか…その三者が総て良く見えないのであれば、他の方法論もあっただろう。
少なくとも、条例でパチンコを規制するというのは現実性の在る政策であったし、受動喫煙防止云々条例よりは現実的だ。
知名度やら背後組織やらで選択しているのは、結局有権者であるのだろう。
保守の結集が云々とか言っている主体が、当時無策に田母神俊雄候補を推した母体でもある事も興味深い。
彼らがしているデモも活動も、戦略も戦術も欠如した自己満足なのではないかと思えてしまう。
もしも、戦略があり戦術を考慮していたのであれば、今回の都知事選で別の候補を推す事も出来ただろうが、その時点で田母神俊雄氏を不当に糾弾していたと思われるのも彼らだったようにも思える。
ま、保守を自称する輩に戦略や戦術が無いのは昔からの事で、だからこそ見向きもされない長い時期が続いたのだろうが、言いたい事を云うだけの無責任な政治活動ならばしない方がマシにも思える。
そう思えるからこそ、力も責任感も過剰な情熱も無い私は、以前から保守活動とされる運動の支援はして来なかった。
猪瀬氏の知事辞任にどのような力学が働いたのかは知らないが、あの時点から都の政局も東京界隈での左右の争いも異常さを増していったようにも思える。
話は逸れたが、左右の争いは別にしても、現状の何も進まない「舛添都政を大きく下回る酷い都政」の現状は何とかせねばなるまい。
舛添知事誕生時の田母神氏も、今回の都知事選での他の候補も、現実性の在る政策を提唱していた事は事実であり、選挙の争点に対する着眼点が異常であった事は明白だと思う。
私の生まれる前の事で詳細は知らないが、当時の史料を見返せば美濃部都政の失態も選挙時点で明白であったように思えるし、青島候補の公約も中身の無いものであったと記憶している。
今回の小池某当選事件に関しても、大差が無い様に思える。

以前、二階建て電車の問題を話した事が在るが、
技術的な問題や建築的な問題は、必ず関連法制に及ぶ話である。
つまり、二階建て電車を企画するとしても、
その車両技術の問題を解決するにも、建築限界をクリアする為にも、
鉄道事業と周辺環境を含む関連法を精査する必要性が不可避な問題となる。
電柱を廃止して電線を地中に埋めるという話も、全く同じである。
一言でいえば、どんなに上手く進んでも四半世紀後にも出来るかどうか、という話でしかない。
だからこそ「早く話を進めねばならない」という人も在るだろうが、
それこそ詭弁であって、話を始めるには、
何時何処で何をすべきかというスキームの話を先に示す必要が在る。
原発廃止論や安全保障にかかわる憲法改正問題も、全て其処が抜けているのである。
二階建て電車や時差通勤で言えば、混雑解消が目的であるが、
分散すべきは乗客であっても、その起因は向かう先や通過場所が時間的に重なる事に在る。
地方行政で云っても国政で云っても、この問題はリソースの分散の方策と捉え直す事が出来る。
同時に、現状のまま人口もその構成も変化しないという前提もオカシイ都民ファーストなのだから、東京都の法人税収が増えれば何でも好いというならば話は別だが(笑)
もっと平たく言えば、行政指導やら条例・法令修正や新設など権能によって実現可能な物を政策と呼ぶのであって、「私の理想の社会を創りたい」などという政策は在り得ない。

類似した問題に「保育所待機児童問題」というのが在ると思う。
この問題は、保育に関して支援する方法が法制上「児童福祉法」に頼るしかない事が根本だ。
何時でも、保育所と保育士の不足だと捉えられがちだが、明らかに間違いだと思う。
50年代からの安保反対論者が安保条約を読んだ事が無かったように、待機児童問題を叫ぶ多くの者が児童福祉法を読んでいないし保育所の法的位置づけを理解していない様に思う。
一時的施策として保育士や保育所を増やす事が在ったとしてもそれは政策ではなく、その後の法制や運用を語ってこそ政策と成り得る筈だ。
単純に保育所と保育士が増やせたとして、少子化がこのまま推移すれば直ぐにその多くが余ってしまうではないか…馬鹿げている。
その根源は、児童福祉法による保育施設は、そも、所得の低さから保育が疎かに成る問題に対したものだからだ。
所得規制や安全規制が厳しいのも、そうした観点から見れば当然に納得できる筈だし、その設計が高度経済成長期の核家族化時代の物であるのも問題だ。
ベーシックインカム論と似ていて、幼保一体論はかなり以前から議論されて来た。
保育サービスが今欲しい人は、そのまま保育リソースを拡充しろと言うし、生活補償を受けたい者も、充足したベーシックインカムを始めろと言うだろう。
どちらも間違いで、児童福祉ではない保育が必要なのであればそのシステムを議論せねばならず幼保一体論などの合理化が論じられるし、ベーシックインカムの眼目は社会保障の一体化であるから現状のそれを廃止する議論になって然るべきなのだ。
またどの問題も、時間的・人員的・資金的な総てを含んだコストの問題が外せない訳だ。それは単なる財源論ではない。
男女共同参画労働社会が適正であるとの合意が形成されているのならばまだしも、単に不景気の煽りで賃金が低下した現状に対応するために保育施設を強化するというのでは合意の規模も仕組みも違い過ぎる。
人気が高い政策が総て正しいというのでは、大きな政府どころか予算がいくらあっても足りないだろう。
その意味では、幼保一体論は兎も角、幼児教育無償化から高等教育無償化までの理念と云うのは一貫性が無い訳では無いと思う。
高等教育無償化論を始めると、恐らく文系を自称する阿呆共が大学の自治だとか、学問の自由と教育の差別化だとか、意味不明の哲学論を始めるのだろうけど…
労働市場に於いて社会教育を賄うシステムが消滅して行くのであれば、リカレントにしてもスキルアップにしても高等教育機関が賄う仕組みが出来て何が悪いのか?
そもそも、高等教育機関は大学だけではないのだから、高等教育機関すべてが研究機関を伴うものでも無い。専門学校や専修学校がこれほど有効活用されていない先進国も無かろう…今では学歴の足しにすらならないではないか(笑)
ま、大学を卒業していても、法学基礎やら哲学史やら世界史の基礎すらも知らない者を量産しているのだから、教養教育機関としての大学前期課程は何の意味もなしていないのではないかとも思える。
個人的意見に過ぎないが、日本の大学の年次必修科目が皆無に等しい単位履修制度に問題の根源が在る様にも思える。
もっと基礎教養過程でガシガシ落第させてしまえば好いのだ。入ればテキトーに学士様に成れる大学のカリキュラムが異常なのだ。
2年次までに退学になる学生を聞かないのもオカシイし、転科も侭為らない制度もオカシイし、一定数の進級が無いと補助金云々ってのも異常だ。
何がしたいか分からないから進学したとかでまともに学習する気も無い学生などジャンジャン落第させて退学させてしまえば好いのだ。
うーん…話がまた逸れた(笑)

簡潔にまとめれば、安全保障にしろ地方自治にしろ、多くの人が大して確りと考えてすらいないという事だろう。
大して進んでいない医学ですら、対処療法と同時に予防措置を考えるものだ。
当然に、病理だけでなく臨床も重視されるし、薬事だけでも外科だけでもない。
巡航ミサイルを報復や抑止力の為に配備するにしても、予算を付ければ明日揃う訳では無いし、二階建て電車やら待機児童やら電柱やらベーシックインカムなんてのは「良いか悪いか」という単純な判断で終わる筈が無い。
政策論とは、政策目標論ではなく、その実現性と手法が問題に成らねばならない筈という事だ。
これを簡潔に言えば、中身が重要だ、という事になる。
中身の問題を議論するのは面倒であるが、少なくとも中身の話を聞く事くらいはすべきだと思う。
法治国家である以上は、その過程で法律の建付けや行政の仕組みが話題に上るのは当然で、それを解り良くしようとかよく理解しようと思うのも当然でなければならないと思う。
そうであれば、これほど複雑怪奇な税制のまま更に複雑化させようという動きになるのは異常であるし、そうさせないための政治の在り方も考えると思う。
少なくとも、安全保障の根底で、平和主義だとか好戦的だとかいう低能な議論にはなる筈が無い。
国際秩序における平和論と云うのは、一国の理想の問題ではなく国際法の上に成り立つのが当然だからだ。
民主党政権という無残な選択をしたのも、中身の話を聞かなかったせいだろう。
選択が馬鹿だったのではなく、選択する以前に中身を確り聞かなかった事が馬鹿げていたのだ。
私自身は、馬鹿でも馬鹿げても居なかったが、周囲を説得しつくせなかった事は無能だったろう。

