毎日ブログ書いてる人

すごいなって思う。
そんだけネタがあるのか
日常ってものを面白く書くスキルがあるのか
毎日続けることに意義を見出してるのか
いろいろあると思うけど。
いずれにせよすごいなって思うわけで。

いいねいいね


ちょっと離れたとこにですね。
あるわけで
ブックオフが

くそ田舎なもので
遠いんですよね。
いちいち
どこに行くにしてもー。

昔はチャリで行けたんだろうなぁ。

人は退化し続けていくのか
できたことができんくなる
や、新しい手段を身につけて
動かんくなっていく
退化か進化か
どっちでもいいけど
時間が経てば歳をとるし
死に近づくし
体は弱っていくのは
圧倒的すぎるほどの事実なんだと思うわけで。

まぁそんなことはどうでもいいことで。


ラーメン屋に行く途中の
ブックオフに寄って
7冊ほど文庫本をぱ
108円。
安いものだ、缶ジュースより安い。
物の価値なんて人それぞれやけど。

とりあえず文庫本を、買って
ついでに、漫画も一冊。

世界の終わりと夜明け前

昔読んだけど108えんだったから購入

こやって書いてて知らぬ間に8パーセントの消費税にも慣れた自分がいて政治家の手の中でサザエさんのタマがりんごかみかんかすいかか忘れたけど、それ的な果物の中でくねくねしてる姿に自分が当てはまったりしつつ、将来の日本を危惧したりするけど、僕が危惧したとこでなにも変わらんのだろうなって打ちひしがれたりしてるわけですが。
とりあえず漫画を読んだんですよ。
やっなんかこの歳になってわかる良さ
のあるものって本当に好きだわ。



そして今日も途方にくれてますよ。
である。
小学校の頃
って一人称は
カッコつけー!
とか言っていじられてた。
うちの小学校では。
別に
って言っていじられたところで
大したことなかったけど
やはりはみ出したくないとはみんな考えるわけで、
俺とか冗談やし!ぼくはぼくって呼ぶし!
とか可愛いとしか揶揄しようのない言い訳なのかなんなのかよくわからないことを述べてたけど。
中学になれば違う小学校では
がメジャーだと分かり
みんな
になっていった。
完全に取り残された
12歳のぼく
その時の影響でいまもぼくはぼく。
って考えればなにが将来に影響するかわからんなぁとか不思議な気分にならなくもなかったりする。
たぶん死ぬまで一人称は僕
だと思う。
小学校の文化というか癖というか
誰発信とかじゃなく
気づけばそこにあった風習によって僕の死ぬまでの一人称が決まった。別に後悔とかそういうのはなくて、むしろ一人称が僕ってのは
僕っぽくていいらしい。
人に言わせれば。ただそう言われればそんな気もしてくるから人は都合良く出来てるなって常々思う。
しかし三つ子の魂百まで
とはよく言ったもので
あの頃のなにかがいまも残ってる。
し、たぶん死ぬまで残る。

いまのなにかも死ぬまで残るものは幾つかあると思う。そんなの10年後に分かることやしなっちゃってから気づくからどうしようもないけど。


ただ残せるものを自分で追加していきたいとは思う。



のーで、
今日はコーヒーを3杯飲みました。
味がもっとわかるようにならねばー。
パンクロックを聴いてた。
青春パンクってやつ、10代のころは本当に惹かれたし高まったしいつかビックにとか思わなくもなく、でもなれないって諦めてる自分が8割を占めるっていうことに辟易としていた。
だからこそ、パンクロックを聴いて辟易としないようにしてたんだろうなっとはおもうわけです。

高校時代なんて
お金なんてそこそこあって好きなものに囲まれてりゃいいかなあ。ふつうに幸せがいちばん。なんてありふれた幸せを願って、将来を案じずにただ目の前の流れから逸れないように生きてきてた気がするけど。ふつうの10代だった
10代ならではの恋の悩みもあったし無駄に反抗期みたいに部活の顧問と喧嘩してまさかの国体にでれないっていう自体になって号泣しつつも謝れずにあの時の後悔をいまだに、ひきづりつつ9年が経とうとしてるのにびっくり。

それでもあの頃パンクロックを聴いてる自分は、jpopとはちがう、みんなとはちがう、ほんものの魂のこもった音楽を聴いてる、マイナーなものも知ってるって人とはちがう自分に酔ってたりもしたりした。


今はあんまり聴かないけど、あの頃聴いてたパンクロックが違うように聴こえるのは自分が社会に馴染んでパンクロッカーたちの歳と近くなってあの頃なかった気持ちがわかるからなんだと思う。
少なくともこれから死ぬまであの頃みたいな、情熱を持ってパンクロックを、聞くことはないんだろうな。

って大人になったんだとおもったりもした。