さて、東京都民の端くれとしては、今回の総選挙に際して大阪府民に謝罪せねばなるまい。
私は関西人でも近畿人でも大阪人でも無いから、オオサカに特段愛着も無い。それでも、国情として大阪の二重行政や地方行政に関する関心が無い訳では無い。
大阪都構想の全てに賛同する訳では無いが、東京都という行政体の刷新必要性以上に大阪行政の問題は解消するべきだと思っている。
大阪都構想を実現するには、国政に於いて地方自治法に連なる法制を変更しなければならないのだから、日本維新の会の存在意義や必要性は理解したい。
同時に、こうした地方政党が、正当な政見を持った真っ当な政党として存在する事が、二大政党制にしてもそうでなくとも現状の国政に必要性が在るのではないかとも思っている。
ただし、私としては連邦制や道州制には反対であり、我が国が立憲君主政体と議院内閣制を保持した上で中央集権的に在りつつも地方行政をよりよくする為に必要だと思うからだ。
当然、首相公選制も大統領制も、一院制も支持はしない。
憲法改正を繰り返して、我が国の憲法制度が根源的で簡明な憲法典と下位法としての基本法で構成される様に成り、地方自治制度の運用の自由度が向上すれば地方政党が必ずしも必要だとは思わない。
憲法論は長くなるので別にするとしても、現行憲法下での現行法制下では地方自治を改善するには地方政党が必要だと思う訳だ。
これは、日本国憲法の地方自治の章(第8章)と地方自治法を読めばご理解いただけると思うが、中途半端で運用性に悖り取って付けたようなものだからだ。
警察法や消防法にまで及ぶ問題でも在るが、憲法の規定により出来た地方自治法自体が柔軟性にも乏しく不都合の多い代物であると思う。
本質的には、憲法改正を進める過程で、これらの憲法典以外の法令の問題も考えねばなるまいが、現状の世相がそんな状況だとも思えない。
だとすれば、現行憲法に準拠した上で、合理的な地方自治を達成する方法は地方政党による発議によって地方自治関連法制を回収して行くしかないと思うからこそ、日本維新の会が必要であると思うのだ。
さて、前置きが長すぎたが、希望の党という変質者を生んだのは都民に責任の一端が在ると思う。それこそ、あんな政治家としての資質の無い者は東京10区衆院議員を辞職した時点で葬るべきだったのだが、都知事にしてしまったのは都民の中の有権者である。
維新は「三都物語」とか云う安易な詭弁に乗らされてしまった。
個人的には橋下徹氏の野党結集論には文句も言いたいところだが、そう思わせた緒端は都知事選と都民ファの惨事が在ったせいだろう。
何せ、都民が馬鹿みたいにファーストしなければ、こんな事には成らなかったではないか…
他方で、都民ファーストとやらの目的は何だったのか…私には判らない。
小池某知事とか言うのが何をしたいのかは、もっと判然としない。
小池某に投票したという人に話を聞けば、「消去法」と云う…
消去法で選ぶならば、宇都宮氏とボケ老人と同時に消去すべきが小池某であったと思うが…
不思議にも「普通は」そう思わないらしい。
こうした都民の世相に甘んじて、都知事のリコールや糾弾活動に身を動かさなかった事による今回の政局の惨事に関しては謝罪せざるを得ない。
維新の会の支持者の皆様、本当に申し訳ありませんでした。

小池某とやらを少々語れば…
小沢ガールズで、細川とか云う殿様の腰巾着にも成れないで、バ菅と行動を共にし、小泉落下傘で劇場して、短期間の大臣業務を大袈裟に実績と言い放つ…これだけの曰く付きを評価する方が異常である。と、個人的には思う。
ま、そんな事は「普通は」如何でも好いのかも知れないが、何事も経緯と歴史無しに安易に考えるべきではないと思う。
その経緯を一言で表せば、何も中身は無く「受けの良い事を云っていただけ」であったと言えよう。
今回の総選挙に纏わる発言や都知事としての発言を聞いても、その中身が無い事は明白だろうと思う。
「東京都議会のドン」だなんて、一寸経緯を調べれば大して酷いものでないと分かる筈だ。
だから私は、「都議連を潰したいにしてもやり過ぎだ」と当時言った。
自民党都議連が問題だとは一言も云わなかった。
私が調べた上では、自民党都議連が何か悪い事をしているようには見えなかったからだ。
小池某が公約通りとやらで創ったPTとやらでも、自民党都議連は、結局非合法の悪事を働いてはいなかったと結論付けられた。
法や慣習から外れた「しがらみ」と云う物は存在しなかった訳で、問題が在るとすれば法や慣習だったという事だ。
これを質すには個人を問い詰める必要性も生じようが、これを糾すには糾した後に法制や慣習を改めねばならない。
見せかけのパフォーマンスだけはやった様で、都発注案件の入札にJVの参加を認め無くしたようだが、このおかげで幾つかの入札は不調に終わっている。実効性が無いどころか、パフォーマンスのせいで現実性を皆無にしてしまった。前進ではなく明らかに後退だ。
この案件には、豊洲の工事に係る件やオリンピック関連の事業もある。
本質的どころか実質的に、小池都政は市場移転とオリンピック開催に対して明らかに大きな損失を「態々」生んだのだ。
どういう事かといえば、そもそも小池某には都政を糾す気など「さらさら」無かったと言えるだろう。
東京都民は、都知事選でも都議選でも、その時点で考えられる最悪の結果を選択したという事だ。
好き嫌いや雰囲気でその選択をしてしまったのだから、正に最悪中の最悪であっただろうと思う。
この、最悪の選択の結果に起因して、維新の非合理な選択を導き出してしまったのは非常に拙い事だろうと思う。
環境大臣時代にしても1か月強だけの防衛大臣時代にしても、本質的には何も実績を残しているとは言い難い。
守屋某と闘ったように見えたお陰で偉い様に見えたかもしれないが、防衛省の接待問題は防衛庁時代から引き摺る問題であったし何度か顕にもなった件であり、偶々その時の大臣であっただけだ。
残念ながら、何時からか我が国の防衛長官や防衛大臣は「歴戦の兵」や「政策専門家」が就くポジションではなくなったから目立ったかも知れないが、真面な人なら普通にやった事だったろう。
そんな事よりも、彼女の(首相補佐官時代から)防衛大臣時代にはテロ特措法関連での失態の方が目立つと思うが…多分「普通は」忘れるのだろう(笑)

付け加えれば、良く準えられるサッチャー元英首相は、女性初の首相であったが女性だから首相に成った訳では無い。
女性でなければ女性初の首相には成れないが、それだけである。
彼女がしたのは、党勢力を拡大するだけではなく、その為の方策を幾つも実行した事だ。
政党は、政策を実現するために在るのだから、その為の実力を各方面で拡充する施策をしたのだ。
頭脳を登用する事から市民運動の組織化まで、多くの事をして政権回復の原動力の中心と成った。
威勢のイイ事を云っただけでは無いし、理想論を述べただけではなく、実行したのだった。
彼女の補強した政策論を詰める為の頭脳集団は、政権奪還後も政策実施に大いに役立った。
彼女の組織した市民運動は、イギリス病下で不毛に繰り返される左派ストライキを実質的に制圧した。
イギリス病の起源は労働党であったと言えるが、それを糾弾するだけでなく実際の政策で英国を復活させたからこそ、鉄の〇〇やら鉄の女と異名されたのだ。
化学を学び経済学にも学び、して、政策ブレーンの必要さと経済学の重要性を知っていた上に論理的に明解であったからこそ、そうした事が出来たのだろう。
英語が得意だとかアラビア語を知っているだとか、そんな事を自慢するだけの人間を彼女と比較する事すらも大いに失礼に値するだろう。
云う輩も云われて喜ぶ奴も、恥を知れってんだ…

さて、こんな何もしない、否、悪さしかしない都知事は引き摺り下ろすべきだと思う。
それ以上に、長期的な政見の内実が無い事も、政治哲学すらない事も、その場で思いついた事を精査せずに軽々に発言する事も、政治家としての資質が無い事が明白に成ったのだから、政界から去って頂くのが良かろうと思う。
私は何も罵っているのではないし、好きで悪口を言っているのではない。
これだけの悪さをし続けてさえも、「普通に」人前に出ている事には怒りしか覚えないだけだ。
「悪者らしい」やら「疑いが在る」のではなく、昨今の実績には悪さしかないのだ。
これを、どんなにお人好しの者であったとしても良く云い様が無いではないか…
既に都民だけでなく全国民に迷惑をかけてしまっているのだ…
百条委員会でもリコールでも好いから、可及的速やかに引き摺り下ろす方法は無いものか…
地方自治法によれば、選挙から一年経っているからリコール請求は出来る筈だが、署名を集めるという難儀な仕事が必要に成る(地方自治法81条・83条・84条)。
多分、百条委員会が、衆院選後に開けるのではないかと思う。
百条委員会の詳細は、馬鹿な私には理解しにくいし、根性の無い私には理解しようとする気力も無いが(笑)
記憶違いでなければ11月3日まで都議会では委員会が在った様な気がするし、臨時招集も出来ない筈も無いと思う。
間違っていたらごめんなさい。

東京都議に東京と日本を愛する心が在るのであれば、議会勢力だの政局だのは置いて糾弾できる筈だと思う。
自民党への復讐だか政界への復讐だか知らないが、個人的な情念だけで政界に居られるのは困るのだ。
総理大臣になって何がしたいのでもなく、自らが初の女性首相に成りたいだけなのだろうから、政治家たる資格がそもそも無いだろう。
どうせ、また国政に復帰できれば議事堂に肖像が飾られるとでも考えているのだろう。
自分の思うとおりに自分の力だけでしたいと云うのであれば、それは政治の仕事に根本から悖る。
政治にはしがらみなどあるのが当然で、それが無いなら利害調整機構なんて無駄な物は必要ないではないか…
都議百条委員会は、昨今まで不正義の下にしかなかったが、今回ばかりは全国的な正義と共に在ると思う。
ま、開けるのであればであり、開かれればであるけど(爆)

パリへの出張費は好いとしても、地球温暖化に関する国際会議での発言の撤回とランジス市場視察費は返納して欲しいものだ(笑)
早くオリンピック競技場と開催施設問題を解決しろ(笑)
意味不明に発生した市場移転関連費用は自腹で頼みますよ(爆)

ひだりはんしんはぜんぜんへいきなのになんなんだよ~、だからちょうぶんかいてやる(笑)

うーんうーん…
大正デモクラシーか?
それとも昭和初期の悪夢の再来か?
立憲云々党って?

ただ思うんだけども、立憲主義ってのは本来憲法の条文を守る主義じゃないよね。
ま、わたしゃ馬鹿だから良くは知らんのだが、吉野作造様だとか佐々木惣一博士だとかがその辺は論じていたと思うんだけども…
要約すれば、立憲の精神を貫く事であって、主権者(憲法制定者)の事を無視しても条文を文字の如くに守る事では無い筈だ。
そうなりゃ、国連の現状を見たって、憲法前文と呼ばれる読めない文章や九条が憲法として異常である経緯も「理解しようかな」と思う筈なんだが…
ま、あんなゴミ政党の事は好いか(笑)
ただまあ、九条改正ってのが最初の一歩に過ぎないって理解はどの程度広まっているのか懸念する昨今ですわな。
自衛隊って明記しても国際常識的な国家安全保障は確立しないからね(涙)

さて、ニュースやらワイドショーというヤツでは、政策の事を云々し始めたらしい。
で、消費増税凍結だとか、憲法改正だとか、原発ゼロだとか、政策というよりも努力目標だとか主張に過ぎない様な事を云々しているのには失笑ものだ。
ま、有権者に成って以来、自民党の政権公約以外には「本当に公約なのか?」という疑問を少なからず感じて来たんですがね…
政策と政治目標をごっちゃにする事を正当化したのって、あの流行語が起点かな?
なんだっけか…横文字だしもう忘れたよ(笑)
皆が発音できなかった、マニフェストね(笑)
ありゃ、期限やら根拠を示した目標であって広義の公約(目標を公に約束するだけ)ではあっても、元来我が国で一般的に云われて来た政権公約とは別のものだからね。
うーん…今では、「だった」なのかな?
実現可能で法制化などが約束出来るのが政権公約であるべきと思うんだけどなー

消費増税凍結と云ったって、その政策的手法は如何する積りなのか全く具体論が無い。
強いて言えば、付則条項で見送る、と言っている様だ。
まず、我が国はデフレの渦中から脱出しきっていないのだから、増税を凍結するだけでこれは解消できまい。
どこぞの党は、アベノミクスの見直しだとか言って、行財政改革を推進だとかのたまわっている様だ。
三党合意を撤回して法律を廃止して、初めて凍結が可能である事を忘れてやしないか?
不足18条による見送りってのは…ぁ、字間違えた(笑)、凍結じゃないからね(苦笑)
もしかしたら、公明党が連立内に居ない政権であれば、三党合意が破棄できるかもしれないけれども…
精々、財務省との間で財政規律と税に関するルールの中で闘って勝てるように頑張ってね…イカン、政権採られたら困るわ。
ガッツリ人事とその方法の創設者でもあり、やり方を心得た安倍内閣でも見送りでさえ難しいのに、どうやってやるのか楽しみだよ。
そこがナンセンスというか、無理解というか、阿呆だ。
凍結が実現した処で、終わりにもならないからね…

先ず、世は資本主義であって、その基本原理は成長に在る事は周知だ。
成長の原資は投資であり、その手段の一つに金融が在ると思う。
つまりは、金融政策なしに増税凍結をしても、我が国の現状には大して良い事は無い筈だが、アベノミクス再考というのは国債云々の話だろうから本末転倒という事に成る。
国債=単なる借金で、比較なしに少なくせねばならないと思っている時点でキチガイの様に思える。
将来投資は月賦でね、ってのは家系ですら一般的な事だ。
例えれば、齷齪狭いアパートで重たい貯金をしつつ、稼ぎに奔走しながら子育てをし、定年を迎えて広い家が必要なくなってからマイホームを買って意味が在るのか、という話だ。
次世代の養育とその他の楽しみを考えてこそのマイホームは、壮年に達する以前位に35年ローンなど組んで手に入れるのが定石だろう。
償還期間と金利を比較して、その間の生活環境の充実の為に家を手に入れるのが当たり前で、経済観念からは単に支払いを将来に先送りしているだけでは無い。
またぞろ、庶民の家庭であれば、自宅を投資物件として手に入れる事も少なかろう。高給取りでも無ければ投資に値する物件を入手できないからだ。
鉄筋コンクリート造やら軽量鉄骨PC造は坪単価が高く付くし、木造ならばローン期間中に減価償却してしまい、上物を投資案件にするにはそれなりの初期投資が必要な上に私の嫌いな時代やら流行ってのも大きく左右する。
土地を転がすならば区画や広さが重要で、同じ資金でやるなら見合った規模で出来る田舎に移らねば運用効率が悪すぎる。
ナンチャラ賃貸経営だとかナンチャラモーゲージの様な詐欺的な事に手を染める庶民派少ないだろうし…まぁ長くなるので止めよう。
企業で云えばOA機器をリースするのに同じだとも言えよう。
ま、資産勘定というのはそう云うものだ。
道路公団民営化の時に、「新たに道路を造ったら意味が無い!」とか発狂していた輩の事を思い出した。
投資やら資産というのを、小学生未満並みに理解していないのだろう。する気も無いのか(笑)

同時に、行財政改革とは主に「財政再建」と「規制改革」に在るのだろうけれども、財政再建論が問題だと思う。
基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化とは、一言で聴けば聞こえはいいが、要は緊縮財政の事であろう。
緊縮財政とは、社会的投資の縮減を意味するのだから、当然に成長を阻害する要因と成り得る。
縮めて言えば、成長を考えないという事だから経済規模を拡大しない事を意味し、数値的には生産の増額を企図しないという事であるから、これまた本末転倒である。
成長限界論というのは、とどのつまり資本主義の否定であるが、その論を成り立たせるためには資本主義を代替する経済思想が必要に成る訳だ。
この20年以上程は貨幣価値が上昇しないという異常な事態であったが、半世紀前と今を比べてみれば数値でも実感できるだろうと思う。これは成長の結果の一側面と言えよう。
もっと平たく現代風に言えば、賃金が上昇するという事と大差はない。
バブル崩壊後の頃は、ハードランディングに伴う成長の縮減という話題をしていたのだから、今よりもまだましなのかも知れない。
常識で云えば急成長が長く続いた事実は無いが、長期的な成長自体が止まった事は未だない。
昨今では、人口減少がそれを止めるとも言われるが、超長期的にそのような事が在り得ても、短中期でこれが起こるとは考えにくい。
当然、人口が減れば割分は増える事に成るし、規模が縮小しても生産効率を向上する事は可能だから、それはバランスすると考えて不思議はない。
古典派経済学の古から、資本主義の投資による成長は生産効率の上昇によって見込まれて来た。
飛躍的成長期の要因にイノベーションが在ると言われる様に成ったが、それを励起する切っ掛けは作れてもそれ自体を意図的にコントロールする事は困難だ。必要は発明の母とはよく言ったものだ。
拡大の見込まれる市場に重点的に投資する事は、営利事業の中では古来から普通に行われて来た事である。儲かりそうもない事業に投資する者は、趣味か酔狂くらいのものであろう。
よって、成長戦略と云う物が在るとすれば確率論に過ぎず、何処に投資すれば確実に儲かるのかなど判る筈も無い。
ならば、成長戦略とは投資家や事業家の環境整備という事に成るが、政府自身が投資家や事業家になって成功するならば共産主義が大成功した筈で、そういう事は本職の民業に任せて置くのが好いという事に成る。
これこそが、民営化の本質であり、これを経営の合理化ともいい、成長戦略ではない。
環境整備をするならば、金融が適正状態にある事は大前提と成るのだから、金融政策なしには財政政策は効果が見込み難い事に成る。

よって、増税を凍結し、アベノミクスを見直し、行財政改革をすれば、単純には好況とは成らずに消費増税凍結効果でもある一般消費は伸びずにほぼ何も起こり得ない…と思うんだな。
また、現状の金融政策を止めれば、マネーフローが縮小するのだから円高と株安を誘発し、賃金は伸びずに失業率も悪化しかねない…と思うんだな。
最低でも、イールドカーブ・コントロールの元である程度の財政出動をしなければ(つまりはアベノミクスを続けなければ)、デフレが進行し経済規模は縮減してしまうと思う訳なんだな。
バブル末期の頃にも「パイ、パイ」と言っていたが、その実アウフヘーベンでAIなんじゃねーの(爆)
ハードランディング化ソフトランディングかじゃなくって、債権処理を如何するかだったんだけどね。
一言で云えば、金融が正常化しないと成長が見込めないって事だよ。
繰り返せば、投資が成長の原資だって事だ。

そも、クールビズとやらをする時にでさえ経済ってものを考えたのかな…疑問だな。
あれさ、マクロ的に見れば萎縮経済政策に成り得ると思うんだけどね…
エネルギーの量的規制だけをするならば、技術革新の促進にもなるかも知れないし設備更新の機会にもなると思うけど…服装変えただけだぜ…しかも半強制的に(笑)
どうも、東京都条例案の受動喫煙防止ナンチャラと共通する嫌いが有るなぁ。
ま、嫌煙家様のお気持ちはお察しする事も不可能じゃ無いですがぁ
分煙の規制化の方が、まだ設備投資やらお金も動いて好いかもよ。
ま、たばこ業界と国鉄の負の資産のお話は如何するのか知らんけどさ…
因みに、地方財源でもあるからね、煙草。
ま、視野が狭いってーか、政策に疎いんだろうね婆。
違う言い方をすれば、投資に成り難い浪費ってのもあるもんで、同じことをするにもよく考えろって事だろうな(笑)
クールビズ自体で如何程二酸化炭素排出量が減ったのかは明確に成らないし、服飾業界でのフローの増大は何処にどう影響したかも捉え難い。
個人的には、夏でも厚手長袖作業着で何事も無かったのが「暑苦しいんだよ」と罵られる様に成ったとか、夏場出張の愉しみだった長袖ワイシャツ袖捲りが出来無くなったりとか、カジュアル出勤だとかで休日と就寝前と出勤前の時間がより浪費される様に成っり服飾費が増えた位だった。
当然無駄な出費が増える事に成ったのだから、書籍代やら趣味の費用は大幅に縮小する事に成った。
ま、それまでの私が如何にカジュアルウェアと云う物の洗い替えを持っていなかったという事であるが、生活の自由の一部を奪われたとも言い換えられよう…それは無理か?(笑)

国家安全保障確立の為の憲法改正の糸口としての政治的提案が、自衛隊明記の加憲と成ったのにも確り経緯がある。
この経緯は長い。非常に長い。糞のように長い。糞は長いとは限らないが(笑)
個人的には、こんな物は安保改訂直後にやっておけばよかった事だと思うが、70年余りに渡り為されなかった。
その理由は大した事では無く、好感度だとか流言だとか、そんなものを気にしただけに過ぎないと個人的に思う。
憲法を大々的に改正するという考えは、現状現実的ではないだろうとも思う。
これまた個人的には、帝国憲法を修正する形で改正するのが好ましいとは思うが、そう一変する事は現実的では無いだろうと思うのだ。
そのためには、日本国憲法という法典を無かった事にせねばならないが、そうすれば70年余りの慣例を総て覆した上でその間の法治を無視せねばならない。
そうで無いならば、判例の積み上げを台無しにするのか…きっとイイ大学出てる人がばかりで頭が良いのだからナイスな方法論が在るんだろうね。
条文修正による改憲論とは、単にやり易いからではなく、日本国憲法下で長らくやって来たお陰で「それしか出来なくなった」というのが実状だろうと思う。
だから、この経緯は「糞長い」のである。と思う。
議事録だとか判例だとか、まー読むのも覚えとくのも面倒だし、馬鹿な俺には出来ないし、書籍でも読んでちょーだい。
全て知らなくたって、数日本を読めば判ると思うのです。

日本国憲法の条文を素直に読めば、如何読んでも自衛隊は違憲になる。
ただし、国際法の常識と立憲の精神からすれば、解釈によって「合憲であるとの合意」が可能であった。のだろう。とされている?
だからこそ、現状の我が国に於いて自衛隊は合憲で合法の組織なのであると思う。
「自衛隊は軍隊の様なものなのか?」と問われれば、軍隊の様なものですらない。
装備(機材)は軍用品かも知れないが、軍法を持てない以上は軍隊ではなく、武力行使は国内法制下で行われねばならない事に成るからだ。
当然、防衛省内局なんてのが在るのも奇特だし、予算形態も奇特だ。
自衛隊関連法を読めば、自衛隊は警察力の延長であり、有事の際に「無理やり」軍事組織的に運用する事が出来そうな様に見えるように解釈できるような定義にされている事が判る。
無意味に上の文節を長々述べた訳では無い。
長々述べるが如くに複雑に、「解釈の余地が出来得る」だけであって、自衛隊関連法は如何読んでも国際法上の軍事組織としての自衛隊を規定していない。
なにせ、ナンチャラ出動と簡単に云うが、その際の命令系統での制限は如何なのかとか読んでも分からねーし、事態事に細かく制限が在るし、俺、総理大臣や防衛大臣でなくて本当によかったわって心から思うわ。
防衛白書なんて、年次ごとに読み比べるだけでも一苦労だぜ…一言語義が違うだけで全く意味が違うとか…フツー読了諦めると思うよ。
なーんて偉そうに言っているが、私自身は防衛関連法やら文書に目を通したものの読了を完全に諦めた。
話は戻って、良く云う「有事に発砲して人を殺したとしても、自衛官は刑法によって裁かれて殺人犯に成りかねない」という奴で、警察官職務執行法の適用という奴だ。
えーと、指揮命令系統の問題だとか色々探っていくとそんな事だけでは済まない…と思う。あー、内規は知り様も無いし…
ま、当然に、有事に直面してから有事法制で逃げる時間的猶予など有り得ないだろうし、日本は米国と違って戒厳令は愚か大統領令の様なものも無ければ、憲法によって勅令も禁止されていると考えられるから、実際の有事には「自衛官が殺人犯として起訴される事を恐れずに」対処していただかない限りは何も出来ないに等しいだろう。と思う。
ま、自分で考えたい人は一応は目を通してみるとよかろうモン(笑)

自衛隊を国防に無理なく使えるようにするには、防衛関連法制を大きく変更せざるを得ない訳だ。
だからこそ、加憲にしても条文改憲にしても、それを糸口に防衛法制論議を適切に行える環境を整えねばならない。と思う。
憲法改正で国軍化するのであれば、憲法施行と同時に軍隊としての法制も施行されておらねばならず、その時点で自衛隊の組織改編が済んでいなければならない筈だ。という訳だ。
簡単に云い直せば、憲法九条を改正しても自衛隊は軍隊には成らないし、国家安全保障の任を法治下で正当には全うできない、という事だ。
自衛隊が組織として国際一般の軍事組織然と成る以前に憲法前文と九条による規定を外されてしまえば、指揮命令系統から予算まで不合理が一気に生じてしまいかねない。
つまりは、先ずは自衛権行使の合意、次にはそれに沿った防衛関連法制の適正化、そして予算の在り方と過少を是正、九条改正以前にせねばならない事は山積みなのだと思う。
最低限、文民統制とやらと呼ばれる異様な行政介入を止める事と、年次予算とローンだけに限らない適正な予算を着ける事だろう。と思う。
無論、そんな法制議論は今すぐにだってできる筈だが、そんな事は野党やらジャーナリズムとか云う輩が素直に許さないだろう。と思う。糞だな。

また、一般には、日本国憲法は当時の国会に於いて大日本帝国憲法を改正する手続きを経て「正式に」制定されているとされる。
さらに、施行以来そのまま運用されてきた経緯からも、慣例法的に無効論も成り立たないだろう。と思う。
この経緯を素直に受け止めれば、日本国憲法に規定される改正方法を持ってしか改正する事は出来ないのも当たり前だ。
これは当然、誤字脱字や文法の不整合を直すだけの要旨変更の無い改修も同じになる。
つまりは、帝国憲法と同じ様にする「改正(自主憲法制定)」を行うには、最初に現行日本国憲法の条文改正によって改正規定を変更する事を経る必要性が生じる。
長らく具体的な改正方法すら法制化していなかったが、国民投票法の制定によってこの点は一義的に解消済みと言える。と思う。
ただし、国民投票法に規定される範疇でしか憲法改正は行えない。
よって、「希望の党」が主張する憲法改正を実現するには、大々的な政治的スキームを経る必要があるり、これを政権公約とするには大きく問題が生じるだろう。
政権公約と云う物には高い実現性が伴わねばならないのだから、政権奪取だけでは実現する可能性が皆無の政策は公約とは言えないだろう。
何が必要で何時それをやって…すらも無いのに終着点だけを示されるのは、これを「努力目標」という。
ま、筋道を詳細にすべて明かさないのは政治的手法であろうから問題とは思わないが、その概要すら見えない様では「実現不能」としか考えられない。と思う。

大々的な憲法改正を語るのには、
一次的な改正内容を如何するのか、
その後に立法せねばならない事は何か(少なくとも国民投票法に変わる法律)、
それらの環境が整った上で全面改正憲法下での現行法修正必要箇所の立法過程をどうするか、
その上での国会論争、が必要に成る。
これらのガイドラインが整って初めて、努力目標は政策と結実する可能性が見えてくるだろう。
現状の安倍晋三自民党総裁による提案は、要旨としてでもこれらをクリアする第一歩の為に練られたものであろうと思う。
誰も加憲が最終点だなんて思っていない筈で、実現性の道筋さえ示せないモノは理想やら目標としか言えないのだ。
「九条改正!」とか「全文削除!」とか「自主憲法!」など云うのは好いが、その先やそこまでの具体的手法が想像できる程度には考えねばなるまい。
今の法体系のままに出来る事は限られる、という現状を理解しているとは思うのだけど…ま、情緒論はそろそろやめようよ(笑)

以上の事から、「希望の党」が一千億歩譲って誠実な政党になったとしても、掲げている公約の多くは正当な公約とは言えない。
彼らの経済政策を(可能だとして)実施すれば、経済が良くなるどころか悪夢の再開に成りかねない。
彼らの憲法改正論を実現するには、先ず日本国憲法を条文改正した後に、幾つかの法律を修正・新制定しつつ改憲案討議をしなければならない。
勿論、現物が施工されていない時点で、新法案と新憲法案の全域を精査するのだから、段階的部分改定を経ていくのと比較して作業量が膨大になる可能性が高いと思う。
現実的に見えて注目度も高いこの二点にだけ絞っても、公約として体を為すとは言い難い、と個人的には思う。
当初の私は、次世代の党から党名変更した後も日本のこころを大切にする党を応援しようと思ったが、憲法草案は兎も角改正段取りを考えている素振りも見て取れなかった為に、自己満足にしか思えない党名と併せて支持しない事を決めた。
党名変更もそうであったが、意思決定のフローも不明で理念は兎も角その方策が見えない当初からの様子は、個人的に支持する事すらも値しないと思わざるを得なかった。
ま、今回の動向で、恐らく金輪際中山成彬氏の言には耳を傾けても没入はしないだろうと思うし、中山恭子氏の言の注目度も下げようと思う。
チャンネル某での釈明を見て、情が沸くどころか憤りに近いものを覚えた。個人の生き方としての存意の様なものは理解できるが、他の党員の行動からも道理に合わない事は明白に思う。
同時に、我々40代を含めた以降の世代が死滅しない限りは、中途半端で異様な日本国が継続してしまうのではないかとも思った。
私には、僭越ながら結局は情の向け方やら発現が狂っている様に思えた。
同じ事は、あの3月11日以降の「絆」というのにも感じたが、義は馴れ合いでは無いと思うのだ。
ま、こうした事は、成人して社会に出て以降何度となく感じて来た事であるから、根底的問題であって今更の解決はほぼ出来ない事であろうと思う。
現実問題の多くに正解が無い様に、解決が無いからと言って尽力しない訳では無い。
私自身は馬鹿以上に楽観的であるし、悲観的であれば軍人に成れないからだに生まれた時点で自刃していただろうと思う。
ま、自尽は不倫理であるし周辺の損益を考えれば中々に出来ないモノですが(笑)

原発ゼロ政策とやらにも大差はなく、法制を大変更した後に国策として国家予算を大量に使わねば実現性は低いだろう。
原発ゼロの最も面倒な点は当然廃炉と廃棄物処理の予算であるが、同時に忘れられがちなのが原子力規制の法制化だと思う。
原子力発電を止めるにしても、原発を止めて廃炉にし廃棄物処理をするには、その為の法制が必要に成るし、政治的スキームだけに止まらないだろう。
第一、民業として営利事業として行ってきた電力会社や発電会社の行為をいきなり非合法化するのは、自由主義民主政体的には不可能に近いだろうと思う。
国民輿論として禁止にするにしても、企業への補填が全く無い訳には行かないし、廃炉や廃棄物処理は国策事業として税金で賄わざるを得ないだろう。
「あ、それ明日から禁止ね。で、それ棄てる費用は全額アンタが負担してね」という訳には行くまい。行きそうで怖いけれど…

同時に、「2030年代までに」だとかというのは「さらさら嘘」だろう。
正常に運転可能な状態の原子炉とは言え、同時に四半世紀未満ですべてをまっさらに出来る筈が無いからだ。
廃炉から廃棄物処理までの概算予算を策定し、同時に行程を設計し、その後に初めて「ゼロに成る日」を算定せねばならない筈だが、そんな話を聞いた事が無い。
つまり、我が国に於ける原発廃止論は、大して実現性を考慮した論議では無いのだろうと思う。
防衛予算を超える大規模予算を投じねば出来ない事業であり、ロードマップ策定にも多くの時間と大きな予算が必要である事すら語られない。
ま、私は馬鹿だから、そんな事をせずにも「ポイッ」とする方法が在るのかも知れないが(笑)
ま、理想論を政策と呼ぶのであれば、政策なのだろうけれども(爆)

「核廃棄物のマンション論」なんてのは幼稚の極みで、原発ゼロだろうが再稼働だろうが、現状のままではどちらでもマンションのままなのだ。
原発廃止論が成り立つとすれば、「時が経つのを待つだけ」だろうと思う。
やがて寿命が来て、否が応でも廃炉して核廃棄物を処理せざるを得ない時が来る…そんなに再稼働が嫌ならば待てば好いだけだ。
ただし、廃炉してもカネも人もかかる、廃炉せずに停止を続けてもやがては廃炉するのだから余計にカネと人がかかる、同時にどちらの場合も渦中に大災害が襲えば危険性に大した差はないだろう。
試算して確認すべき事だが、廃炉作業下での安全性と、ただ待つ安全性と、運転下での安全性、コストを加味しても過大な差が生じるのだろうかという事だ。
明らかな事は、既にある原発を運転すると、そこからコストの捻出が可能に成るし、電気料金の値引きの可能性が生まれる可能性が在る。
原発問題ってのも、カネと人と期間の話をせねば全く実効性の検証すらできない努力目標に過ぎないのだ。
国会におけるアジェンダであり、政権のマニフェストではあるが、これを政権公約とは呼べない筈で、政見とするのが古来普通であった筈だ。
即時廃止したエネルギー小国なんてドイツだけなんじゃね?
詐欺的再生可能エネルギー(ま、再生じゃねーし、自然エネルギー?)だってね、欧米ってのは植民地が在るからできるって部分も在るんだぜ(風とかが好例)。
後はね、我が国で原発廃止する上では、核融合に関する立ち位置ってのも関係してくる筈だよね。国際事業だしさ…
当然、核抑止のオプションとしての余地ってのも有る。
「原発怖ぇ―から無くそうぜ」って話をするにゃ、カネやら人やら原発以外の原子力に関するボークーが必要に成るんだよね。
めるしーぼーくー。
まぁさ、基礎研究とか技術開発の事も少しは考えた方が好いと思うぜ。
原発廃止にしても、全廃ってのが本当に最善策なんすかね?
あとさ、本当に良かったんかねぇ…東電に何兆円も擦り付けてさ…国策だったんじゃねーの?
見込んだ利益は強制停止で捨てさせてさ、廃炉やら廃棄物処理のコストまで払わせたら電力関連事業者って大丈夫なのかね?
ま、大丈夫じゃないわなですわな(笑)
米国の軍事予算くらいで足りるんかね…足りないんだろうな…
スリーマイルにしたってチェルノブイリにしたって、原因は突き止められたんだよね。
で、福島第一ってのは原因を確定しなくて好いんかね?
地震にしたって津波にしたって、確定すりゃ安全性向上も為せるんじゃないかい?
しねーと不安なだけだろう?
ま、自身が原因じゃねくて津波なんだろってのが国際的にもコンセンサスだと思うけどね。
だってよ、自身が原因だったとしてだよ、朝鮮半島有事の今にだよ、在日在韓米軍ってのは正気の沙汰じゃねーべさよ(苦笑)
おれぁインテリジェンスじゃねーから判らねーけどよ。

はて、希望の党とやらが掲げるとか何とかされる政策の事をチョチョイと語ってきたが、この政党?の真の問題はそんな処には無いと思う。
この政党?の最大の問題は、政治資金規正法と共に始まった政党助成金という制度だろうと思う。
単に小池某という阿呆が国政に出たいだけならば、素直に国会議員選挙に出れば良い。
奴が国会議員を自ら止めた事実は忘れてなんねー。その時点で何様なんだべぇよ。
新党を立ち上げて乗り出す理由が在るとすれば、政治勢力の結集と政権の奪取でしかないだろう?
その為には、ある程度の議席数が必要であり、連立を組むにしても政治工作が必要な訳だ。
ま、政局の話である訳だが、直訳すれば実弾の話であり、候補者とカネの問題でしかない。
政策や理念すらない阿呆の考えることなど、どうせ、民進党の政党助成金資金を活用してやろうとか、自民党を割って連立で政権奪取しようとか、ま、そんな事だろう。
が、戦前の大正時代から、我が国の最大の問題は「政局にまつわるエトセトラ」であった訳で、政治資金の問題であったと言えると思う。
「翼賛政治で戦争に成った」とか決めつける癖には、同様な資金政治による政局問題を改修しようとは一向に思わないらしい。
昭和疑獄とやらナントヤラ、昔からスキャンダルべぇばかりだったんだなと思うと…糞だな。
是々非々とか安易に言う奴の気が知れねーよ…カッコいいんかね?是非も無しって事は在っても、政治に是々非々なんてあんのかね?政局ツールじゃねーねぇのか?
それどころか、それを利用して権力が欲しいだけで政局遊びに興じるのだから始末に負えない。と思う。
細川内閣が出来て以来、二大政党だの政権交代だの、政局遊びは現在の様に悪化してしまった様に思う。
政治資金規正法制定に纏わる政党助成金制度も、大変懐かしいがこの時期に小沢某によってなされた悪事であった。と思う。
解決策は簡単で、政治資金の入り口を規制するのではなく、政治資金の入出を完全公開するだけで良いのではないか。
ぁ…我が国には正当なジャーナリズムが無いから無理か(笑)

また、「しがらみのない政治」なんてのは、考えにくい。
現在の政治というのが、実態的には利益の分配に伴う周辺行為でしかないからだ。
そうで無いならば、現状の政党政治の仕組みを変革せねばなるまい。
代弁者が集まっては賛成反対とやるだけなんだからさ、この民主政体の限界ってのは周知の事実でしょうに。
ま、完全な哲人政治だとか、社会主義やら理想民主社会政体ならば可能かもしれないが、哲人なんていないし社会主義に類する制度を輿論が合意するだろうか?(笑)
政治団体やら利益団体という政治運動の母体が「しがらみ」なのであって、言い換えれば、代議制に於いては有権者自体がしがらみでしかない。と思える。
好き勝手に思う事をぶちまけるのが国権の最高機関の場ならばそれで好いだろうが、そんな事は無い訳だ。
直接民主制にでもするか?6000万人とやらが一同に在れる議場を創るのか(爆)
ま、実際にはレトリックであって、「大きく強いしがらみを最適化しよう」という事なのだろうが、それだって簡単ではないだろう。
少なくとも、見かけ上の是々非々なんての感情論で出来る筈も無い。
だから、今現在の「希望の党」に運動団体の実態が見えない様に見えるからこそ言える詭弁であるとも考えられる。
ま、私は日本維新の会の支持者という訳では無いから詳細は不明だが、少なくとも維新が云う「しがらみ」は小池某が叫ぶ物とは違うだろうしそれなりに定義が在る様だ。
私個人は、現状の議院内閣制に急変せねばならないほどの大きな問題が在るとは思えない。
あーん…実際には、現在の「希望の党」には母体の政治塾が在る訳で、運動団体も政治資金も「実態」が在る筈なんだけどね(笑)
よって、「希望の党」には既にしがらみが在ると考えて支障は在るまい。

さて、私が思うには、今回の機会は「都知事を撃滅する絶好の機会」である。
ま、そんな事は現実に起こらないだろうが…(自爆)
早々と立候補をさせて都知事を辞めさせてしまえば、都政を何もせずに渡世ばかりを考えている知事を合理的に排除できる。
そも、当時の東京都民の眼目は「綺麗にオリンピックをキッチリ行える知事」であった筈だ。
違うのかも知れない。
単にカッチョえー知事を求めただけかもしれない。
アチキは、日本新党からの履歴といい、政策の実績といい、都知事にしちゃならん人物だと考えて周囲に説得をしたが、ま、数人じゃ変わらんよね。
「やっぱ当選したじゃん、小池さんで好いと思ったのに」と散々文句を云われて嫌な思いをしたもんだ。
民主党政権に成った時と同じだったよ。
悲しい思いはしたが、それは過ぎた事だし結果論だからどうでも好い。感情なんてのは都合よく忘れれば良いだけだ。
ただま、この機会には吐露しても「単なる恨み節」や「愚痴」ではあるまい。私自身は間違った選択を提案してはいなかったのだから…当然に、謝罪や賠償など要求はしない(笑)
それは、現状の都庁での知事の評価を見ても明らかな筈だ。
ただし、都知事に住民訴訟をしている勇敢な人々には称賛を送りたいと思う。
豊洲問題なんてのは、その政局論争の中で出て来た些細な問題に過ぎなかった筈だ。
政治的には、既に安全宣言も出ていたし(舛添政権時)ハコも出来ていた訳で、移転を実行すれば良いだけの話であった。
共産党と公明党は、計画が始まって用地が決まりそうな時点から、移転妨害工作に奔走して来たのだが…小池某が、それを政局に利用しただけに過ぎなかった。
問題であったのは、知事の「独断」による移転計画の凍結であったし、都議会がその経緯を追求しなかった事だろう。どうやらそれがあい(AI)なのだそうな(爆)
合理的に追及されなかったのは、単に都議選の結果が「ああなったせい」に過ぎない。
都知事選に小池某が立候補する以前から、国政への現状の様な懸念は少なからず生じていた筈だ。
政策的には殆ど実績を持たない小池某を持ち上げたのも当選させたのも、メディアとそれを猛進した有権者であっただろう。
民主党政権誕生時と大差は無いのである…と思う。
ま、東京という場所は、馬鹿な田舎者の私は良くは知らないが、愛郷心なんてのとは程遠い好感度の世界なのだろうから仕方が無いかも知れない。私自身は、東京都とかいうほんの一時期だけ神奈川県で東京府に再編入された市政百年に成る所に数代住んでいるだけの、父系でいえば余所者で祖母の系譜は多分江戸時代以前からだと思うから長いのだろうけど…ま、そんな事は如何でも好っか(笑)
兎角「多摩」と一括りにされがちな東京でない東京都は、60年代から70年代に移り住んできた公明党関連モノとか共産党員だとか、地主絡みや商売絡みの学会員だとか異質な存在も多いんだけど、それを除いてもまあ歴史や文化など知らない者が多い場所であるとも思う。
23区西部やらなんか勘違いしている吉祥寺なんてところも、また違った観点で利己主義的で時代やら流行が好きな輩が少なくない。
私個人は奇特だから、時代が如何のだとか流行云々だとか好感度なんてのは「さらさら」嫌いだが、渡世の処世術はそれに尽きるのが現状だろうから、ま、そういう世の中なのだと似非誹謗すればいいのかも知れない。
そんなクダラナイ、時代だのブームが創った「厚化粧の婆」を排除するのには絶好の機会である筈だが、日本人は素敵な人種だからそんな狡猾だったり強かな事は出来ないのかも知れない。
ただ、日本人が素敵なのは、恥が在り恩義に固いからでは無いだろうか…
現在では渡世の方が重要に成ったのかも知れないが…

若狭元地検特捜部某だとか細野モナ男だとかの人相を見ていて感じるのは、笑顔が気色悪いという事か…
私自身も男前では無いから、笑顔どころか素顔ですら他人には気色悪いのだろうし、容姿に関しては何も言えた筋は無いかも知れない。
ただし、この二人の御仁は、余りにも情けなさ過ぎると感じてしまう。
理念や信念だとか矜持なんて言葉から、最も遠い位置にある男であるように見えてしまう。
ま、細野某は民進党以前の民主党時代から、一貫性が在るとは思えない人間であったから、この際どうでも好っか(笑)

地検特捜部と言えば聞こえはいいが、特高警察が無い現状で政治に介入出来る手段としてGHQが作ったモノだというのは周知の事だろうと思う。
つまり、地検特捜部ってのは、そもそも「犬」として創られたのだと言える。
実質的な創立理念の無い組織ってのは、幾ら似非大義を語った処で本質は伴わないだろう。と思う。
東京地検特捜部の悪事の代表といえば、ロッキード事件における一方的な裁判だろうと思う。
私自身は、故田中角栄元総理大臣という人物は「好きではない」。
当然の如く、故児玉誉士夫氏という人物も「好きではない」。
ロッキード事件の最大の問題点は、その裁判の背景であったろう。
反対尋問すらない断定的裁判が在って良い筈が無いが、それは恐らく地検特捜部も絡んだシナリオの下に態と行われた悪事であったろうと思う。
記憶に新しいのは小沢事件であったろうが、ま、当人が創った政治資金隠しの法の下に深層に辿り着く筈も無く、不甲斐なく逃げられた様に思える。
当然、地検特捜部総てが悪人では無いだろうし素敵な人もたくさん居られるのだろうが、活躍して昇り詰めたいと思って入る時点で人間として大概が疑わしいと感じる。
「GHQの犬」が祖であり、本質的に有効に機能した事が少ない組織だからだ。
学力と試験突破能力で云えば超エリートであろうから、相応の頭脳の持ち主であろうし「意思」さえあれば歴史的経緯も知る事が出来る筈であるから、変質的な野望があるのか、正義の改革をしようともでも志さなければその階段には進むまい。

ナンチャラマケルとか云う某に感じるのは、気色の悪い引き攣った笑顔と見える人相だけではない。
「私にはウソ理論がある」とか云う胡散臭い発言は、超絶的に救い難いと思う。
それを発する際の更に気味が悪く感じる笑顔は、悪事を働くガキ大将の様にさえ感じる。
彼が「ウソ理論」と標榜するものを、世には一般に「経験による勘」というのだ。
地検特捜部での重要な任にありながら、そんな誰しもが持つ職業上の一般的な能力を超能力かの様に豪語するのは如何いう神経なのか…
また、一次情報(information)というものは、裏取りを含めた分析を行わなければ情報(interigence)には成らない。
つまりは、この御仁の云っている事を要約すると、「私は嘘だと勘で決めつける事が出来る」というだけの事に過ぎない。
本来は、ウソが在ったか無かったが真に重要なのではなく、その背景にある道理が重要なのである。
地検で何やってたんだろうねこの人…思考の構造を疑うよ…
今回の件では、犬の様に使われて、誤魔化しを単純なロジックで行おうとして崩壊を繰り返し、それでも要職に就けると思っている様だから…やはり救い難い。
ま、明らかに彼よりも馬鹿な私はには、そんな事を云う資格は無いのだろうが…

民主党政権が出来た時にも唖然としたが、今回の選挙で野望の党とやらが躍進して唖然としかねない状況に既に愕然としかねない。
マカロンだかマキロンだかを大統領にしたどっかの国にも呆れたし…
社会主義の国からやって来た頑固オバハンを依然支持するどっかの連邦にも呆れるが…
地方選挙ならまだしも政権選択の国政選挙でまで厚化粧の婆が躍進するのかと思うと、我が祖国の事でありながらも呆れかねない。
「報道」とやらをみて呆れている同朋は少なからず在ると思うが、それがマイノリティーである様な事には悲しい想いが絶えない。
「モリカケ」とか国中で騒ぐのだから、哀しいものだ。

そろそろチャンと中共の悪の脅威に対抗できる様な方策を実施できる体制を創るべく進もうよ…
憲法改正の礎と実効的な国家安全保障の確立の為の政治的法的進歩は大事だと思うよ。

あったまいたいしからだもいたいしちょうぶんかいてやる(謎)

しばらく寝込んじまった…
生きてる価値も無いってか?
とか思ってしまいそうだぜ
ん?本当に価値が無いってか?
そこそこ辛いんで打鍵でストレス発散するぜ

相変わらず右半身が
頭のてっぺんから脚まで痛ぇ
脳とか甲状腺とかかと思ったけど何ともねぇらしいよ
なんだかねぇ…もう検査を受けるカネも無くなって来たぞ
こういう時にポジティブシンキングならば、
政治のせいとか世の中のせいにするのかねぇ
ぁ、それはネガティブシンキングなのか?
にしても、半身だけ痛いのと多汗なのは異常だと思うのだが…


にゅーん…
ま、言いたい事は最後に短く云うとして、
冒頭から九割九分は無意味な雑文をダラダラ書いたよ。
ま、誰も読まないから書ける事だけど…
ま、読まれても大して問題は無いんだけど…
しかしまぁ、民主党政権への「政権交代」の時と同じ寒気を感じるなぁ
あの時もまぁ、クルマに揺られて北進しながら
「まさかとは思うが…テレビみたいな馬鹿は多く在るまいて…」
と、ラジオを聞いていて選挙速報に憤ったモノだった。
そういや、都知事選の時も都議選の時も同じ悪寒がしたんだよ。
もっと昔の話だと、青島都知事選でも同じ悪寒がしたなぁ。


とあるジャーナリストが、
「報道には一貫性が重要だ」と言っていた。
しかしどうだろうか、
これは、一般論として
プロフェッショナルに重要な事だとは思が…
最低限度の基礎中の基礎であって、
無きゃ駄目な事だろうに…
報道と論評は全く異なる分野では無いのか?

と、思ったところで無駄な事を考えた。
以下はダラダラと、ボヤキ言葉をそのまま打鍵した様な分が続く…

さて、私は技術者だった。
技術者は常に、首尾一貫した技術情報を提供する。
しかし、その技術情報は常に正しい訳では無い。稀に間違いは在る。
何故ならば、首尾一貫して間違いに気が付かない事もあるからだ。
はて、技術者に求められることは「一貫性」では無い。
多面的比較であり、反証性の削除である。
その為にシミュレーションを重ねた上で実験を繰り返し、試験要目を確定した上で厳密性を担保した幾つもの試験で検証する。
ま、昨今ではコストが云々煩くて満足いかない事も在ろうが…
で、実は間違いが発覚しにくい技術検討という奴は、多角性に乏しい検討しかないものが殆どで、二つの場合が多い。
一つには、コストなどの関係上で多くの検証試験が行えない場合。
もう一つが、余りに理路整然としており多角的検討が必要ないと思えた場合だ。
ま、人間の頭なんてのは現実に比すればその程度でしかない証明とも言えるだろう。
皮肉な事に、あれこれ苦労させられた技術案件の方が間違いは少ないものだ。
それ以前に、理論や学説に一貫性が無ければそもそも検証の必要すらない。
つまり、一貫して論理を貫いていなければ、技術検証の意味が無いのだ。
多面的に反証性を潰す作業は、間違いを少なくする仕事である。
技術者は、安全性や仕様を満たす事をよりもその確度を高くするのが仕事であり、確度の高い技術検証の上で具体化して現物を創る為の情報を揃える事なのである。
確度の高い基本設計が決まってこそ、多面的なコストや仕様を細かく検討する事が可能になり、それが高品質な詳細設計を実現可能にする。
初段からの多角的検討が無ければ、高品質な製品を具体化する事など出来ない。
もしも偶然にそんな製品がポンと出来たのであれば、それは単に運が良かっただけであり全く技術力とは関係が無い。
ま、高次元の技術水準が在る現場程、ポンと出来るブレークスルーの確率が高い可能性は在るが、なんにしても一方向の一貫性など何の役にも立たない事が殆どだ。
うーん…頑固と言われる機会を増やす役には、立つこと請け合いだろう。

技術者とジャーナリストは違うという人が在る。
しかし、現実と向き合うという意味に於いてほとんど違いが無い。
一貫性が整っている事が原則的であったとしても、それが一貫して間違っていれば現実を写すものとしては意味を為さないからだ。
つまり、プロの評論家は一貫性だけで良いかも知れない。
何故ならば、彼らはその評論に対価を付加されて評価されるかが問題であるからだ。
評論は評論であって、結果を左右する条件には成るかも知れないが、それ自体は全く結果を伴わない。
結果云々ではなく、抽象論を捏ね繰り回す処に見いだされる価値の問題である。
ジャーナリストという職は抽象論を闘わせる仕事では無いのだから、現実に向き合う上では確度の高い表現は絶対的に重要である筈だ。
評論家として未来予測を行ったりどう評価すべきかという論を述べるには、一貫した論理が在り聞く価値に対する評価が在れば良いかも知れないが、現実を判断する為の情報を提供する仕事はそれでは不十分であると言えよう。
評論であれば、「誰が言ったから価値が在る」は役に立つだろうが、報道は「誰の記事には過去を見直せば間違いも在りそうだ」という程度にしか「誰が言った」という事には価値が在ってはならない筈だ。
限られた分量の中で、多面的な検証を表現できるかどうかは書く人次第だが、それ以上の意味が在っては拙いのである。
報道の取材事実に筆者本人の意見が乗ってしまっては困る訳で、取材事実を克明に表現し、許された場所に「自分の見え方」を表現しても好い程度の事だろう。
事実が重要であり、判断は読むものがするのであり、それを紛らわしくする要素は少ない方が良い筈である。

「安心してください」と技術者が言う事は出来ない。
技術者は、倫理を決定する権限が無いからである。
定められた基準の範疇に於いて多面的に安全を検証し、市場に提供する手伝いをする事は出来る。
だが、それを「安心して使える技術かどうかは」ユーザーが決める事であり、基準を策定する機関が決める事である。
だから、技術者が自分の創出した理論や原理に於いて技術論を語る事は許されない。
基準の原理原則を決めるのは、科学者や行政に在る専門家の仕事であり、基準は学会や行政機関において定められる。
幾ら実験を繰り返して上手く行っても、基準に満たないものを「私の検証では確実に安全で安心して使えるものだ」と技術者が言ってはならないのだ。
技術者の職分は、あくまでも基準に即し仕様を満たすかどうかであり、その中でコストを抑えより高次元で要求を満たす事でしかない。
技術者が「私を信じて下さい」など言い出したらどうなるか…
想像するだけで恐ろしい(笑)
技術文書に意味が無く「私は駄目な技術者です」という裏付けに成りかねない。

ジャーナリストと評論家の相違にも似た処が在るだろう。
ジャーナリストは事実を多角的に取材し、より確度の高い判断材料や疑念として情報を発信するのが仕事である…と私は思う。
はて、現在の我が国に於いての「ジャーナリスト」と呼ばれる人が如何なのかは知らないが(笑)
だって…横文字言葉の定義や意味が不明瞭なのは日本メディアの専売特許みたいなものでしょう?
ニュースキャスターって何?番組MCって何?キャスティングするのはプロデューサーだろうし、テレビ番組はセレモニーじゃないし、どちらも進行役はしているが構成に責任在る立場にも見えない。
新聞の紙面を見れば、一体全体どこが報道記事で何処からが論説記事なのかも不明瞭で、署名の無い記事に主観的論説が載っているわ、論説記事に思想的説教が在るわ、何が何やら…小難しい言葉で表現すれば良いとでも思っているのか?
ま、ジャーナリストが上の様に私が思う定義ならば評論家の仕事はそうではなく、より抽象的な次元の思想的価値や哲学的思想だとか、「そんな風にも見る事が出来る」やら「こうした新しい価値が見いだせるかも知れない」と云う事であろう。
ジャーナリストが評論を報道として発信してしまえば、確度の低い判断材料を態々世に出して混乱を招く事に成りかねない。
如何に一貫性が整っていようとも、世間にある程度の合意が無い理論や原則を語ってしまっては困るし、十分に検証されない事を「事実だから」と安易に報道してしまっては困るのである。
個人個人の中で価値観は異なるのであるから、「一貫性が在り真実と言える」としたところで「人の数だけ真実が在り得る」としか云いようが無い。
判断材料の方向性が人口の数だけあっては、民主的政体に於ける判断材料には成り得ないのだから、誰かにとっての真実を伝えるよりも多面的に検証し確度の高い情報の方が有用であると言える筈だ。
この点に於いて、我が国のジャーナリズムと呼ばれる世界は、決して洗練されているとは言い難く思えるし、幼稚であると感じる。
せめて広報誌風情なのであれば、立場をはっきりさせる位は明確に示して欲しいものだ。
重要なのは、正義感などとも云われる「正しい事をしたい」といクダラナイ価値観ではなく、より良い合意を得るための「ドライでありながら多面的な情報」では無いだろうか?

人間には感情が在る。
だからこそ、感情を伝える事も重要だが、正義感などと云う情緒にも似た変質性の高い価値観に左右される事は好ましくないだろう。
特に、人間同士や国家同士などの様な「相手のある問題」に関しては、正義感や共感と云う物は危険な物でしかないだろう。
昨今話題に多い「ロヒンギャ問題」などを例にすれば、でっち上げの民族問題を民族問題と断定されては困る訳で、解説報道ならば歴史的経緯を簡明にした上で両陣営の立場と情勢を伝えてもらわねば困る。
複数の立場がある時点で、どちらかに価値観が偏れば既に現状の客観視は成り立ちえなず合理的合意など得られる筈が無いし、真っ当に物事を判断する事など出来る筈も無い。
この場合、倫理というものは重要であろうとは思う。
国際常識による秩序と云うものが在り、そこに一定の倫理が合意されていると仮定すれば、個人の価値観である正義感などよりもその合理性が高いのは当然だ。
無論、個人の価値観に左右される正義感が全く無意味な訳では無い。
その着想によってもたらされる合意形成で倫理が醸成される事もあろうが、それは現時点での話題ではなく将来への展開に過ぎない。
この将来に思いを馳せる事は、報道ではなくコラムの領域に当たるだろうし、思いを馳せるのは報道関係者ではなく情報を受けた方でなければならない筈だ。
論壇の人間にとって一貫性が最低限求められる条件であっても、一貫性が整っていれば良質な報道となる訳では無いのだ。
主張に一貫性が無い事は信用成らない事であっても、正義感に満ち溢れた一貫性のある主張が必ずしも世界の正義である筈も無い。
正義や真相を判断するのは報道機関ではなく、形成された合意の上でなければならない。
先ほどの例をとれば、ロヒンギャは混入ベンガル人が拡大した問題ではあるが、ラカイン州における民族問題ではなく複雑化した宗教問題である側面の方が強い筈で、一方的な民族弾圧とする立場が必ずしも正当性に富んでいるとは言い難いだろう。
これを考える上で最低限必要な事は、ミャンマーが国民民主連盟政権に成る過程とアウンサン・スーチーという人の経緯が解らねば政権が手を出せないように見える現状の理解に苦しむだろうし、仏教国としてのミャンマーに於ける宗教観念なども知らねば理解の糸口も掴めないだろうし、バングラデシュがベンガル人の国という意味である事くらいは知らねばなるまい。。
起きている暴動の事実が重要でない訳では無いが、単なる人道的支援
では解決に至り難い現状の解説が無ければ、国際報道としては完全に不足した内容でしかない。
我が国のアプローチを考える上で重要なのは、一時的な国際的世論に乗って好感度を得る事では無く、東南アジア情勢の将来を見越した支援の方法論であるが、これは欧米メディアの論調をそのまま伝える事である筈が無い。

我が国の報道の現状を見て感じる事は、テレビ放送のワイドショーや週刊誌・タブロイドに代表される「報道では無い部分」と、本来限定的な論説以外は客観的報道に徹するべき新聞やテレビニュースの境目が曖昧過ぎる事である。
コラムにも満たない井戸端会議の様な質の物が報道として流れ合意形成の為の価値観に左右している事は、嘆かわしいどころか異常な事態であると思う。
疑惑は疑惑でありその発覚自体は報道に値するかも知れないが、怪しいから悪であるとしてしまえば評論未満に過ぎないものに成り下がるだろう。
同時に、「誰がこう言っていて、それはこういう理論に基づいていて、確かにそう見えるから私は正しいと思う」などと未来予測する記事を報道として垂れ流しては拙くは無いか。
これを報道とするには、「私は正しいと思う」が余計であり、「こうした理論によって、この様に成ると、誰それが言っている」がより報道的であると言える。
更にこれを報道記事とするには、「誰それはこう言っているが、他の者は別の理論を説いており、現状この理論は検証中であり論争もある」などとせねばならない筈だ。
学者や研究者が考え方を提示する際には、その調査や分析を明確な一貫性の下に語れば良いだろうが、報道はそれを客観的に伝えるだけが領分であり勝手に記者の主張にすり替えてしまってはならない筈だ。
もしもそうして持論を展開し主張するのであれば、客観的事実や一定の合意が無いのであるから、評論未満にしかならない事と成る。
これは、最低でも社説やコラム記事に綴られるべき事であり、報道記事として展開されては拙いのだ。

冒頭述べた「プロフェッショナルとして」の意味は、職分の範疇内の話でしかない。
良く、フリーランスのプロに成る条件に付いて「言い訳も確り用意できる事」というのが在る。
職業というのが対価を得るための労働であると考えた場合に、必要以上に責任を被るのは拙いからである。
つまり、プロというのは「稼げる人」であり、逆意「確り逃げられる人」でもあるという事だ。
不確定性という問題や原理上の想定外の事象が運悪く発生したときに、責任範疇を明確にして逃げれない人間が稼げるはずが無いという事である。
これを逆ルートで考える時に、一貫性のある主張であれば一貫性を維持した釈明も出来る訳で、責任も明確にする事が出来る。
つまり、責任の所在を明確にする事が、プロの仕事の上で肝要であり最低限度のモラルであるという事に過ぎない。
プロとは専門家というだけの意味ではなく当然に「職業」というニュアンスを含む。
兎角「プロ級」と「プロフェッショナル」が混同されるが、職分に於けるプロフェッションであればその範囲で責任が追及されるのだから、自らが担当する範疇で責任が取れなければ対価を受け取る資格はない訳だ。
これは「最低条件」でしかないだろう。
プロとして仕事がこなせるからと言っても、良いプロと悪いプロが在る訳だ。
裁量に対する責任と結果に対する責任は違うという事であるし、その過程における倫理観や矜持と云うものも対価とは別物である。
簡単に言えば、一貫性のある主張が担保するのは、その論理に齟齬が在るかがより明確化される事だけと言える。
飽く迄も現実に置き換えた際に齟齬が生じない事の担保ではない。
それを判断する材料を整えて提示しなければ、報道としての価値が殆ど無いものに成りかねない。

筋の通った良きプロと云うモノは、矜持も倫理観も持ち合わせるし責任を取るべく使命感を追求するだろう。
そうで無い、プロではあるが悪いプロと云うモノは、確り稼ぐがちゃっかり逃げる者だろうと思う。既に述べたが、逃げるのも必要な能力である。
個人的に思う「悪いプロ」というのは、「俺のペンで世界を変えてやりたい」というタイプだろう。
大概は半人前の時点でその事が大きな過ちであり単なる野望に過ぎない事に気が付く筈だが、野望を果たす事が功績に繋がると勘違いしたままの人間は少なくない。
民主政体に於けるジャーナリズムに置き換えれば、世界を変えるのはジャーナリストではなくそれが提示した判断材料によって起こる輿論の判断である。
「世界を変える」のが仕事の領分ではなく、その手助けとして「判断材料を整理して提示する事」こそが矜持の基本であるべきだ。
ジャーナリストに限らずどこの世界でも同じであろうが、そうした短絡的な者の方がアピールも強く評価の為に為す事を心得ているものだ。
実際にプロフェッションとして好い仕事をしようと思えば、評価よりも実績が適切に遺る事を気にする筈だが、評価が実績に伴わない事に憤りを感じる者は少なくない。
また、評価が高い事を周知された者を登用したがるもので、機会が増えれば確率も上がる訳だ。
問題なのは、高評価ばかりを気にして負の側面を顧みない事だろうと思うが、出世やら収入には必ずしも回顧が必要ではなく、ポジティブを異様に維持しようと思えばネガティブ・ファクターは忘れる冪だとなるから、失敗を恐れ成功のジンクスを気にする様に成る。
本質的には、評価が世界を変える筈も無いのだから、実績に意味が在る事の方が重要である。そりゃ、評価が伴った方がより嬉しいだろう。
この時に、一貫性だけを重視したならば、間違った事の言い訳が容易であり、これを一義的に忘れる事も大差はないだろう。
一貫性を論理的思考の基本として重視していたならば、多面的で十分な検証が気に成る筈で、間違った場合に回顧して考える事も多いのだから、後に役に立つことは多いがネガティブに成り易い。
併せて悪い事に、世の中では一度大きな失敗をするとやり直す事はより困難に成り、好い塩梅のミスを重ねて成長できれば好いが、その機会に恵まれずに最初に大きな失敗に当たれば潰れたり偏ったりすることも少なく無かろう。
不屈の精神は素敵なものだが、真に不屈で座屈を伴わない事が肝要であり、芯を変質させずに再成長できるとも限らず、微細な座屈を伴って捻じ曲がって大きくなることも在るという事だろう。
失敗しない事が原理原則と成れば、より合理的な言い訳を求める事となろうし、論理に多面性が無ければより一方的な言い訳が形成されかねず、より現実性から遠い次元の論理に成りかねないだろう。
こうなれば実を為さない悪のプロでしかない。

私の私見であるが、どの分野に於いても、一貫性を重視するだけの人間は認められ易い様に思うが内実は大いに怪しいと思う。
一貫性は思案する際の最低限の基礎であり、その上で多角的検討を重ねて許される限りの検証を行い確度を高める事こそが重要なのであると思うのだ。
経験した職業…工員、作業員、図工、機械設計技術者、開発者、システムエンジニア、ウェブデザイナーなどなどエトセトラ、サクサクと一貫性ある論をでっち上げる奴と地道に多角的検討をする奴では、前者の方が出世は早かったように思うが、後者の方が一流だなと感じたものだ。
そういや、編集者やライターやらフォトグラファー補助なんて仕事をしていた時には、一流だと思える人には殆ど遭わなかったが、調子が良く受けが良く理路整然に見えるだけで出世して高収入を得ているものが多かった様に思えるな(笑)
その時思った事は、無駄が出来る事こそ贅沢でありそこにこそ発展が生まれる余地が在ると云うが、無駄な仕事ほど無駄にカネを払うのが在って儲かるのかも知れないなという事だった。
そういや、90年代中盤くらいまでは、居ない方が多数の無駄や斑を無くせるだろう超高給取りの役員ってのも良く見たっけか(笑)

ま、そういう意味で云えば、希望の党とやらの小池某という党首は、最低最悪の悪のプロにしか見えないのだが…
実質的な善悪やら正当性と云う物は、不思議な事に好感度とは一致しないものだ(笑)
ただ、小池某の場合は、時間的経緯を長く遡れば一貫性の欠片も無いし、言説の論理にすら内実が存在しない。
しかし、一貫性を持ってマスメディアの小池露出だけは変わらないだろう。
多角的評価をすれば、一瞬にして化けの皮が剥がれること請け合いだが、カタカナ横文字後すら解説が怪しいのだから無理な注文か(笑)
「アウフヘーベン」くらいは、辞書に記載される意味だけでなく、「使い方間違っているだろ」と簡明に指摘できる筈だと思うけどねん(笑)
電柱無くして電線埋めるんじゃなかったんかい?
二階建て電車は如何したんだい?
時差通勤は如何程実現したんだい?
オリパラの400億円の浮いたカネとやらの実態は?
ところで豊洲移転遅滞による損失は幾らに成ったんだい?
安倍内閣を倒すると増税を阻止できるんかい?
原発ゼロにする為のリソースは何処から出資するんだい?
ま、ファシズム政権を樹立すれば解決できる可能性も在るかもね(笑)
一貫性なんてのは、普通の人間ならば普通に在るんですよ。
普通じゃない壊し屋とか魔女なんかに名無いのかも知れないけど…
ぁ、出世したいサラリーマンにもないし、稼ぎたい悪プロにもないけどね。

ま、こんな時期を書いている時点で、精神異常の証明なのかも知れんな(自爆)

”今年もやるよ!ツールド三陸”


今日の朝夕食朝:卵かけご飯(出汁醤油)・海苔夕:ブナシメジとエノキ茸の炊き込みご飯・鶏...

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